第3話 優衣
藤原たちが動くのは想像よりずっと早かった。
何日か経った後、あいつとあいつの周囲はクラス会への参加を募り始め、昼休みになる頃には俺の席までやって来たのだ。
ちなみに俺らの場所っていうのが廊下側の最後尾辺り。
つまり藤原たちから見れば対角線の向こう側ってところだ。
「もちろん行くぜー。俺も、色んなやつと仲良くしてみたいし?」
と、川上は誘われるやいなや快諾する。
「やったっ。ウチさ、櫂くんともお話してみたかったんだぁ」
古橋美園は歯を見せてニカっとした。
別に嫌味でもなければ批判でもないが、あの、いつも藤原に媚を売ってる女子だ。一言でいえば、まあ派手な顔をしている。ミルクティーの色をした髪は手間がかかっているであろうことを伺わせ、元の顔立ちも整っているのだろうが、メイクは更に手が込んでいる。
こういう業務連絡でもなければ、まず話さないような相手だろう。
「実は、俺もまだまだ交友が少なくて。ほら、相棒がシャイだから?」
「あははははっ、最近いっつも一緒にいるよね~。『三組最初のカップルあいつらじゃね?』って、みんなに言われちゃってるよ?」
「あーあ、彰人。俺ら、変な噂になってるみたいだぜ?」
川上は冗談気味に言うと、俺の方を向いて人懐っこくニヤけた。
困ったな。俺に話を振られても、参加しません以外に言うことが何もないぞ。
――いや。
この時、一瞬でもためらっていたのがよくなかった。古橋は、今度は俺の方に駆け寄ってきて、無邪気に肩をポンと叩いてきた。香水の匂いがやたら強い。
「キミ、櫂くんいない時いっつも一人じゃん? 他の友達も作った方がよくない? 三組っていい人ばかりだし、もじもじしなくても大丈夫だってばぁ!」
「別に、俺は――」
友達なんて増やそうと思ってない。
そう言おうとする前に、覆い被される。
「ははっ。まあまあ、あたしに任せとけってーの! んじゃ、また後でねー!」
古橋は藤原の方へ駆けて行った。「瑛二くん! あの二人も参加ってことで!」とか何とか言いながら。
「なんつーパワー系女子だ、逆に感心するってーの」
「行っちゃったな……」
「いいことしてるとか思ってそうなあたりがムカつくな」
「まーでも、いい機会なんじゃねーの? 色んな人と関われば、彰人の魅力を知ってもらうチャンスだし。何なら、お前の武勇伝をみんなに広めてやろうか?」
「誰が広めたかも知れない悪評ならたまに聞くから間に合ってる。てか、俺は参加するなんて言ってないんだから、仮に当日いなかったとしても俺の責任じゃない」
「ちょーっと強引だったよな……」
「川上の了承を、俺とセットで考えたんだろうな。陽キャのくせしてコミュニケーション下手くそか」
ああいうのがいたとして、驚くほどのことでもなかった。
合うクラスメートがいて、合わないクラスメートがいる。そんなのは当たり前のことだ。合わないやつと合わないのは仕方ないって上で、それでも何となく上手くやっていければいい。まあ確かに軽くカチンときたけど、ガタガタ騒ぎ立てるほどのことじゃないし、怒ってるというわけじゃない。
だが、これで終わりではなかった。
結論をバシッと言うなら――ああいうのは、古橋だけじゃなかった。藤原やその取り巻きは、残念ながら、俺が期待していたほどまともではないのかも知れない。
「あ、あの……っ。えっと、あの、その……っ」
言葉を喉に詰まらせたような仕草をしていたのは、隣の列の、二つ前――要は結構すぐ近くに座っていた女子だった。確か名前は天沢とか言ってたかな。
女子は震えた声で、どこかおどおどしていた。
「……でもっ。私なんかがクラス会に行っても、空気を暗くしちゃいますし……」
「そんなことないよ? 優衣、前よりずっと明るくなってるって」
お話相手は藤原と古橋のようだ。
普段から大人しくしてるやつが、藤原のグループに囲まれるってのは、一体どんな気分なんだろうな。
「この前もさ、俺たちと遊びに行ったじゃん。ちゃんと溶け込めてた」
