12
わたしたちの輪の中に、新たにヒナが加わり。そして、ヒナのこの一言から始まった。
「ゲーセンに行きたい」
「却下。静流は、どこに行きたい?」
「何で! いいじゃ、ゲーセン! 行きたい。行きたいと言ったら絶対に行く! 行くもーン! モーウ! 行きたい。行きたい。行きたい!」
「じゃあ、もう、一人で行きなよ」
「そんなの! ツマンナイ!」
路上でひとり、お菓子を買ってもらえなかった駄々っ子のように、ヒナは大声で暴れ出す。そんな姿を前にして、わたしは溜め息をついていた。
静流と、目が合った。
「……私は、いいと思うな。ゲームセンター。みんなで行けば楽しいと思うし」
静流が、弱々しく言うと、すかさずヒナの手が伸びた。
「うんうん。わかる。わかる。わかるよ。その気持ち! 静流ちゃんはヒナの味方だ!」
いったい何をどうわかったというのか、静流を味方に付けると、ヒナは勝ち誇る。
これが狙いか……。
「これで二対一だね。多数決でヒナの勝ち。ヒナは、無駄な争いはしたくないな」
「静流が、いいなら。わたしは何も言わないわよ」
――もう好きにすればいい……。
とは言った。……言ったけど……。
「ぐっへっへっへっ! 次はどいつを取ってやろうかなあー。ヒナのゴッドハンドの前では、すべてが無意味! 一流のスナイパーは決して弾を無駄にしない。見える。見えるぞォ! この邪心が宿った瞳からは決して逃れることはできない! ここだぁああ!!! いっけぇえ――っ! よーっしゃあっ!!! とーったあぁああ!!!」
グッと手を大きく上に掲げ、渾身のガッツポーズ。ひときわ大きな声で店内にいる客の冷ややかな目をひとりものにしていた。赤面するわたしは、もう恥ずかしすぎて、今すぐ家に帰りたい。お願いだから。そんな目でわたしを見ないで。
ヒナは、食い入るように、クレーゲームのショーケースの中を覗き込む。
「ねぇねぇ、何か欲しいものがあったら遠慮なしに言って。静流ちゃんもさ、ヒナが何でも取ってあげるから!」
そう言うと、ヒナは宝石のようなキラキラとした瞳を、こちらに向ける。
さすがの静流も、これには苦笑いを浮かべた。
「あれは、もう、ほっといていいから。わたしたちは違うのにしましょう」
クレーゲームに夢中なヒナを一人残して、わたしたちは、違うゲームを楽しんだ。
ゲームに疲れたわたしは、静流がメダルゲームをしている姿を、ただ呆然と眺めていた。
すると、後ろの方が、やけに騒がしい。後ろを振り返る。一度ではなく、二度振り返った。
人混みの中、その中心に、ヒナの姿が、どうやらダンスゲームをしているようだ。そこに人が集まっている。モニターの前で――ヒナはスカートを履いているにもかかわらず、リズムに合わせて――ぴょんぴょん、ぴょんぴょん、兎のように飛び跳ねる。ステップ、脚を交差し、くるりと一回転。派手なパフォーマンスを披露していた。ときおり、スカートの中が見えそうになる。危なっかしくて見てられない。だけど、目が離せなかった。
ヒナの圧倒的なパフォーマンスを前に、ギャラリーの熱はさらにヒートアップした。曲も終盤にさしかかり、リズムが一気に加速した。複雑な記号が次々と雨のように降ってくる。それにも懸命に食らいつく、ヒナの額から、大粒の汗が噴き出していた。そして曲が終わり、画面には《パーフェクト》の文字が表示された。
ヒナは息を整え、そして振り返り、にっこりとピースサインを送った。その瞬間、どっと歓声が沸き起こる。拍手喝采の中、ヒナは、こちらに気づき、手を振った。わたしたちも手を振り返す。
「ふ~う、あづぃ~」
ヒナは、恥じらいもなくスカートの中をパタパタと扇いでいた。
そこに、わたしたちがやって来る。
「あのね、あのね、ヒナちゃん。とても、かっこよかったよ!」
