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『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』  作者: たーゆ。
第1部「灰の路」 第1章「焼け残り」

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第19話「雨の底で」①

 雨音で目が覚めた。

目覚ましが鳴るより、わずかに早い。

薄暗い部屋の中、カーテン越しに街灯の光が滲んでいる。

規則的に叩きつける雨粒の音が、静寂をゆっくり浸食していく。

 枕元の時計は、午前五時を少し過ぎていた。

いつもの時刻。

いつもの眠りの浅さ。

眠ったのかどうかも曖昧なまま、目を開けた。

 夢を見た気がする。

けれど内容は、霧のように指の隙間からこぼれ落ちていった。

 体を起こすと、肩や腕の奥に鈍い痛みが残っている。

昨夜、誰の拳を受けたのか、誰を殴ったのか──思い出そうともしなかった。

その痛みだけが、生きているという証のように、ぼんやりと存在していた。



 ベッド脇のカーテンを少し開ける。

空はまだ夜の名残を引きずり、灰色の雲が低く垂れ込めている。

街全体が、雨に押し潰されたように静かだった。

 その静けさに、少しだけ安心する。

誰も自分を見ていない時間。

誰も何も期待していない時間。

 洗面所に向かう。

鏡に映る顔は、少し痩せたように見えた。

頬に指を当てると、皮膚は冷たく、わずかに弾力を失っている。

顔を洗う。

水道の冷たさが指先から腕へと伝わり、それでも心臓までは届かない。

 タオルで顔を拭きながら、ふと考える。

(俺って、いま、何歳だっけ)

すぐに思い出す。十六。

だが、その数字には現実感がなかった。

十六歳の“正しい朝”というものを、自分は知らない。



 リビングに戻り、冷蔵庫を開ける。

中には、卵、キャベツ、プロテイン、麦茶。

そして昨日買ったままの食パン。

生命維持のためだけのラインナップ。

燃料庫のような冷たさ。

 卵を二つ取り出し、殻を割る。

小さな破片が流しに落ちる音が、雨音の合間に混じった。

フライパンを温めると、バターの香りが立ちのぼる。

鼻が覚えている懐かしい匂い。

それでも「うまそう」とは思わなかった。

ジュウ、と油の弾ける音。

卵が白く固まり、黄身の輪郭がにじむ。

片方は少し破れて、黄身が流れ出した。

 それを見て、なぜか胸の奥がひやりとした。

完璧に焼けなくても、誰も困らないのに。

誰も見ていないのに。

それでも、こういう小さな失敗が妙に気になる。

 皿に移し、トーストを焼く。

カリッと焼ける音が響くたび、台所の空気がわずかに温かくなる。

それを並べ、塩を一つまみ振る。胡椒は切らしていた。

何度も買い忘れている。

 椅子に腰を下ろし、フォークを手に取る。

白い皿の上で、半熟の黄身が静かに広がる。

パンに吸い込まれていく様を眺めながら、

「人が生きてるって、こういうことなんかな」と思う。

 食べるという動作だけが、まだ“人間の形”を留めている。

一口、パンをかじる。ぬるくて、味が薄い。

二口目で、味覚が何も反応しないことに気づく。

温度も食感も分かるのに、

“うまい”という感情だけがどこかへ置き去りにされている。



 飲みかけの麦茶を喉に流し込みながら、スマホを手に取る。

SNSの投稿画面を開く。

指だけが、正確に動く。

『本日の殴られ屋は、夜も雨の予報のため休みます。』

短い文。

それだけで今日という一日が終わったような気がした。

 投稿して数秒後、通知が立て続けに流れてくる。

「今日も見たかったのに残念」

「昨日のあれ、マジで怪物」

「生きてるの人間じゃねーだろ」

 いつものごとく、

“殴られ屋・蓮司”という虚像に向けられた賞賛が滝のように流れる。

画面の明滅を見つめていると、

まるで自分の存在だけがそこにいないような錯覚に陥る。

言葉が届く場所に、自分はいない。

そこにあるのは、“痛みに耐え続ける道化”としての自分だけ。



 スマホを伏せると、静寂が戻る。

外の雨音だけが世界を支配している。

自分の部屋が、まるで別の惑星の中に浮かんでいるように感じた。

それでも、体は勝手に動く。

 習慣を裏切ると、何かが壊れる気がする。

食器を洗い、テーブルを拭く。

ゴミ箱に空き容器を押し込み、

コンロの火を確認してから、時計を見る。



 午前五時三十五分。

雨脚は少し強くなっていた。

蓮司はサプリを飲み、ホエイプロテインをシェイクする。

 容器の中で粉と水が混ざる鈍い音が、

雨音と混じり合って空気を震わせる。

その音が、妙に落ち着く。

無機質な音は裏切らない。

感情も、言葉も、必要ない。



 ランニングウェアに着替える。

動作の一つひとつに、目的があるようで、何もない。

 ただ、動かないと“生きている実感”が遠ざかる。

靴紐を固く結び、結び目を二度引き締める。

手の甲で叩いて確認した瞬間、ようやく小さく呟く。

「……よし」

 言葉に意味はない。

ただのリズム。

 玄関の扉を開けると、湿った風が頬を撫でた。

雨粒が頬に当たり、ゆっくりと首筋を伝って背中に落ちていく。

冷たさが心の奥まで届くことを、少しだけ期待していた。

街はまだ眠ったまま。



 ビルの隙間を雨が縫い、アスファルトに染む光をぼやかす。

蓮司はフードをかぶり、無言で一歩を踏み出す。

雨の底を歩くように。

 何かを探すようで、

何も見つけたくないままに。


累計ページビューが400PVに到達しました!!


これもひとえに皆さんにこの作品を読んでいただいてるおかげです!!!

本当にありがとうございます!!!


次話は20:00までに投稿する予定です!

読んでいただけると嬉しいです!!

これからも頑張りますのでこの作品をよろしくお願いいたします!!!!

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