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 教室のドアの前で、わたしは立ち止まった。教室の中では、クラスの女子が集まって、何やら騒いでいた。

 そこは、わたしの席なのに――、と思いつつ、戻る席を失ったわたしは、教室の前で呆然と立ちつくしていた。

 ……仕方ない。図書室にでも行って、時間を潰すか――。


 そう思い、立ち去ろうとしたが、スウッと足が止まった。


 自分でも、なぜ足を止めたのか、わからなかった。

 そこに違和感を覚える。


 ……何かおかしい……。


 わたしは、今の置かれた状況の不可解さが、よくわかってきたような気がした。一人の生徒を取り囲むように食事を取っている。一見、どこにでもありそうな微笑ましい光景。だが、食事を取っているのは、その子一人だけで、他の子は、それを面白そうに見ていた。

 先に食べ終えたから、待っている――というのも考えられるけど、だからといって、その子の周りを、わざわざ取り囲む必要が、あるだろうか。


 突然、女子のリーダー格である、八枝緑の甲高い声が教室の中に響いた。


「ねえ、そろそろ……食べてよ。望美川さんのために用意したんだからさ」


「緑ちゃんの好意を、無駄にしちゃ駄目だって。……ほーら、一気にいっちゃって!」


 黒髪のツインテールの髪型をした女子、清水双葉が言う。


 その声に合わせて、クスクスと笑いが起きた。


 猛獣の檻の中に、間違ってハムスターが紛れ込んでしまったのか、いかにも気が弱そうな雰囲気をしたショートヘアの小柄な女の子。たしか――望美川静流だったはず。


 静流は、逃げたくても逃げられない状況だった。目の前に置かれている《料理?》とも呼べないものをジッと見つめていた。


 静流は、ようやく顔を上げた。


「私、自分のお弁当がありますので!」


 ばんっ! と、椅子から立ち上がった。

 次の瞬間、静流は脱兎のごとく駆け出した。


「あ! 待て!」


 清水双葉が、叫んだ。


「こいつ……!」


 緑の取り巻きの一人、綾野小夜が睨みつける。


「麻夕里、捕まえて!」


 緑が、怒鳴った。


「オッケー」


 静流の前に、高身長の女子、一宮麻夕里が壁として立ちはだかった。肩を思いっきり掴み、もう一度、椅子に座らせる。


「……きゃっ!」


 静流は短く悲鳴を上げた。


「あんまし、手間掛けさせるなよ」


 麻夕里が、忌々しげに言う。


 すると、突如、緑が何か思い出したように、ぽんと手を叩いた。


「そうそう。私としたことが……この料理にはまだ隠しソースがかかってなかった。これじゃ……望美川さんが食べてくれないのも、納得……」


 さっきはごめんね。と、1ミリも思っていない言葉を静流にかけ、鞄から白い液体が入ったビンを取り出し、それを料理にかけた。そこからは、何とも言えない。牛乳を一週間くらいひたした雑巾を、洗わず、そのまま干したような臭い。悪臭が、鼻の奥を一気に突き抜ける。嗅ぐだけで、それこそ気分が悪くなりそうなものを、緑は満面な笑みで、静流に「あ~ん」と口元に近づける。


「やめてっ……!」


 緑は、身を乗り出した。


「も~う……好き嫌いは……よくないぞ? ほら、ほら……」


 その言葉を合図に、取り巻きの女子たちは、静流の口を無理やり開かせ、料理を口の中に入れる。それを必死に吐き出そうとするが、手で口元を押さえつけられ、そのままごくりと、口の奥に流し込む。静流は涙目になりながら、むせ返り、その場で泣き崩れた。