静流は、心からの賛辞を送った。
「あっはは、そんな大袈裟すぎるよ。こんなの誰にでもできるって」
「そう? 初めてやるゲームで、いきなり《パーフェクト》を出す人はそんなにいないと思うけど?」
「えっ、ほんとう?」
静流が、驚いたように言う。
「もーう、そんなに褒めても、何も出ないよ? うん、まあ、その……なに? 才能の無駄遣いみたいな……?」
「……うらやましい――」
わたしは、ボソッとつぶやいた。
「うん? 今なにか言った?」
ヒナが振り返って、わたしの方を見た。
「何でもない」
わたしが素っ気なく言うと、ヒナは長い睫毛を蝶のように羽ばたかせて。
「そ?」
と、不思議そうに首を傾げた。
運動したあとは、ヒナも少しは静かになると思っていたけど、そうでもなかった。
「さっきから。ぐうぐう、うるさい」
ヒナは、むっとして頬を膨らませた。
「仕方ないじゃん。生理現象だよ。それに、朝から何も食べてないしぃ!」
店を出たあと、わたしたちは大量に荷物を抱えていた。そのほとんどが、ヒナの取ったクレーゲームの景品である。これを、今からコインロッカーに預けに行くところだった。
「静流。だいじょうぶ。疲れてない?」
「だいじょうぶ。私は平気! それより、もう少し持つよ?」
「いいの、いいの……。気にしないで。じゅうぶん、助かっているから」
「そうかな?」
「持ってくれるなら。ヒナの分を持ってくれても、いぃのだよぉ~? 筋トレになるしね」
「……そう? じゃあ、お言葉に甘えて――」
わたしは、抱えていた大きなぬいぐるみを、ヒナに押し付けるような形で返した。
「うぐっ、あ、やばい、助けて。前が見えない」
「……筋トレになるんでしょう? だったら、鍛えておかないと」
「たしかに、そうだけど。ごめん、たすけてぇ~。ヒナの腕が、生まれたての子鹿のように震える。もぅ……無理!」
何だか見ていて、かわいそうになってきたので、仕方なく持つことにした。もともとは、ヒナの荷物なのに、駅に着くとロッカーに荷物を預ける。実は、最初に買ったわたしの荷物も、ここに預けていたりする。
「これからどうする?」と、わたし。
誰よりも早く、ヒナのお腹が返事をした。
「ごめん、ごめん。つい、ねぇ~?」
ヒナが、恥じらうように言う。
「お昼にしない?」
そう提案したのは、静流である。
ヒナの目が、キラキラと輝き出す。どうも、わたしは、この目に弱い。ヒナの行き過ぎた行動を許してしまうのは、この目が原因かもしれない。
「そうね。わたしも、そう思っていたところ」
お昼には遅い時間帯だった。だが、かえって、それが、よかったのかもしれない。わたしたちが入ったファミレスは、ほとんど席が空いており、席を自由に選ぶことができた。
窓辺の近くは避け、後ろの壁際の席に座る。
わたしの横に、ヒナが座り、正面に静流が座った。
「今日は、ヒナが、おごってあげる。だから、好きな物を頼んでいいからね」
「どうしたの? 今日はやけに、羽振りがいいけど……」
ヒナは、にやりと笑い。
「臨時収入があったからね」と答えた。
にこにこ笑う――祖父の顔を思い浮かべ、わたしは何となく察した。
「あっそ」
きっと悪知恵を働かして得た、ロクでもないものに違いない。
それぞれの注文を通す。
ヒナはチーズハンバーグ、静流はエビフライ定食、わたしはオムライスを注文し、ついでにドリンクバーもつけてもらった。
「静流、飲みもの取りに行こう」
「うん」
「ちょっと、待った――っ!」
ヒナが、パッとわたしの腕を掴んだ。
「……なに?」
「お姉ちゃんの分は、ヒナが選んできてあげるから」
「べつに、いいけど……。変なもの混ぜないでね?」
「わかって、るって! 行こう。静流ちゃん!」
