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「おい! そこで何をしている?」


 放課後の教室、忘れ物を取りに戻ってきた、山口亮が叫んだ。

 女子だった。黒髪のマッシュボブが、微かに揺れ動いたのがわかった。


「なんだ、驚かさないでくれる?」


 綾野小夜が、振り返り、ほっとしたように言った。


「……ソコ、立花の席だろう? 何をしていた……?」


「何でもいいでしょ? ……あたし帰るから」


「待てって!」


 山口は、サッと小夜の右手首を掴んだ。その瞬間、表情が一変する。


「――――ッ! ア、あたしに触るな――ッ!」


 勢いよく、腕を振りほどき、触れられた箇所を制服の袖で、激しく擦り始めた。


「けがらわしい……けがらわしい……けがらわしい……けがらわしい……っ!」


 小夜は、呪詛のように同じ言葉を唱え続ける。アイドルのような顔立ちが、醜く歪む。突然の豹変ぶりに、狂気すら感じた。


「……お、……おい……っ……!」


 突然、糸が切れたように、小夜は動きを止めてボウッと天井を見上げた。


 そして、口元がニヤリと歪む。


「あっはっはっはっはっはっはっ……!」

 と、甲高い声で笑い出した。


 ……わけがわからないって――。


 ピタリと笑い声が止まった。不気味な静寂に包まれる。


 小夜は、小首を傾げるような仕草をして、


「……ここで見たことは、《秘密》だから――?」


「え」

「――ワ、カ、ッ、タ……?」


 頭一つ下から、ジロリと顔を覗き込む。


 三白眼の目は瞬かない。ぎゅっと冷たい手で、心臓を鷲掴みにされているかのような嫌な気分だった。


「……あ……あっ……わかったよ……」


 一秒でも早く、その視線から解放されたくて、山口はうなずいた。


「そう」


 一言だけ、素っ気ない返事をし、


 山口の横を通り過ぎると、教室のドアを開けて小夜は出て行った。


「何だったんだ……今のは」


 山口は、呆気にとらわれたように、つぶやいた。


 すると、突如――――バンっ!


 廊下の窓ガラスを《何か》で叩いたような音がした。

 体がビクンとなって、音がした方に振り返る。山口はぎょっとして目を見開いた。


 ……嘘だろう。


 両手をベッタリと窓ガラスに張り付かせ、小夜がこちらを見ていた。


 自分の顔から、血の気が引いていくのがわかる。


「――からね」


 はっと気づいた。何か言っている?


 山口は、脳内でその言葉を再生した。


 ヤ、ク、ソ、ク、ヤ、ブ、ッ、タ、ラ、嫌、ダ、カ、ラ、ネ?


 ジッとその視線に耐える。ようやく、小夜は身体を起こし、廊下の方を歩いて行った。しばらくの間、指一本動かすことができなかった。動いたら、《小夜》がきびすを返し、ここに戻ってくるじゃないかと思ったからだ。


 今の自分に、あの視線に晒されて、耐えられる自信がない。


「行ったのか?」


 まだ心臓が激しく鼓動していた。自分を落ち着かせるように口からゆっくりと息を吐く。


「あいつ……ほんと……何なんだよ」


 山口は、立花の席の前に立った。


「…………」

 中は空だった。


「何かあると思ったんだけどなあ」


 ……じゃあ、あいつは本当に、ここで何をしていたんだ……?


 頭の中が混乱してくる。椅子に腰掛け、机の中に手を入れた。


 やっぱり……。なにもないか……。


「……いッ……っぅ……!」


 慌てて手を引っ込めた。針で刺したような鋭い痛み。まるで、画鋲で刺したような。手の甲を見ると、小さな穴が空いていた。そこから血が滲み出てくる。


 山口は、ギョッとして、机の中を覗き込んだ。


「――ッ、……何だよ、コレ……」


 机の奥の方に、大量の画鋲が仕込まれていた。


「……さすがに、コレは洒落にならないって」


 小夜が、ここで何をしていたのか、ようやくわかった。


 慎重にガムテープを剥がし、大量の画鋲をゴミ箱の中に投げ入れた。


 俺は、何か悪い夢を見ていたんじゃないかと思う。クラスの女子が、こんな手の込んだイタズラをするはずがないだろう。


 ……これじゃ……まるで……、

 ……いじめじゃないか……!