「……まだ、たったの一口じゃない? ほらほら、おかわりはまだ、こんなにいっぱい、あるからね?」


 緑は他のものにも手を伸ばし、それを、また静流に食べさせようというのだ。


 静流は顔が真っ青になり、「うッ」と胃の中のものを、床に吐き出した。


 緑の表情が、一気に険悪なものに変わった。


「きったな……っ! ちょっと、やめてよ。これ、汚したあんたが掃除しろ!」


 緑は、すたすたと掃除道具入れに近づき、壊す勢いで扉を開け。そこから、お目当てのモップを乱暴に掴み、静流の身体へと投げつけた。


 わたしは自然と体が動いていた。

 ……もしかしたら。

 見ていられなかった、だけかもしれない。


「いいかげん……やめてくれる……そこで騒がれると……迷惑なんだけど?」


 誰? と、緑が鋭い形相で振り返った。


「あぁ、なんだ、立花さんじゃない。ごめんね。変に騒いじゃって。……今は見ての通り、取り込み中でさ。あとにしてくれる?」


 緑が、露骨に空気を読めよといった態度で、わたしを見ていた。


「――わたしも、そうしたいけど、そこで騒がれると、迷惑だから」


 緑は、眉根に皺を寄せた。


「何……? その目、まさかとは思うけど、中学の時みたいに――暴力事件を起こそうっていう気なのかしら?」


 突如、周りの生徒達が騒ぎ出した。


「……えっ?」

「なに? なに?」

「それ、何の話……?」


 思ってもみない反応に、緑は機嫌をよくしたのか。周りの生徒達の顔を確かめるように、わざとらしく大きな声で叫んだ。


「あれー? 知らないの? ここにいる立花さんは……担任教師を椅子で殴り……半殺しにしたって話……? そ

うだよね?」


 場の空気が《最高潮》に達したところで、緑が振り返った。


「だったら、何? 今は関係ないでしょう?」


 周りの生徒達は顔を見合わせ、またザワつきだした。


「うわー、やっぱり、あの噂って、本当だったんだーっ!」

「立花さんって、なんか、怖いよね……」

「いつも一人だし、不良?」

「近づいたら殴られるかも! ははは!」

「やめときなよ、睨まれるって」


 緑が、にやりと笑い、胸の前で腕を組んだ。


「で? そんな立花さんが……なに? もしかして、望美川さんの肩持つつもり?」


「……べつに、肩持つつもりは、最初からないけど」


「そうだよね。立花さんは、人に《無関心》だもん。ていうかー、もう邪魔だから、どっかに行っててくれるかな?」


「……そうはいかない」


「は?」


 緑は、その笑顔を崩すことなく、わたしを見る。


「立花さん。私、思ったんだけど……立花さんって、コミュニケーション能力が足りてないじゃない? ほら、普段全然しゃべらないから、もっと他の人とも、喋れるようになった方がいいと思うな」


「そうね。あなたの言うとおり。でもね……。そこは《わたしの席》なの。そこで騒がれると、迷惑だから」


 緑たちは顔を見合わせ、麻夕里が腰掛けている机が、わたしの席であることに気付いた緑は、どこか納得したように言った。


「あ! そっかー、そういうことか! それならそうと、早く言ってくれたらよかったのに」


 緑に促され、麻夕里は渋々と移動した。


「……はい、どうぞ」


 緑は、わたしに手を差し出す。だが、わたしは一歩も動かなかった。


 それを不思議に思った緑は、首をかしげる。


「どうしたの? 早く座れば?」


「あなたは……それでいいの?」


 質問の意図が分からず、緑は戸惑う。


「それは、どういう意味? かなあ……?」


 緑の、もう、ここまでくると不気味としか言い表しようのない、身の危険すら感じさせられる、笑みが、じっとわたしの顔を覗き込む。突然、自我が芽生えたフランス人形にでも見られているような気分だ。それはいったん、脇にでも置いといて。わたしの視線は、緑ではなく、その下で泣き崩れる。静流に向けられていた。


 そしてもう一度。

 わたしは言う。


「あなたは……それでいいの?」


 静流と、目が合った。


 だが、静流は静かに、項垂れる。


「望美川さんに、何を言ってもムダよ?」


 それよりも――と、緑の手が、わたしに向けられる。

 ……意図がわからない。


「私、前から立花さんと、友達になりたいと思っていたの。ねぇ、どうかなぁ。私たち、友達にならない?」


 わたしは、眉根に皺を寄せ、半信半疑の表情で訊ねた。


「冗談でしょう?」


「そう見える?」


 緑は、差し出した手を引っ込めようとはしなかった。

 わたしは、深い溜め息をつき、ゆっくりと手を伸ばす。


 緑は、喜んで、わたしの手を取ろうとした、その時、「やっぱやめた……」と、わたしは手を下ろし。この手を、彼女に向けた。


「そんなところで、一人泣いていても、あなたの世界は何も変わらないわよ?」


 わたしは、静流の手をつかむ。


「えっ」と驚きを隠せない静流の顔を横目に、わたしたちは教室を飛び出した。後ろの方で、何か叫んでいたような気もするが、全部無視してやった。きっと与太話よ。近所のおばちゃんの、大して面白くもない話を、長々と聞かされ続けているのと同じくらい、どうでもいいこと。たぶん、ね?


「はあはあ。ど、どこに行く……ですか?」


 静流が、息を切らしながら訊ねる。


「外の世界……」

「え? えっ?」


 何の脈絡のない一言に、静流は、狐につままれたような顔になった。だから続けて。


「外の世界は、あなたが思っている以上に、広いのよ……?」


 静流は、さらに困惑した。

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