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第5話 分岐点

 やることは一つだった。

 こうしてあいつら二人のやり取りを覗き見たままでいるべきではないし、第一、俺は教室に用がある。会話が終わるまで待ってやるような義理は少しもない。


 俺は、嫌な予感を踏み潰すようにドアを開く。

 ガラガラガラ。ピタッ。


「おい、宮永ちょっと!」


 七河先生が止めようと手を伸ばした時には、もう俺は教室に足を踏み入れていた。先客二人の視線が俺に集まったが、気にしなかった。俺に引っ張り出された形になった七河先生が「はぁ、君も君で強引な男だな……」とか後ろでボヤいているが、それがどうした。


「何よ。あんたら」


 如月がキッと表情を冷たくして俺たちの方に向いた。

 明らかに訝しんでいるらしく、さっきまで天沢に向けていた表情とは打って変わって、まるで子供を守ろうとする母ライオンみたいな緊張感だ。

 が、それを言えば、きっと俺も同じような顔をしているのだろう。よく目つきが怖いって言われるし。


「……聞いてたの?」

「何を」

「私たちの会話」

「聞いてたというより、聞こえてたな」


 多分、ここが分岐点だった。

 こんなのは全く俺と関わりのないことだ。余計なことを言うべきじゃない。それに、もしこのまま荷物だけ取って帰れば、何事もない今まで通りの日々が続くだけだったはずだ。取るに足りない、意味もない毎日の繰り返しが――


 だが、そうはならなかった。

 いてもたってもいられないことって、あるだろ?


「率直に言って、下らねーなって思った」

「…………は?」

「天沢のそれ、悩むほどのことなのか? 昼休みのやり取りとか嫌でも全部聞こえてたから、大体どんな話なのか把握してるつもりだけど」


 言うまでもなく、如月の表情には敵意の色が広がっていった。もし七河先生が間に入ってフォローしてくれなければ、胸ぐらを掴まれるくらいはされたのかも知れない。


「あんたに優衣の何が分かるの。いきなり出てきて……!」

「まあまあ、二人とも落ち着け。如月、お前の怒りはもっともだが、学校に来たなら挨拶くらい来てもいいじゃないか。先生、これでも心配してたんだぞ?」

「お気に入りの生徒と一緒に盗み聞きですか。いい趣味してますね」

「そんなんじゃねーよ。荷物取りに戻ったら、たまたまあんたらがいたってだけだ」

「…………そう。もういい、優衣、帰ろ」

「紗希、ごめん……ちょっと待って」


 割って出てきたのは、天沢だった。

 自分で如月の前に出てきておいて、俺と目を合わせるや視線を逸らし、また合わせた。俺が天沢という女子に抱いていたイメージ通りの仕草だ。引っ込み思案で、気が弱くて。


 だからこそ、次の言葉に少しだけ驚いた。


「私は宮永君の話、聞きたい……です」


 その苦しそうな表情の中に一瞬だけ期待のようなものを覗かせて、言うのだ。


「前も私と同じクラスだったの、憶えてる……よね?」

「ああ」

「あなたがどんな人なのか、ほんの少しだけ知ってるから。正直な人……だと思う」


 その言葉に七河先生が乗ってきた。


「だそうだ、宮永。君が好むと好まざるとに関わらず、去年の一件でそこそこ有名人になったらしいな。面白くなってきた。これぞ青春って感じだ」

「面白いってあんた。一応これ、生徒のシリアスな悩みなんじゃないっすか?」

()()()()()()()だ。この件で君がどう出ようが放置するつもりはない。宮永が逃げたいなら逃げてもいいぞ。つまらなくはあるが、私が責任を持って預かることにしよう。でも、こういうのは同年代同士でぶつかった方が気持ちいいだろ?」


 先生はちょうど俺たちの間くらいにある席から椅子を引っ張ると、座った。すると足を組んで、『興が乗った』とでも言うような顔を見せる。


「聞かせてくれよ。君は天沢に、一体どうして欲しいんだ?」


 慣れてなきゃ不気味な笑顔だ。

 まったく、やりづらい。

 でも、俺のやりたいことはシンプルだった。


 俺は天沢から視線を外さなかった。緊張からか向こうには逸らされてしまったが、俺は気にせず話した。


「あのさ、なんつーか……自分で決めろよな。藤原たちと遊びたいなら、それでもいい。如月が大事なら、藤原に断りの連絡でも入れればいい。天沢の本音なんて俺には分からんけど、どっちにせよ気持ち悪いのは、まるで他人のせいで、仕方なく今の道を選ばされたんですって顔をしてることだ。その気になれば、自分で選べるのにさ」

「簡単に言わないで」


 如月の表情は冷え切っていたが、どのみち学校で見る度にこういう顔をしていた。


「要するにあんた、優衣の状況が全然見えてないってことでしょ? 優衣は今、藤原たちと上手くやれてるの。ここで下手なことをすれば、優衣の立場は……」


 こいつがどんなやつなのか、俺は知らない。天沢にだけ優しい顔をできる理由も、二人が友達になった経緯も知ることなんてできやしない。俺はと言えば、二人とクラスが一緒というだけ。このままでは関係ないことに首を突っ込むうざいキャラの出来上がりだ。


 そんなことは分かっていた。

 分かっていて、俺は止まれなかった。


「意味が分からないな。何だよ立場って」

「は?」

「藤原瑛二ってやつは、そんなに偉いのか? たまたま何かの偶然で同じ学校に通っていて、そのまた偶然で同じクラスになっただけの同年代の男子が、どうして他より偉いんだ?」