 壁に背中を預け、ズルズルと床に座り込む。


「あッ! 亮! てめぇ! 遅せぇと思って来てみたら、体操着一つ取りに戻るのに何やってんだよ」


 米田が怒りのこもった声で言うと――山口はゆっくりと顔を上げた。


「……なぁ。うちのクラスに、いじめってあるのか?」


 米田は、ぽかんと口を開いた。


「……そりゃ、どこの学校にも、いじめの問題はあるだろう。うちの学校だけが特別ってわけじゃないと思うぜ」


「そうなのか?」


 山口は、おどろく。


「何だ、知らなかったのか? 最初は、いじめって言うほどでもなかったんだけどなあ。ほら、あいつって、大人しい性格だろう? だから、周りのヤツらが面白がって、からかい始めた。それが、どんどんエスカレートしていって、今のような状態になったってわけだ。俺も見ていて、あんまいい気はしないけど、相手は緑だろう? 何か言って、目を付けられたら、たまったもんじゃないって。お前も、関わらない方がいいぜ」


「やっぱり、いじめられているのは、立花なのか?」


「はぁ? 立花? 何いってんだ。いじめられているのは《望美川》の方だろう? 今日のは、とくに酷かったと思うぜ。机の中に虫が入れられていてよ。それを見た立花がブチ切れてただろう? 何だよ、その反応の薄さ、さては、お前っ! あの騒ぎの中、寝てただろう!」


「あっ、ああ……。四時限目は、体育の授業だったからな。ご飯食べたあと、すぐに寝ちまって」


「よく寝られるなあ、お前も一度は、立花に睨まれた方がいいぜ。マジで怖ぇから。蛇に睨まれた蛙って言うのは、あぁいうことを言うんだろうなあ。……ありゃ、人一人は確実にヤっているヤツの目だぜ」


「んなわけないだろ」


「いや、マジだって! 立花には、そう言った、黒い噂がある」


 山口は、眉をひそめた。


「ただの噂だろう? 真に受けるなって」


「いや、それが、そうでもなさそうなんだ」


 米田が、神妙な表情で言った。


「どう言うことだ?」


「あいつ、どうやら、中学の時に担任教師を椅子で殴ったらしいんだよ。それも、なんつーか、異質って言ったらいいのか? 教室が血で真っ赤に染まっても、殴る手を止めなかったらしい。駆けつけた教師たちが止めに入らなかったら、その教師は死んでいたかもって話だったかな」


「そんな大きな事件が起きたら、普通ニュースとかで取り上げられるだろ? 聞いたことないぞ?」


「そう、まさに、ソコだよ!」


 米田は、身を乗り出した。

「は?」


「……いいか、ココだけの話。実は、立花は、あの《白神財閥》の孫娘で、金の力を使って、メディアに圧力をかけたらしい。だから、ニュースにも取り上げられなかった」


 山口は、大きく溜め息をついた。


「自分で言ってて、馬鹿らしくないか?」

「あっ、亮、信じてないだろう?」


「まあ、なあ」


 米田は、むっとして言い返した。


「でもよー、立花って、どこか品があるというか、育ちがよさそうだよな。亮もそう思うだろう?」


「でも、あいつ、いつも寂しそうにしてないか?」


「おいおい、何の悪い冗談だよ、今日のお前、なんか変だぞ?」


 山口は、かまわず続ける。


「俺から見た立花の印象だけど、教室の隅でじっとしているけど、本当はみんなと仲良くしたい、でも、何か特別な事情があって、そのせいで、周りのヤツらとも一線を引いて自分で壁を作ってる。そんな寂しいヤツなんじゃないかと思うだ」


「……そうか、まぁ認めるよ。立花はあぁ見えて美人だからな。それにスタイルも抜群だし、あの大きな胸に飛びつきたくなる気持ちもわかる。立花に……どんな理想を抱くかは亮の自由だけどさ。やめとけって、そう簡単に落とせる女じゃないって。立花だけに《高嶺の花》ってな!」


「は? 何で、そんな話になるんだよ?」


「いや、さあ、お前が立花の毒に侵されて目の前が見えなくなっているからさー、狙うなら、そうだなぁ、《小夜》なってどうだ! 顔だけで言えばクラスの上位に組み込むぞ!」


 小夜の名前を聞いて、背筋に冷たいものが流れた。少し前のやり取りを思い出し、首を横に振る。……あの薄気味悪い女のどこがいいって言うんだよ……。


「趣味悪いぞ」


「何でだよ? 亮にその気がないなら、俺が狙ってもいいかなあ……。この前、雑誌で読んだスーパー恋愛テクニックが、」


「悪いことは言わん――小夜だけは、《絶対》にやめとけ……」


「なんでだよ?」


 教室で見たことを和彦にも話そうかと、口を開いたが、途中で思いとどまった。


「お前にも、わかるときが来るさ」


「意味わかんねぇ――って、置いていこうとするなって」

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