ヒナが、静流の手をぐいぐい引っ張っていく、その背中を見送った。
「…………」
「お待たせーっ! はい。これ」
目の前に、オレンジジュースが置かれた。わたしは瞬きをする。
「ありがとう」
「お姉ちゃん。昔から、オレンジジュース好きだよね?」
「……うん」
わたしは、自然と笑みを浮かべていた。
静流は――コーヒーか。ある程度は予想していたけど、それは、エビフライ定食に合うのだろうか? ごはんとコーヒー。うーん、考えただけでも、口の中が苦くなりそうだ。
ヒナは、お茶を選んだようだ。しばらくすると料理が運ばれてくる。最初に来たのはヒナのチーズハンバーグ。本人曰く――ヒナの辞書に《待つ》という言葉は載っていないらしく。目の前に来たハンバーグを、お箸片手に、ものすごいスピードで食べ始めた。あっと気づけば、もう半分近くはなくなっている。次に来たのが静流のエビフライ定食。ヒナと違って静流は待ってくれていたが、せっかくの料理が冷めてしまうと思い。
「わたしに、気を使わなくていいから、先に食べて」
「そうそう、料理は出来立てが、一番おいしいんだよ!」
それには、わたしもヒナに同調する。
静流は、うなずき、ちまちまと食べ始めた。
それにしても、遅いなと思う。わたしのオムライスだけが、まだ来ていなかった。ヒナは、すでに食べ終えており、ストローでお茶を啜りながら、静流のエビフライを、どうやって頂こうかと、必死に考えているようだった。
ヒナは、にやりと笑い。そっと手を伸ばした。わたしが机の下から脚で蹴って止める。狙われていることにも気づかず。静流は、子リスのような小さな口を、もぐもぐと一生懸命動かしていた。そこに、ようやく、わたしのオムライスが運ばれてきた。
待ちに待ったこの瞬間、オムライスの卵が、ふわふわ、とろとろで、そこにデミグラスソースの香りが、さらに食欲をそそる。オムライスといえば、やっぱ、これ……。
ぱっと横を見ると、なぜか、ヒナがスプーンを持っていた。
「それ、わたしのスプーン、返して」
「一口ちょうだい!」
「だめっ」
スプーンの奪い合いが始まった。このままでは埒が明かない。
「もう、わかったから、一口だけ! それ以上は……駄目!」
「わかってるって」
ヒナがお皿を持った瞬間、悪い予感は的中した。ヒナの、サイクロン式掃除機のような吸引力と、ブラックホールのような胃袋が、わたしのオムライスをどんどん吸い込んでいく、光をも飲み込みそうな勢いのところ、すかさずチョップ。なんとか、お皿を奪い返す。オムライスの半分近くが、ヒナの胃袋におさまった。
残り少なくなったオムライスを見て、泣きそうになった。むっと睨み。ヒナの額に、わたしの渾身のデコピンが炸裂した。
「――いッたぁあぁああぁ!」
「これで、チャラにしてあげる。食べ物の恨みは恐ろしいんだからね……っ!」
ヒナは額を抑え、こくりと頷いた。
食べ終わった後――何だか気持ち悪くなり、わたしは、一人うつむいていた。
「立花さん。だいじょうぶ? 顔色が悪いよ?」
静流が、訊ねる。
「ちょっと、ね」
一言ことわって、わたしは席を立った。
「お姉ちゃん。まーた、食べすぎてる。ああなると、なかなか帰ってこないからね」
ヒナは、どこか、呆れ気味に言った。
「後先考えずに食べるクセは、今もそうだけど。ほんと、困るよね? せっかく、オムライスを少なくしてあげたのに、最後に、パフェを頼むだもん。お姉ちゃんの胃袋じゃ、入らないって」
「もしかして、オムライスを食べたのは、ワザと……?」
静流が、何かに気づいたようだ。
「……うん。実は、お姉ちゃん。昔から胃が弱くて。でも本人は食べたがるから。ヒナが止めてあげないと。このことは、ふたりだけの内緒にしといてね?」
ヒナは、片目を閉じて、人差し指を唇の前においた。