死体の夢
「猫に脳移植して下さい」
縋るような声で言われたソレは、私の頭に巨大なクエスチョンマークを作った。
ー◇ー
渡辺医院。
脳神経外科であるここは、私が院長として勤めている場所だ。
基本的にウチでは金さえあれば何でも出来る。そのため一癖二癖もある人物がこの医院を訪れる。
そして、今日も。
「久しぶりねぇ。村山雫よ。覚えてる? 」
朗らかな笑顔で話しかけてくるのはパーマがかかった髪が印象的な中年の女性。
高校時代のクラスメート……らしい。先ほどまで忘れていた。というか言われるまで分からなかった。
だがこれは仕方の無いことだと思う。
私の記憶にある限りでは、彼女と私はまともに話したことはなかったはずだ。おまけに高校時代の彼女は教室の隅で一人で読書をしているようなタイプで、今の明るい様子からは想像も出来ない。
「もちろんですよ。それにしても雰囲気が随分と変わりましたね」
「えぇ。主人と死別してからちょっとね」
彼女がハキハキと言った。
見たところ彼女に問題がありそうな様子もなく、同伴者がいるわけでもない。
彼女はなぜ来たのか。
「……それにしても、なぜ今日はこちらに? 」
そう聞くと彼女の顔が嘘のように暗くなった。
「敦史を、息子を猫に脳移植して下さい」
「はぁ? 」
息子の脳を猫に移植? この女は何を言っているんだ。
「ふざけたことを言わないで下さい。こちらは商売なんです。責任があるんです。どうせ責任に見合うお金も持っていないでしょう? 」
「お金ならあります」
だん、と私の声を遮るように彼女は言った。
「五百億。それならどうです? 」
「そんなお金、どこで……まぁいいでしょう。話は聞きますよ。話はね。引き受けるかどうかはその後です」
金があるんなら、話だけは聞こうじゃないか。
そうして彼女は話し始めた。
「敦史は亡くなった主人の残した形見でね。一人息子なんです。中学二年なんでね、反抗期ですよ。反抗期。それでことあるごとに喧嘩して、反発されて。あの日も、そんな感じでした。喧嘩して、飛び出して……事故に遭ったんです。すぐに病院に搬送されましたが、脳死ですって。でも温かいんです。握ると握り返してくれるんですよ」
そう言って彼女はまた明るく笑った。
「きっと生きてるんです。体が動かないだけなんですよ。だから! 脳移植をして下さい……」
脳移植、それも猫にねぇ。
「でも脳死って診断されたんでしょう? 」
「でも! 心臓はまだ動いてる! それに手だって握り返してくれるんです! きっと生きてるに違いないんです! 」
「村山さん。それはきっと反射のようなものだ。何か意図があってやったものではない。直に心臓だって止まる。今日がその日であってもおかしくないんだ」
「でも……」
「それになぜ猫なんです? 」
「私だって本当は人が良いですよ。でもそのためにはまた別の人が必要です。なら、猫でもいいから息子と共に居たいんです」
エゴだな。エゴ極まりない。だが……。
まぶたの奥を五百億がちらつく。
「前代未聞です。成功しても失敗してもこちらは一切責任を負いません。それに……どうであれ五百億は貰いますよ」
私は引き受けることにした。
ー◇ー
患者はいつ死んでも(脳死なのだから既に死んでいるのだが)おかしくないので、その日の内に村山と話し、全てを決めた。
それにしても……。
早く五百億を拝みたいものだ。
金、金、金。
金は力だ。特にこの資本主義社会において、それは顕著に現れる。世の中金で動いているのだから。
村山を通して相手方の病院と話をつけ、手術は二日後の早朝からということになった。
あぁ、通帳の五百億が待ち遠しい。
その日はぐっすりと寝た。
ー◇ー
手術室に運ばれる二つの生き物。
一方は死体で、一方は生きている。そして一方は年若い人で、一方は年若い猫である。
この少年が敦史なのか。
健康的な肌。パーマがかかった髪。確かに村山と似ている。
血色の良い彼は、パッと見る限りではただ寝ているようにしか見えない。
そして、並べられた二つの体に麻酔をかけ、前代未聞の手術が始まった。
ー◇ー
ふぅーと思い切り息を吐く。
終わった。
手術台にいるのは本当にただの死体となった少年と少年となったはずの猫。いや、そもそもの話、脳死は脳が死んでいるから脳死なのだ。死んでいる脳を移植したとしてもそれは変わらない。だから私がしたことはただ死体を増やしただけのはずなんだ。起きるはずがない。そのはずなんだ。なのに……。
一週間後、“彼”は目覚めた。
声を掛ければしっぽを揺らし、そちらに顔を向けてにゃあと鳴く。
ペンを取ってきてと言えばペンを咥えて持ってくる。
他にも色々とあるが、簡単に言えば意思疎通が出来ていた。それも、猫にはあり得ないほどの高度なものまで。
“彼”は本当に彼なのだろうか。
喋らない猫の真実は分からない。
色々と疑問と不安に溢れる私に対し、村山は。
「本当に、本当にありがとうございます。五百億は振り込んでおきました。この恩は忘れません」
と、しきりに感謝していた。私の医院で暫く様子を見た後、問題がありそうな様子もなく、元気に動き回っていたため、“彼”は村山に引き取られていったのだった。
ただし懸念が一つ。
“彼”は村山と会うときだけしっぽを膨らませていた。猫がしっぽを膨らませるとき。それは……。
――――威嚇しているとき。
「先生! 大変です! 」
ある日知らせは来た。
「村山さんが猫に殺されたそうです。それも、喉を噛み千切られて」
「……そう」
猫が何を考えたかなんて分からない。
“彼”が何を思ったかなんて分からない。
一度死んだ死体が何を思うかなんて、誰にも分からないのだから。
読んでいただきありがとうございます。
この小説、実は1回書いたところを保存し忘れで全消ししちゃったんですよ。心が折れそうでした。
皆さんも小説に限らずこまめに保存、気を付けた方が良いですよ。