第8話 宮永グループ
その日の昼休み、俺と川上は学食を訪れていた。
クラスの別があるわけでもないこの場所は、二年三組で今朝起こったことなんて素知らぬといった風にごちゃごちゃしていた。それが何だか不思議と落ち着けて、深く椅子にもたれてしまう。
あれからずっと、藤原たちとは目も合わせていない。
大部屋の隅のテーブル席の、そのまた端っこ。俺の向かい側に座る川上は、すすったラーメンを咀嚼し終えると、いくぶん疲れたような笑顔を見せた。
「まあ、友達になろうって言ったの俺だしさ。嫌われ者になるくらい付き合ってやるって」
「連れションしよう、みたいに言うな」
「でも俺、気持ちよかったぜ。彰人が言いたいこと言ってくれて」
「そうか」
「まあ、元気出せよっ。あれは彰人じゃなきゃいけなかったんだって。俺だと、あのグループに仲良いやついたりするし、あそこまで踏ん切りつけらんねーって」
「あいつらとやり合って、どうなった? 何かが変わったわけじゃない」
「天沢、どうすんだろうな……」
「時々、分からなくなるんだ」
自分のトレイの上に置かれた、未開封のプロテインバーを見つめる。食べ物にこだわる気がないから毎日これなんだが、今日は一段と食べる気が起きなかった。
「怒るにしても、どう怒るのが正解なんだろうな。そりゃあ俺だって少しはスッキリしたけどさ。俺だけ気分良くなって、天沢が不利益を被ったら意味ねーだろ」
「クラスメートがズレたことしてたから誰かが言ってやる、それじゃダメなのかよ?」
「さあな」
結局のところ、俺は言うべきと思ったことを言ってやっただけだ。
これで状況が動くわけでも、天沢が抱える問題が減るわけでもない。それは本人が行動して初めて変わる話であって、そういう意味じゃ、宮永彰人って奴はどこまで行っても部外者だった。
もし天沢が藤原グループに留まるのなら、嫌われ者の味方はできないだろうし、今よりもっと自分の意志を伝えられなくなるかも知れない。
もし抜けるのなら――いや、今更抜けるなんて選択肢があるのか? 声をかけきているのは藤原の方なのに、俺じゃないんだから、クラスの王子様に面と向かって『嫌いだ』なんて言えるだろうか?
――と。
俺は俺の行動した結果を、唐突に知ることになった。
「あっ、いましたっ。宮永くーんっ」
向こうからいそいそと駆け寄ってくるのは天沢だった。その後に、朝からしかめっ面を崩さない如月が不承不承といった風に続いてくる。
「おっ、天沢じゃん……あれから、大丈夫だったの?」
「はあ、はあっ。えと、ごめんっ……教室からさ、こっそり抜け出してきたのっ」
抜け出してきた? 藤原たちを振り切ってきたってことか。
「……まあ、座れば」
俺が促すと、天沢が川上の隣に腰をかけ、そのまた向こうに如月が座る。
二人ともそれぞれ自分のトレイを持ってきていたが、食事に手をつけずに黙り込んでいた。奇妙な日だと思う。クラスの秩序をぶっ壊した後に、女子と昼食を取ることになるなんて。
俺と川上はどうしたものかと視線を交わしたが、待つことにした。
「昨日から考えていたんだけど――」
言葉が途切れた後に、天沢はふと思い切った風に身を乗り出してきた。
じっと見てきて、すぅーっと息を吸い、言うのだ。
「私っ、宮永くんに弟子入りしたいと思うんですっ!」
――は?
