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見習い魔術師と彼女だけのグリモワール  作者: 平田加津実
第一章 時代と海を越えて受け継がれるもの
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誰もホントのサーナ、知らない

「このスーツケース、全部、本デス。棚に入れてクダサイ」

「分かった」


 畳の上に寝かせることも難しいほど重い、大きなスーツケースの中からは、彼が言ったようにたくさんの分厚い本や辞書が出てきた。

 表紙の文字を見る限り、英語や、オルディア後で書かれているようだ。

 沙亜名は父親の書斎から降ろしてきた小さな書棚に本を並べ始めた。


「コレも、お願いシマスネ」


 別のバッグに入っていた本も五冊ほど手渡される。


「あれ?」


 こちらの本の表紙には、日本語が並んでいた。

 タイトルだけではファンタジー小説のようにも見えるそれらの本は、どういう訳か他の外国語で書かれた本より、痛みが激しい。


「ソロモンの鍵? こっちは……術士アブラメリンの聖なる魔術の書」

「あぁ、ソレはグリモワール」

「グリ……モ……?」

「魔術書デスネ。ソノ本棚に英語とフランス語、同じ本アリマス」


 空になったスーツケースを押入れに詰め込んでいたレオンスが、手を止めて振り返った。


「見てもいい?」

「うん。どーぞデス」


 沙亜名は『ソロモンの鍵』と書かれた本を開いてギョッとした。

 日本語で書かれている呪文のような文章の全てに、細かなアルファベットで読み仮名が振ってあった。

 余白には、オルディア語だかフランス語だかわからない言葉が、びっしりと書き込まれている。

 下線やマーカーが引いてあったり、丸で囲んであったり。

 頭がクラクラするほどの、熱心な勉強の跡。

 これだけのことをすれば、本が痛むのも当然だ。


「これ、全部レオが書き込んだの?」

「全部じゃ、ないデス。日本語のセンセイ、一緒デス。英語とフランス語の本、比べて訳しマシタ」


 気がつくと、また肩が触れるほど近くに彼がいて、にこにこしながら同じ本を覗き込んでいる。


「レオ?」

「あ…………ゴメンナサイ」


 沙亜名が軽く咎めるような視線を向けると、意味が伝わったのか、彼がすまなさそうに体をずらして、二人の間に隙間を作った。


「……近いの、ダメ、ネ」


 彼は自分に言い聞かせるように呟いた。

 綺麗に整った顔、大きな体で凹んでいる様子は、なんだかかわいらしく見えた。


「もしかして、これ、わたしが覚えるの?」


 日本語の魔術書は、自分のために準備されたものに違いない。

 余白を埋め尽くす凄まじい書き込みに、不安になってくる。


「マサカ。コレ、ボクらの呪文違いマス。デモ、似てマス。ボクらの呪文、日本語に訳す、参考なりマス」

「カントルーヴの一族が使っている呪文の本ってないの?」

「ないデス。ボクらの呪文、書くコト、ダメ。危険デス。昔からズット、口で伝えマシタ。全部、頭で覚えマス」

「う……」


 つまり、彼から教えられる呪文は、書き留めたり録音したりせずに、そのまま丸暗記しなきゃならないということだ。

 不安がいっそう募ってくる。


「ダイジョウブ。ボクついてマス。ボク、サーナのグリモワール、なるデス。サーナは、ボクの日本語のディクショナリー、デス!」


 そう言って、少し離れた場所からレオンスが楽しそうに笑った。


 彼の荷物はスーツケース三つと、日本で購入したらしい新品の衣類や生活雑貨が入った段ボール、小型家電の箱。

 さほど多くはなかったが、彼が手を止めてしゃべっている時間が長かったから、それなりに時間がかかった。

 ようやく全て空になった段ボール箱をつぶして紐でまとめると、レオンスが満足そうな笑顔を向けた。


「ヨシ、終わった! ね、サーナ、家の近く、案内クダサイ」

「いいけど……」


 沙亜名は隣のリビングにいる小鬼に視線を向けた。

 あれから一時間以上経つというのに、小鬼は相変わらず、パズルを組み立てる作業に没頭している。


「あの子たち、あのままでいいの?」

「ヘーキ。人間と妖精、時間の感覚、違うデス。さ、行きマショウ!」

「あ、待って。準備してくる」


 せっかちに立ち上がったレオンスを押しとどめて、沙亜名は部屋を出て、洗面所に向かった。


 ためらいながらも、濃いブラウンのコンタクトレンズを、淡いグレーの瞳に乗せる。

 鏡に映ったのは、長くまっすぐな黒髪に、今は黒っぽく見える瞳の日本人の姿。

 レオンスにはまだ見せたことのない顔だった。


