カントルーヴってなに?
沙亜名はレオンスらをリビングに案内した。
低いガラステーブルの前にL字型に置かれたソファーを三人に勧めると、彼らは長ソファーに並んで座った。
沙亜名がオープンキッチンで四人分のアイスコーヒーと自分の分のアイスカフェオレを準備して、リビング側に戻ると、父親を含む四人は英語で談笑していた。
それぞれの前にグラスを置いていくと、いちばん端に座っていたレオンスが、ナディーヌとの間を詰めて、自分の隣を空けた。
「サーナ、ココ。ココネ」
彼は期待たっぷりの目を向けながら、ソファーをぽんぽんと叩いた。
どうも隣に座れと言っているようだが、三人がけのソファーに既に大人が三人座っているから、空いたスペースはあまりにも狭い。
遠い親戚とはいえ、初対面の青年に密着して座るのは無理すぎる。
さっき、いきなり抱きしめてきたような相手だから、なおさらだ。
「えーと、そこだと狭いから……」
沙亜名は自分のグラスをテーブルの角に置くと、ラグを敷いた床にそのまま座った。
レオンスとはテーブルを挟んだ正面だ。
「えーっ? じゃ、ボクも」
一瞬、不満げな表情になった彼は、するりとソファーを降りて、はす向かいの床に座る。
そして、テーブルに両腕を置いて嬉しそうな笑顔を向けてきた。
せっかく近すぎる位置を避けたのに、これではやっぱり、かなり近い。
テーブルの角を挟んでいる分だけ、ソファーに詰めて座るよりはマシだという程度だ。
普通、恋人同士でもなければ、こんな距離に近づくことはないんじゃないかと思うほど間近に、彼の綺麗に整った顔がある。
この人は……というか、もしかするとこの国の人は、他人との距離感が日本人とは違うのかもしれない。
どうしよう。
これってすごく、困る。
正座していた足をレオンスがいる側にくずして、さりげなく距離をとった。
「沙亜名に、あんまり近づくなっ!」
二人の距離に嫉妬した小鬼が、間に割り込むように、テーブルの角に飛び乗ってきた。
レオンスが身体を引いて、少し迷惑そうな顔をしたが、沙亜名は居心地の悪さから解放されてホッとした。
大人たちの英語での会話は続いていて、ほとんど内容を理解できない沙亜名は手持ち無沙汰だ。
アイスカフェオレのストローを弄んでいると、レオンスがバッグからタブレットを取り出した。
「ボクの国の写真、見るデスカ? サーナの先祖いた、国デス」
沙亜名の返事を聞く前に、彼は画面をささっと操作する。
「ホラ、見てクダサイ」
「わぁ、かわいいっ!」
画面いっぱいに表示された風景写真に、沙亜名は目を奪われた。
明るい太陽が降り注ぐ、オレンジがかった石畳の古い町並み。
おとぎ話に出てきそうなデザインの家々の窓には、色とりどりの花の小鉢が飾られている。
活気溢れる素朴な雰囲気の青空市場や、空の色を映した美しい湖。
反対に、ちょっと洒落た雰囲気の現代的な街角。
「素敵な街。レオが住んでいる国はなんていう国?」
「オルディア。ヨーロッパにありマス。コノ写真、全部、ボクたちが住んでいるサン=エティーナ。山の中の小さな町。サーナの先祖、この町で育ったデス」
一体、何百年ぐらい昔の話だろう。
自分の先祖が着物ではなく洋服やドレスを着て、この写真の町を歩いていたと思うと不思議だった。
「今、父さんタチ、英語だケド、ボクの国の言葉、オルディア語。フランス語似てマス。サーナ、フランス語、分かリマスカ?」
「無理無理! フランス語なんて習ったことないもん」
「そっか……ザンネン」
「レオは、日本語上手だけど、どれくらい勉強したの?」
彼の日本語はたどたどしいながらも、意味は通じる。
こちらの話す言葉も、ちゃんと理解できているようだ。
「えーとネ……三週間、くらい?」
「ええっ? 嘘っ!」
「急に、日本来る、なって、毎日、たくさん勉強しまシタ。とても、大変でしたネ」
だとしても、たった三週間で、ここまで話せるようになるもの?