一同が静まり返る。
川上の顔には面白がったような笑みが広がり、如月はため息をついたが、当の天沢は大真面目って感じな顔を崩さなかった。
どういう展開だ、これ。
「ダメ、かな?」
「ダメも何も、何事だよ。弟子って」
「……一応言っておくけど、私は止めたわよ?」
朝は冷ややかだった如月のオーラも、今は疲れた表情に取って代わられていた。こいつにとっても色々あった日だったに違いない。友達を庇おうと久々に学校に来たと思えば、今度はその友達が、大して信用もしていないクラスの男子に弟子入りしようと言うのだから。
心底同情してしまうが、一度進み始めた天沢は止まらなかった。
「私、あなた羨ましいです。自分の考えを、相手を選ばず、あそこまでハッキリ言える人を他に知らないから。これでもね、私、藤原君に言おうとしたんだよ? 私には、紗希が一番大事なんだって。あなた達と、少し距離を取りたいんですって」
知ってるよ。伝えようとは、してたんだよな。
俺は頷きだけでそう返すと、天沢の目は暗く沈んだ。
「無様、だったでしょう?」
「別に、そうは思わないけど。むしろ、俺の指摘で無駄に背負わせちゃったかなって」
「そんなこと……絶対ない。私も、誰かが言ってくれるのを待ってたんだと思う」
上品で控えめな、お嬢様キャラ。
そんな役回りを期待されたはずの少女の表情は、一瞬のうちに目まぐるしく揺れ動いた。自分を卑下するように下を向いたりしたかと思えば、次の瞬間には、力強く瞳が光ったりする。
人のことは、本当に分からないもんだなって思う。
俺は今まで、いや昨日までと言うべきか、こんなにハキハキと喋る天沢を見たことがなかったから。
「本当はね……こんなこと、ありえないんだよ? こんなに他人のために言ってくれる人、他にいるわけないもんっ。普通、あいつバカだなーって思って終わるところじゃん。それでもあなたは、弱い私にも、強い藤原君たちにも、分け隔てなく堂々としていて…………それで私、宮永君みたいになりたいって、本気で思ったの」
俺は恥ずかしかったのか、嬉しかったのか、それとも不安になってしまったのか、いずれにせよ顔を背けてしまう。
――言葉が続くほど、天沢の透き通った声に熱が籠った。
「わがままで迷惑だって思ってる。でもね……あなたにしか、頼めないと思う」
そうして、頭を下げて、言うのだ。
「宮永君。あなたから、学ばせて下さいっ」
私を強くしてください。好きな人に好きと言える力を、拒むべきものを拒む勇気を下さい。そう締めくくって、彼女はまだ頭を上げずにいた。
俺は天沢の訴えを、すぐには受け止めることができなかった。
川上が突っ込んでくれるまで、これが現実とは思えなかったほどだ。
「いいんじゃねーの、彰人? ってことは、俺にとっては妹弟子ってわけかァ」
「はいっ! 私、川上君とも仲良くしたいですっ」
「おい、ちょっと待てよ。師弟システムなんて最初からねーし、具体的に俺は、どんな顔して何すればいいんだって話だ。頼ってくれるのは嬉しいけど」
天沢は大きな瞳をきょとんとさせる。
一年の頃は眼鏡をつけていたわけだから、俺にとっては慣れない顔がそこにある。こうも元気そうにされると、まんま朝ドラに出てくる活発なヒロインって風情だ。
「なるべく教室の中で、お二人の近くにいて、話したり遊んだりする中で色々学ばせてもらおうって思ってるんだけど……嫌、かな?」
「それ要するに友達になろうってことか? 別に嫌じゃないけど、天沢にとってリスクやばくないか? 俺、今さっきクラス一の嫌われ者になったばかりなんだけどな」
「……同感よ」
如月はもう睨むことこそなかったが、冷徹そうな視線を崩すこともなかった。
「藤原は優男かも知れないけど、周りは違うでしょ。私、優衣があいつらを敵に回すのが得策とは思えないわ」
「でもでもっ。それだと何も決めたことにならないと……思うのっ」
「ロクな事ないわよ? カーストの底に落ちたりなんかしたら」
「紗希と友達のままでいられるなら、私、それでもいいもんっ」
俺は、現実から逃げるような考え方は嫌いだ。
ただこの時ばかりは、頭に浮かんだ言葉が声にならずに、頭の中をぐるぐる回った。要するにそれは、俺からすれば心底言いづらいことだったわけだが――ああ、川上にとってはそうじゃないらしい。こいつはやたらと楽しそうに、俺が思っていた通りのことを口にした。
「落とし所としては悪くないんじゃね? それ要するに、藤原グループに対する宮永グループってことだろ?」