「うんうん、ウチもそう思う! それにほらぁ――優衣ってさ、最近めっちゃ可愛くなってるじゃん?」
「そそそ、そんなことない……ですっ!」
天沢はわちゃわちゃと慌てるように否定する。
「あれは美園ちゃんがお化粧とかお洋服とか色々教えてくれたからであって、それに、美園ちゃんに比べれば私なんか全然っ」
「ふふっ。このままだとさ、優衣のこと好きになっちゃう男子とかいそうだね?」
「……っ」
「いーじゃんいーじゃん! もうウチら高二だよ? はっちゃけるだけはっちゃけておかないと、ふつーに損じゃん? また一緒に遊ぼーよ」
天沢の表情には陰があるように見えた。
白く明るい肌なのに、雰囲気がえらく沈んでいる。
まあ、俺とは少しも関係ない話なわけだし? こちらとしてはすぐに関心を失って、次の授業の教材を取り出していたところだった。
すると、川上が向こうのやり取りを見やりながら、耳打ちしてきて曰く、
「藤原、天沢さんのこと狙ってると思う。最近、あからさまに声かけてる」
「川上はスパイか何かか? 敵に回したら怖そうだ」
「んだよ。このくらいのゴシップ、みんな興味あるもんだろ?」
藤原にだって性癖くらいはあるだろうよ。
王子様の好みが暗めな大和撫子タイプの女子だったとして、何も不思議ってことはない。
「最近の天沢、見た目だけは見違えて垢抜けてるだろ? 一年の頃はメガネかけてて正直地味な子だったんだけど、今はほら……」
「藤原たちに言われて外したってことか。じゃあ両思いなんじゃねーの?」
「なーんか、ちょっと荒れそうな予感。古橋ちゃん、隣にいて気づいてないのかなぁ」
天沢は俺や川上と同じく一年三組出身だったが、話したことはほぼない。
だが川上の言う通り、メガネを外せば美人というのはその通りらしい。
楚々としているというか、古めかしい旧家のお嬢様とでも言えばそれっぽく聞こえるか。白い肌も大きな目も長い黒髪とよく合っているが、今時の女子高生っていう印象はおよそ受けない。もし道ですれ違っていれば振り返りでもしただろう。でも、今まで気にならなかったってことは余程存在感が無いってことか。
もっとも、俺が気になるのは見た目よりも態度だった。
もちろん他人のことだ、俺が気にすることじゃない。ただ天沢のどっちつかずな反応に、ほんの少しだけ横で聞いてた俺がイライラした感情を覚えたってだけのことで。
「えと、その、私はっ……」
「俺を信じて。優衣がもっと色んな人と仲良くなれるよう、良い会にしてみせるからさ」
「でも、あのっ」
今週の。土曜日は。その。
喉の奥でしぼり殺したような小さな声は、言葉となっていたかすら怪しいほどにか細く、教室の喧騒にかき消された。天沢はそれ以上は何も言わなかった。そうして最後には、ただ小さくコクリと頷いた。
――ああ、これだ。
――今まで俺が何となく嫌ってきた、学校の教室って感じ。
「気に入らねーな」
そんな言葉がボソッと出てしまったのを、俺は後悔した。
嫌なんだよ、こういうの側から見ているのは。油断してるとこのまま席を立って、口を出してしまいそうで。
「ん、どした?」
「あれのどこが対話だ? マルチの勧誘だってもっと上手くやる」
「確かに。で、どうする? 早速、藤原グループと一戦交えるのか?」
川上が妙に面白がってるのが気にかかるが、どのみち俺には関係ない話だ。
個人的正義感だけでしゃしゃり出てくる委員長キャラなんて嫌だぞ、俺。
「んなわけあるか。誘い方が強引なのは藤原の責任、断れないのは天沢の責任だ」
「ふーん? 俺、彰人が去年の学園祭でどんなんだったか覚えてるぜ?」
「…………何のことだか」
天沢が言葉を濁したのは、行きたくないからなのか。
もしくは本音では行きたくて、素直に言葉にできないだけなのか。
そんなこと俺には分からない。他人のことなんて誰にも分かるはずがない。でも分からないからこそ、誰だってハッキリと言葉で伝える責任があるんじゃないだろうか? それが好意であっても、たとえ敵意であったとしてもだ。