沙亜名は驚いた顔でレオンスを見た。
自分は中学校から学校で勉強しているのに、英語はまとも話せない。
今、父親たちが話していることも、ちんぷんかんぷんだ。
「でも、勉強してヨカッタ。こうして、サーナと日本語、話デキル。ボク、とてもウレシイデス」
日本人があまり言わないような類の台詞をさらりと言って、レオンスが笑顔で沙亜名を見つめ返す。
その距離、わずか三十センチ。
相手に向ける言葉や、にこやかな笑顔、まっすぐ見つめる目。
物理的な距離だけでなく、こんな部分でもオルディア人は他人と近いのだろうか。
だとしたら、この慣れない距離感はすごく困る。
自分を内面まで覗き込むような彼の視線にいたたまれなくなって、沙亜名は目をそらすとグラスを手に取った。
「お前っ、馴れ馴れしくすんなよ!」
沙亜名の困惑を敏感に感じ取った小鬼がキーキー騒ぐと、レオンスは大げさに肩をすくめて見せた。
画像を順番に見ていくと、途中からステンドグラスの画像がたくさん出てきた。
逆光の黒いラインと、光を通した美しい色ガラスで表現された、繊細で優美な天使の像だ。
あまりの美しさに、沙亜名が目を輝かせた。
「わ、これ、すごく綺麗。ここって、教会?」
「コレ、サン=エティーナ大聖堂の、ステンドグラス。サン=エティーナ、天使の町。これ、ミカエル、こっち、ガブリエル。それから……」
ミカエルと教えられたステンドグラスの画像は、頭上に剣を掲げ持ち、胸に甲冑を装備した戦士の姿をしていた。
ガブリエルは百合の花を手にした、髪の長い美しい女性のような姿だ。
レオンスの説明によると、サン=エティーナは四大天使の庇護を受けた町なのだという。
「ねぇ、メタトロンっていう天使はいないの?」
彼の説明の中にこの天使の名がなかったから、沙亜名はさりげなく聞いてみた。
すると、これまで楽しそうに話していた彼の眉がピクリと動き、表情が引き締まる。
「メタトロン、契約を司る天使。……サーナの所、来ました……ネ?」
「な、なんで知ってるの? もしかして、お父さんから聞いた?」
驚きの声を上げた沙亜名に、英語で話し込んでいた三人の大人たちも目を向ける。
「違いマス。メタトロンがサーナのトコ来たカラ、ボクらと同じ血、引くヒト、日本にいる、分かったデス。だから、ボクら、来た」
「どういうこと? 意味がよく分からないんだけど」
沙亜名の疑問に、レオンスは静かに微笑み、自分の首にかかる細い鎖を手繰った。
そして、服の下から何かを引き出すと、首から外して沙亜名の目の前に置いた。
ガラステーブルの上でことりと音を立てたのは、小さな銀のクロスだった。
十字の四つの先端がクローバー型になっており、中央の翼の意匠の真ん中に、神秘的な白い光を放つ石が埋め込まれている。
「それは……っ!」
「ひゃぁぁっ! やめてぇ! それ、怖いっ!」
好奇心でテーブルを覗き込んだ小鬼が、恐怖の大声を上げて部屋の隅まで飛び退ったが、沙亜名の耳には入らなかった。
慌てて自分の首にかけているクロスを外すと、彼のクロスに並べて置く。
沙亜名のクロスは、彼のものよりふた回りほど大型で、中央に埋め込まれているのが六方に光を放つ青い石だという他は、そっくりのデザインだった。
「似てるよ、このクロス。どうしてレオも持ってるの? これもメタトロンが持ってきたの?」
その疑問にレオンスは首を横にふる。
そして、親子のようなクロスを順に指差しながら説明を始める。
「ボクのクロス、ペリシエ家に代々伝わるモノ。サーナのは、カントルーヴのボトニー。《カントルーヴを名乗る者》の証。ロラの後継者に、天使、授けるクロスデス」
「そう! カントルーヴ! メタトロンもそう言ってた。サアナ・カントルーヴと名乗るようにって。でも、カントルーヴってなに?」
「えぇと、カントルーヴは……ボクらの……昔……」
レオンスが前髪をかき上げるようにしてテーブルに肘をつくと、眉根を寄せて考え込んだ。
もう少し自力で説明しようとしていたようだったが、大きくため息をついて諦めた。
「ゴメンナサイ。ボク、まだ、日本語ウマくナイ。隆弘サン、通訳、いいデスカ?」
「ああ、分かっているよ」
沙亜名の父親が頷いた。
どうやら事前に、いろいろと段取りが付いていたようだ。
英語で話すレオンスの言葉を、隆弘がその場で日本語に訳していく。
ときどき、ユベールやナディーヌからも、説明が加えられた。