そのワード、永遠に聞き慣れないだろうな。
俺は肩をすくめた。
「……その泥舟、多く見積もっても二人用じゃないか?」
「よく考えてもみろよ。俺ら、そんなに弱いグループじゃないって。藤原たちと対等以上に渡り合える彰人に、最近まで王子様と仲良くしてた天沢、まあ俺は運動部ってだけだけど、あと一人は――」
「何よ。なんでそこで私の方見んのよっ」
如月を見つめる視線は三者三様だった。
天沢は目をぱちくりとさせ、川上は『言わなくても分かってんだろ?』とでも言いたげにニヤけた。そして俺は、うんざりするほど川上の言い分が理解できてしまうのだ。
なるほど、色の濃い集まりになることは間違いない。
「つまり、こういうことだ。あんたが明日からも学校に来て、天沢と友達らしく絡む姿をみんなに見せれば、藤原たちだって天沢の意思がどこにあるのかくらい察するだろってことだ。良かったな、大事な友達を守れて」
如月は一瞬だけ固まる。
正気に戻ったのか、頭に血を登らせたようにムッとする。
すると、不服そうに指をさしてくるのだ。
「はああああ!? ちょ、調子乗ってんじゃないわよー! 何で私が、あんたらの仲間としてカウントされなきゃなんないのよっ」
「別に誘ってるわけじゃないぞ。そりゃあ今までだって何かしらの事情があって来てなかったんだろうし、明日から来れなくなったとして仕方がない」
「んー、まあ、そこは本人の意思で乗ってくるんじゃねーの?」
「不思議だな。実は、俺もそうなんじゃないかって思ってる」
ハイファッションの不良少女。
告ってきた男子全員を虐殺し尽くした、学園の裏ヒロイン。
そのほかにも様々な強キャラ伝説が囁かれている女子だが、実態はまだ分からないことも多い。とはいえ、昨日から今日の朝まで、この謎多き女子が明らかに隠せていないことが一つだけあった。
「友達を守れる方法が一つしかないなら、そうするんだろ。ぶっちゃけお前、見てる限り、ただの友達想いのいい子だしな」
どうせ、多少嫌でも乗ってくるんだろ?
その程度の意味しか込もっていない言葉だったが、しかし、如月のクールな顔はみるみるうちに赤面していった。
「なっ……うっ、うるさいっ! 何よいい子って、突然やめて……っ」
動揺するの、早くないか? 分かりやす過ぎないか? そんなんで今まで、私孤高なんですって顔してたのか? 俺は浮かんだツッコミをつい口にしそうになったが、逆上されても困るので流し――たつもりなのだが、思わぬところから援護射撃が入る。
天沢は屈託のない笑顔で吹き出した。
「ふふっ、ふふふふふっ。早速可愛いところを一つ見抜かれちゃったね、紗希」
「ちょっと、優衣までっ! うぅ、今日はあんたのために来たのに……ばかっ」
「で、どうなんだ? 明日は来るのか?」
「………………嫌よっ」
答えるまで随分と長い間があった気がするが、本当に嫌なのかどうかは明日以降の行動で分かるだろう。明日俺たちの輪に如月がいるにせよ、いないにせよ、やることは変わらない。
「まあ何であれ、だ」
乗り気だったのかというと、違う。こういう役回りが自分に向いているとも思えない。しかし、俺がやらなければどうなる? もしこの状況を放置して、天沢が藤原たちの元に留まるにしても、今までと同じ扱いというわけにはいかないはずだ。
俺は誰かの師匠になんてなれない。
カーストとかグループとか、そういうのも大っ嫌いだ。
でも一つ、確かなことはあった。
「俺は、ここにいる三人全員が、好きか嫌いかで言えば間違いなく好きだ。川上は率直で、如月は友達想いで、天沢には――勇気があるから」
「え、私に……?」
「当たり前だろ? ちゃんと自分の意志を伝えてやろうって決心、そんな簡単じゃないと思うし。俺はそういうの慣れてるから勇気が必要ないだけでさ」
最初の一歩は、いつも難しい。それは俺にも言えることだ。そして本当の意味での一歩目というのは、藤原たちに対する一言ではなく、今この瞬間なのかも知れない。
良くも悪くも、後戻りなんてできないから。
「こういうの、全く嫌じゃない。グループとか派閥とか、そういうダルいことじゃなくて、互いが互いを好きだと思えるなら何だっていいだろ? 先のことなんて分からないけど――」
全員を見回す。
川上と天沢は満足そうに目を輝かせた。如月は赤くなった顔を背けたが、最後には目を合わせてきた。
そして最後に、自分でも驚くほど素直な言葉に繋がった。
「お前らさえ嫌じゃないなら、俺と友達になろう」