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『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』  作者: たーゆ。
第1部「灰の路」 第1章「焼け残り」

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第29話「灯の堕ちる夜」④

 黒いパーカーのフードを深くかぶり、蓮司は《Avalon》の中へと足を踏み入れた。

店内は相変わらずネオンの柔らかな光に包まれていたが、

今夜はその色が妙に濁って見えた。

空気は重く、湿り気を帯び、誰もが息を潜めていた。

音楽は止まり、グラスのぶつかる音さえ聞こえない。

視線の先、奥のテーブル席。

そこに、原因はあった。

 三人組の男たち。

全員、二十代後半から三十代前半。場末のチンピラの典型だった。

肩で風を切るような座り方、ボトルを握る手、酒で赤らんだ顔。

目は据わり、声は荒く、あたりを支配しようとしている。

テーブルの上には倒れたグラスと溶けかけの氷。

その周囲には怯えた表情のキャストたち。

 黒いバニースーツに身を包んだ蘭華が、彼らの前で毅然と立っていた。

だが、その目の奥には疲労と緊張が滲んでいた。

その視線が蓮司を捉えた瞬間、わずかに安堵の色が混じる。

何かを言おうとしたが、蓮司は首を横に振った。



 男たちのひとりが、こちらを見て下卑た笑みを浮かべた。

「おい、なんだよお前……客か? それとも見張りか?」

蓮司は答えず、ゆっくりと歩を進めた。

濡れたスニーカーが床に貼り付き、かすかな音を立てる。

店内の視線が一点に集まる中、彼の姿だけが異質だった。

黒のジャージ、黒のパーカー、黒の目出し帽。

まるで影そのものが歩いているようだった。

 蓮司はテーブルの前で立ち止まり、低く、静かな声を発した。

「帰れ。ここはお前らの遊び場じゃない」

言葉は穏やかだったが、その音の奥には硬い芯があった。

しかし、三人組のチンピラたちはそれを笑い飛ばす。

「は? なに様だテメェ」

「店員か? てか目出し帽って、強盗のコスプレかよ」

「俺らはなあ、ちゃんと金払って飲んでんだよ。

なのによォ、接客が悪い、態度が悪い。そりゃ文句も出るだろ?」

 ひとりがボトルをテーブルに叩きつけるように置く。

ガラスの底が鳴り、液体が跳ねた。

その小さな音だけで、店内の誰もが身体を硬くした。



 蓮司は一歩も引かず、ただ静かに視線を向けた。

その瞳の奥にあるのは怒りではない。

怒るほどの感情すら、もう持ち合わせていないような無の色。

「客だからって、何してもいいわけじゃない」

「おい、説教か? この場で俺らに?」

「帰ってくれ。それで済む話だ」

 蓮司の声は穏やかで、淡々としていた。

だが、その淡々とした響きが逆に彼らの神経を逆撫でした。

沈黙の一瞬のあと、笑い声が弾けた。

「おい見たか? こいつ、マジで俺らに説教してるぞ」

「はは、いい度胸だな。目出し帽のくせに説教師か」

「そんな格好してイキってんの、笑えるわ」

 周囲の空気がさらに張りつめる。

蓮司は彼らを見下ろす位置に立ちながらも、

威圧するような動作は取らなかった。

手も、声も、何一つ荒げない。

ただ、淡々と続ける。

「この店の子たちは、働いてるだけだ。遊びの相手じゃない」

「……あ? なに、偉そうに言ってんだよ」

「飲みたきゃ、別の店行け」

「帰れってか? 誰にモノ言ってんだ」

 その瞬間、三人のうちの一人が椅子を蹴って立ち上がった。

背丈は蓮司より頭ひとつ分ほど高く、肩幅も広い。

拳を握り、鼻先まで詰め寄る。

「お前さ……人の楽しみ邪魔して生きてんのか?」

 蓮司は動かない。

 ただ、静かに相手の目を見ていた。

「帰れ」

 その一言が、まるで凍った刃のように突き刺さる。

 男の口角が歪む。

「ははっ……テメェ、いい度胸してんな」



 後ろの二人が立ち上がり、テーブルが揺れた。

酒がこぼれ、床に滴り落ちる。

その音が、店の中の緊張をさらに引き延ばす。

 蘭華が一歩踏み出しかけたが、蓮司が小さく手を上げて止めた。

彼の瞳は静かだった。

だがその静けさの中に、何か底知れぬものがあった。

「話にならねぇな」

「こっちは客だぞ。接客が悪い、金返せ!」

「てめぇが代わりに払うか?」

 蓮司はその場で小さく息を吐いた。

説得は、もう通じないと悟った。

それでも彼は最後まで、声を荒げなかった。

「……払う必要はない。けど、ここにはもういられない」

 男たちの笑い声が、嘲りに変わる。

その空間にはもう、理性という名の橋が残っていなかった。

黒い影のような蓮司の姿が、ネオンの光の中で静止している。

空気は重く、雨の湿気と酒の匂いが入り混じる。

まるで何かが壊れる前の、一瞬の静寂だった。




今日は2話投稿します!


2話目は夜に投稿させていただきます!!

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