「それは……あれよ、カーストってあるでしょ」


 ああ、やっぱりそれかよ。

 つまんねー話。

 何がカーストだ。

 本当はそんなもの、どこにもないのに。


「二年三組は藤原を慕ってる人ばかりなの。そんな中で優衣は藤原と仲良くなれて――これから最高の高校生活が待ってるのっ! 今あいつの誘いを蹴って私なんかを選んだりしたら、後で何されるか分かんないでしょ。そんなことも分からない?」

「何されるか分からない? もう、何かされてるんじゃないのか?」

「……どういう意味?」

「じゃあ、もっと分かりやすく言う。もし遊びの誘いすら断れないような関係性なら、それは向こうに自覚がないだけで、いじめと大差ないんじゃないのかってことだ」

「……っ! それは、そんなこと……っ」


 その場にいた全員が押し黙った。

 如月はクラスが替わって以降、一度も学校に来ていない。友達が教室でどんな顔をしているか、どんな扱いを受けているかなんてことは、天沢の言葉を通してしか伝わっていないはずだ。そして俺には天沢が、直接的にSOSを出せるような子には見えないのだ。


「天沢は、さっき泣いていた。もちろん天沢の言う通り、如月に申し訳なかったというのもあるだろうけど。それ以上に――一人で、苦しんでいたんじゃないのか?」


 如月は困惑した表情で天沢を見た。


「優衣、新しい友達ができたって、この前あんなに嬉しそうに……」

「その時はね……嬉しかったんだよ?」


 天沢は自嘲めいた笑みを見せた。


「でもね、変だよね? 最近、ガラスの靴が合わなくて、あちこちが靴擦れだらけになってるみたいでさ。ほんとは…………少し、疲れてるのかも」

「だ、そうだ。このままいけば、さぞ最高の高校生活が待ってるんだろうな」

「――っさい、もう喋んないで! 分かってるわよ。全部……私のせい」

「はあ、どうしてそうなる」

「私が、すぐそばにいてあげられなかったからよ……っ」


 歯を食いしばってうつむいた如月を、天沢は優しく撫でた。


「宮永君は、ハッキリ言うよね。ずっと変わらないよね」

「変わらないって、何だ。こう出しゃばっておいてだけど、俺ら、前からたくさん話してたわけじゃなかったろ?」

「ううん、それでも分かるよ。私と君、真逆だもん」


 夕日を映した窓をバッグに、黒髪の少女は握りこぶしを胸に置く。

 強がり、なのだろうか。

 涙を拭いた後の目元が、それでも前を向こうと決心を覗かせた。

 でもそれはまだ不安定で、脆くて、押せば崩れそうなくらいの危うさだったけど、目の奥には確かな光も見えるような気がして。


「私ね、これでも変わりたいって思ってるんだよ? 紗希が世界で一番大事って、本当にそう思ってるから」

「優衣……」

「でもね、正直、荷が重いです。こういうの、曖昧じゃ……いけない? 藤原くんたちとも頑張って仲良くして、私の心だけは紗希のもので……さ」

「いいんじゃないか? 曖昧ってのも一つの選択だ」

「――え?」

「俺、ちゃんと納得して欲しいだけでさ。近くで見てて、天沢が泳がされてるようにしか見えなかったんだよ。藤原たちと一緒に、好かれてるか見下されてるかも分からないようなラインで、それでもなあなあに泳いでいくって決心するつもりなら、それはそれで、俺に止める権利とかないっつーか」


 別に、他人に変わって欲しいなんて思うわけじゃない。

 言いたいことがあるならハッキリと伝えたい、ただそれだけだ。

 ずっとそうだった。言葉にすることで喧嘩になることもあれば、変なやつだって思われたり、避けられるようになったりもした。どれだけ嫌われても、俺はこうしてきた。


「まあ、あれだ……ちゃんと自分で折り合いつけろよな。『あいつらが圧力かけてくるから』って言い訳に逃げるのは楽だけど、そう言いつつ内心傷ついてるやつを見るのは、俺も気分悪いんだよ。ほら、教室って狭いから。声から表情まで、色々見えちゃうもんだろ?」

「それは……ごめん」

「いや、まあ。こっちこそ仲良くもないくせに、好き勝手言ってごめん。言いたいことはこれで全部だから、そろそろ行くわ……じゃあな」


 ふと思う。

 なら俺が抱いた怒りは、一体誰のための怒りだったのだろう――と。

 ただ俺が気に入らないから、という理由なのか。確かにこれはある種の苦情だった。だってさ、こんなの、『隣の部屋の住人がめそめそ泣いててうるさいから文句言った』くらいの話でしかないんだ。


 それとも……他人のための怒りなのだろうか?

 天沢のためか。二人のためか。

 それとも、別の何かのため?


 俺は席からすぐ側にある、後ろ側のドアに手を掛けて――


「なぁ、宮永?」


 随分と愉快そうな、七河先生の声に引き止められた。走って逃げた方がいいと直感が告げていたが、俺は振り返らずとも立ち止まってしまった。


「前にも言ったかな。私、口だけの男は嫌いなんだ」


 何と分かりやすい挑発だろうか。

 でも挑発に乗る時って、いつだって無自覚だろ? 俺は反射的に答えてしまった。もしかするとそのことが、後々起こるアレコレを後押ししてしまったのかも知れない。


 何にせよこの瞬間から、もう後戻りはできなくなったんだ。


「俺もです」

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