つづら折り ~1000文字恋愛小説~ 挿絵あり
繋いでいた彼の手が、そっと離れた。
聖蹟桜ヶ丘の駅。改札を通った彼が、左手の階段に消える前、こちらを振り返って寂しげに笑い、手を振って『元気でな』って口をして、グレーのコートがスッっと隠れた。
私はその場から動けない。頭上では新宿行の特急が入ってきた音が響き、しばらくして「ルルル」と発車のベルが鳴った。沢山の人が降りてきて、改札を抜け、そして誰もいなくなった。
彼は行ってしまった。
6年間、とても幸せだった。穏やかに続くと思ってた。
ほんとに今、終わったのね。
私は、(絶対に泣かない)と自分に言い聞かせ、マフラーに顎を埋め、そっと駅を離れた。
バスには乗らない。人の中にいたくない。
南の丘に続く坂道を上る。つづら折りのいろは坂。
いつも名残惜しくて、離れがたくて、手を繋いでゆっくりゆっくり上って、彼が送ってくれた道。今日は、一人で歩いていく。
坂を縦断する階段を三つ上ったところで息が切れ、神社の前から夜景を眺める。綺麗。ここは、ジブリの「耳すま」で、中学生の聖司君が雫にプロポーズしたところ。こうやって街の灯を眺めながら将来を誓い合ったんだな。素敵だなあ。うらやましいなあ。
私は、「フン」って鼻から息を吐いて、最後の階段を上り、頂上を右に曲がる。家々から、美味しそうな匂いが漂ってくる。
私がこんなでも、世界は一つも変わることなく、時は流れていくのね。
5軒目が私の家。両親が若い頃に無理して買った、幸せが一杯詰まっている家。
私は、何にもなかったようにスッと家に入ろうとしたけど、お母さんの作るカレーの匂いが漂って来て、つい思い出しちゃった。あの人、カレー大好きだったな。
お母さん、ひどいよ。せっかく押さえつけていたのに。
私、本当は、彼とずっと一緒にいたかった。別れたくなかった。優しい人だった。
もう、いない人だけど。
泣かないって決めてたのに、私は膝をつき、……ああだめだ、両手もついて、「くうーっ」って声を漏らしながら、顔をくしゃくしゃにして、ポタポタと涙をこぼした。
そのまま泣き崩れ、玄関の前に倒れ伏して、身体を細かく震わせる。
でも、5分泣いたところで、私は「もうお終い」と言い聞かせ、スックと起き上がって服の泥を払い、涙を拭いた。
大丈夫。こんなに悲しいのも、今日だけ、今だけ。時は止まらないから。
そして無理に笑顔を作り、「ただいまー! お腹すいちゃった!」と、ドアを開ける。
いいぞ。生まれ変われ。
甦れ、私。
了