 瞳の色が違うことに、彼が気づかないはずはない。

 きっと、何か言うだろう。

 だけど、グレーの瞳のままでは外に出られない。

 出たくない。


 鏡の前でいろんな思いが交錯する。

 早く戻らなきゃと思いながらも、足がどうしても動かない。

 あらかじめ、彼に言葉で説明しておけば良かったと後悔するが、もう遅い。


「サーナー? まだデスカ?」


 向こうから、レオンスが呼ぶ声が聞こえた。

 時間がかかりすぎているから、心配しているのだろう。

 沙亜名は気持ちを落ち着かせようと、ゆっくりと息を吐いてから、リビングに向かった。


「遅くなってごめんなさい」


 なるべく、普通に振舞おうとするが、リビングの向こう側の部屋に彼の姿が見えると、つい、目を伏せてしまった。

 これ以上、足が前に出ない。


「サーナ。どうしたデスカ? 元気、ありませんネ。気分、悪いデスカ?」


 沙亜名の様子がさっきまでと違うことにあっさり気づき、レオンスが慌てた様子で近づいてきた。

 長身をかがめて、心配そうに沙亜名の顔を覗き込む。


「そんなこと、ない……けど」


 この先ずっと、この家にいる彼に隠しても、しょうがないと分かっている。

 なのに、反射的に、視線を合わせないように顔を背けてしまう。


「サーナ? ……あ」


 レオンスが小さく息を飲み、両手を沙亜名に伸ばした。

 大きな両の手のひらで沙亜名の頬を包むように挟み、ぐいと自分の方に顔を向けさせる。


「——!」


 彼の色の薄いグレーの瞳に間近で見つめられ、あまりのことに、沙亜名は硬直した。

 心の奥まで見透かしてしまいそうな彼の眼差しと、頬に触れている両手に捕らえられて身動きができない。


「ドウシテ? サーナの目、黒いデスカ?」


 彼が首を傾げて口にしたのは、シンプルな疑問。

 それ以外は彼の表情に浮かんでいないことに、少しだけほっとする。


「カ、カラーコンタクトレンズよ。出かけるときは、いつも……入れてるから」


 沙亜名は言葉に詰まりながら、なんとか答えた。


「ドウシテ、そんなモノ、入れるデスカ?」

「あ……の、手……放して」


 けれども沙亜名の言葉を無視して、彼は濃い茶色を乗せられた沙亜名の瞳を、さらに覗き込む。


「サーナの目の色、ボクと同じ。トテモ、キレイ。トテモ、素敵デス。なのに、ドウシテ、隠すデスカ? ドウシテ?」


 彼は単純な疑問を繰り返す。

 綺麗な瞳の色を隠すのはもったいないと、単純に思っているだけのようだ。

 沙亜名はいたたまれなくなって、うつむいた。

 そこでようやく、彼の手が放される。


「だって……」


 自分の瞳の色は大嫌い——。


 同じ色の瞳を持つレオンスの存在は嬉しかったが、それとこれとは話は別だ。

 だけど、さすがに彼の前でそんなことは言えないから、言葉を選んでごまかす。


「日本人って、みんな目が黒いじゃない? 一人だけグレーの目だと目立つもん。目立つのは嫌いなの」

「デモ、ソレ、ホントのサーナじゃナイ、ですネ。それは、誰もホントのサーナ、知らないデス」

「いいの! ずっとカラコン使ってから、もう、こっちの方が本当のわたしなの!」


 レオンスの言葉に咎めるような響きが加わった気がして、沙亜名はキッとした目で彼を見た。

 つい、言葉が強くなる。


 幼い頃から、日本人らしくない瞳のせいで、辛い思いをしてきた。

 もう、そんな思いはしたくない。

 他人の好奇の目に晒されたくない。

 拒絶されたくもない。


 少なくとも、瞳の色を変えさえすれば、人の中に入っていける。

 本当の自分を隠すことで、自分が常に孤独を感じることになっても、まだ、その方がましだ。


 しかし、そんなことは、彼に理解できないだろう。


 また俯いてしまった沙亜名を、レオンスが右手を顎にあてて、じっと見ている。


「ソレ、ホントのサーナなら、もっと、堂々とするはずデス。ドウシテ、そんな、辛い顔するデスカ? 目、そらしマスカ?」


 見透かされている——?


 彼の静かな問いかけに核心を突かれて、沙亜名の表情が変わる。


「……レオに言ってなかったから、驚くと思っただけ。そんなに気にしなくてもいいじゃない。わたしは、いつもこうなんだから」

「違う……ソレは…………」


 答えになっていない苦し紛れの沙亜名の言葉に、彼は微かに顔をしかめた。

 そして、沙亜名の両肩にそっと手を置いた。


「いや……いいデス。モウ、出かけマショウ」


 彼の言葉に恐る恐る顔を上げると、彼はすぐ横を通り過ぎざまに、優しい視線を向けた。

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