第14話 みんなってやつ
どいつもこいつも掃除の終わった放課後の教室で油を売りたがる。部活の時間か、それとも帰宅部だってバスの時間とか色々あるだろうに、一体何のための時間なんだ?
俺にはずっと、というか今でも、その気持ちが分からなかった。
だって普通、早く帰りたいと思わないか? 俺なんて、家を出た瞬間からそんな感想しか湧いてこないぞ?
というようなことを言うと、天沢は鼻歌でも歌い出しそうなテンションで反論してきた。
「でもこういうの、いいじゃないですか。青春っぽくって」
メガネを拭く天沢の素顔が見える――まん丸とした快活そうな目は、一旦メガネを外してしまえば、文学少女というよりは正統派ヒロインとでも言った方が似合う顔をしていた。今日は授業が終わる度に如月の前に来ていたな。ここが定位置ってことなんだろうか。
「きっと、放課後に遊ぶ約束とか取り付ける時間なんですよ。みんなでカラオケ行こーとか。甘いもの食べに行こーとか」
「うげぇ。それ、よく体力もつな」
「ふふっ。もし二人が良ければ、私たちだって――ダメですか?」
「そうね……優衣と私の二人っきりなら行くわ」
「だってよ。まあ俺も疲れたし、普通に二人で行って欲しいかな」
隣に並んだ俺と如月の反応が期待度通りではなかったのか、天沢は「あはは……」と苦笑いをこぼした。川上がいれば賛成しただろうが、あいつ野球部の練習があるとかで行ってしまったし。
結局、如月は朝から頬杖をついたままだった。始終何か言いたそうにして、それでも何にも言ってこなくて、最後までストレスを溜めてそうなしかめっ面だったな。
……って、俺も俺で、何だってこいつのことをそこまで気にしているんだろう? 別にこいつにその気がないのなら、仲良くしてやる必要だってないのに。
でもこいつがさっきの授業で、少しでも顔を綻ばせた時とか。
妙に嬉しかったのは一体何なんだ?
「まあ何でもいいけど、俺は帰るぞ。家族に飯、作ってやらなきゃいけないし」
今日はもう、開きだ。
俺にできることは何もないだろうと、ドアに手をかけた時のことだった。
「……大丈夫。如月さん、いい人……」
後ろから聞こえてきたのは、さっき授業で一緒だった逢坂の声だ。誰かと一緒にいるらしく、すぐに別の声が続いた。
「でも逢坂さんっ! 如月さんの噂とか聞いてないんですか!? カツアゲとかされたら、僕なんかじゃ太刀打ちできないですよぉ」
「……落ち着いて聞いて、仁科君。貴方は弱い。もし仮に如月さんが貴方の想像するような子なら、カツアゲでは済まないわ」
「ひえっ、最悪食べられちゃうかも……」
「……でもどの道、英語アレルギーの貴方は小テストを乗り切れない。このまま手をこまねいていても、金曜日までの命……」
「八方塞がりじゃないですかぁ。うぅ、もう学生生活終わりだー!」
「そう。だから私を信じて、如月さんがいい子である方に賭けて。きっと大丈夫……」
随分賑やかなお友達と、逢坂は話していた。
別にこのまま帰ってもよかった。何か引っかかる度に首を突っ込んでいては、学生なんてやってられない。俺には関係ないことだ、そうだろ?
ああでも、クソっ、自分で自分が嫌になるな。
俺は多分、考えるより先に足が動いてしまうタイプの陰キャなんだ。
帰るのがもう少し早ければ、なんて思っても遅かった。
「試しに、話してみればいいんじゃないのか」
言ってしまった以上は止まるわけにもいかなくて、俺は踵を返して、逢坂とその友達の前に歩み寄った。その途中で天沢たちが驚いた顔で俺を見たが、気にしなかった。
その仁科ってやつと話すのは初めてだったが、はあ、初手でビビられてるな……
「あー、いや、別に怒ってるとかじゃなくてだな」
「うぅ、宮永君、ですよね? 昨日暴れてた……」
「いや勝手に誇張すなっ。そんなんやってるから変な噂流れんだよ……」
背の小さな、顔の幼い男子だった。隣にいた逢坂は何も動じておらず相変わらずの無表情だったが、まあいい。
さっさと言うこと言って、帰るぞ。
「誰が広めたかも分からない噂に振り回されるくらいだったら、そこにいる本人のことを見てやればいいんじゃないのか?」
「だって……ですよ。みんな色々言ってるから、僕は怖くて……」
「誰だ。その、みんなってやつ」
噂は本当かも知れないし、嘘かも知れない。そんなことは俺には分からないから、何の責任だって持てはしない。そんなことは分かっていた。
でも違うだろ。俺だったら嫌だな。
こんなのがまかり通ってたら、クラスから外されたやつは、いつまでも中に入れないままだ。
「そういう名前の偉いやつが本当にいたとして、そいつにノーと言われたやつは誰でも、腫れ物扱いされなきゃいけないのか?」
「う、それは……」
「逢坂も言ってたけど、そこまでやべー女子じゃないって、あいつ。信じてくれるか分かんないけど、俺も一応保証しとくからさ。もちろん、無理強いはしねーけど?」
俺も英語はやべーからな。
そう付け加えると、仁科は恐る恐るといった風に首を縦に振った。そのまま三人で如月の前に立つと、あいつのしかめっ面は嫌にドギマギしていた。
「何よ、余計なことして。バカじゃないの……っ」
「その様子なら聞こえてたか? まあでも、改めて頼んどかなきゃな――この哀れな弱者めに、リスニングの手解きをしてもらえないか? 英語強者の如月さん」
答えるまでにウジウジした間があったが、断るくらいなら即答だっただろう。
如月は最後に、不貞腐れたように吐き捨てた。
「別に…………いいけどっ」
かくして、というかほとんど勢いだけで、俺たちには放課後の予定ができてしまった。
でも、これがきっかけだったように思う。教室では一日かけても得られなかったものを、お勉強の時間が終わってやっと得られるようになったんだ。




