8
帰り道の途中、わたしの苛立ちは、放課後にまで続いていた。虫に刺された右手には絆創膏が貼られていた。静流が、よそよそしく、こちらを見る。わたしは無言のまま――、
静流とふたり、無言で帰る。
いつの間にか、バス停に着いていた。ここで静流と別れることになる。バスが横切る。機械的な音を立て、扉が開いた。
「今日は、ありがとう。……その、また明日ね」
静流は、寂しそうに言った。
バスに乗り込む、静流の後ろ姿を、ただ見送ることしかできないなんて、わたしは、いったい、何をやっているのだろう。助けるとか言っておきながら、けっきょく、何もできなかった。
「た、立花さん!」
「え?」
静流はバスから降りて、わたしの手を握った。
「これだけは……どうしても伝えておこうと思って」
静流は、顔を上げた。
「……私ね。立花さんと出会えて、本当によかった。今日のことだって、私ひとりだったら、きっと、泣いてた。……立花さんが、みんなに言ってくれて、とても嬉しかったし、感謝してる。私だったら、何も言い返せずに終わっていたと思うから……」
「うんうん、そんなことない」
だって、わたしは何もできなかったから。
静流は、首を横に振った。
「立花さんが、私と友達になってくれて、勇気が持てるようになったって言うか。本当の私は学校に行くのが怖くて、よく悪夢に、うなされるんだけど……。夢の中で私が泣いていると、いつも立花さんが助けにきてくれて、《大丈夫だよ、わたしがそばにいるから》って言ってくれて。目が覚めさとき、私は一人じゃないんだって、そう思えるようになった。こんな温かい気持ち、今までなかったから。これも立花さんと出会ってからだよ。……だから、私、立花さんに――!」
わたしは、視線を逸らした。
「それは、静流が強いから。本当のわたしを知ったら、きっと幻滅しちゃう」
静流は、優しく微笑んだ。
「私と、初めて出会った日のこと、覚えてる? 入学式の……桜の前で、」
わたしは、うなずく。
「うん、覚えてる。あのときの静流は、とても眩しくて、この子と仲良くなりたい。友達になれたらいいなって思っていたから」
静流は、照れくさそうに微笑んだ。
「そう思ってくれてたんだ……私も……立花さんと友達になりたくて。勇気を出してね、声掛けたんだよ。普段の私なら、とても考えられなかった。でも、あのとき、勇気を出してよかった。……私、立花さんのことが好きです。ずっと、友達で、いてくれますか?」
わたしは、ゆっくりと口を開いた。
大事なことを伝えるために、《想い》は言葉にして、初めて相手に伝わるものだと思うから。
「わたしも――静流とおなじ気持ち。……これからも、わたしの大切な〝親友〟として、そばにいてほしい」
「はい!」
静流は、嬉しそうに微笑んだ。
「……バス。行っちゃったね」
どこか残念そうに、わたしは言った。
「……うんうん……また次のバスに乗ればいいよ……」
静流が気づいたときには、バスは、次の信号を右に曲がったところだった。
「静流?」
わたしは不意に、名前を呼んだ。
「うん? 何?」
「今から……寄り道しない? 実は、わたし、あまり寄り道しことがなくて、たまには、いいかなと思って、付き合ってくれる? わたしの――わがままに……」
神妙な面持ちで、静流を見つめる。
「……嫌、だった……?」
静流は、にっこりと笑った。
「そんなことないよ。嬉しい。でも、何か意外だね……」
「むう」
ぷくっと、わたしは頬を膨らませた。
「で? 行くの? 行かないの? どっち?」
「――行く。……私も、立花さんの行きたい場所に……」
わたしは、少し驚いた表情をし、「そう」と一言だけいうと、前を向いて歩き出した。
その後に、静流がついてくる。
ふたりで、これからどこに行くか話し合いながら、町に向かって歩いて行く。近くのファミレス。それともコンビニ。本屋に行くなら、大きなショッピングモールがあるし、ペットショップ何ていいかも……。まあ、静流となら、どこに行っても、きっと楽しいと思う。
「どうしたの?」
静流が、ハッとしたようにわたしの顔を見る。
……もしかして、顔に出ていただろうか……?
「うんうん、なんでもない」
わたしは、ひとり、笑みを浮かべていた。