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見習い魔術師と彼女だけのグリモワール  作者: 平田加津実
第一章 時代と海を越えて受け継がれるもの
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このクロスは悪いものじゃない

「沙亜名! 起きろよ、沙亜名」


 甲高い声で名前を呼びながら、体の上で小さなものがぴょんぴょん跳ねる。

 沙亜名は閉じ込められていた暗闇の中から引きずり出されるように目を覚ました。


「ん……、小鬼? おはよ」


 寝不足の目をぼんやりと開けると、そこに見慣れた緑色の小さな顔があった。

 大きなぎょろりとした目、額には小さな角が二本、口からは小さな牙がのぞく。

 ぽっこりとした腹を隠すように茶色の着物を着ていて、手足は不自然に細く長い。


「おはようじゃないよぉ。父上はもうとっくに起きているよぉ」


 沙亜名がいつも目にしているのは、こういう類のものだ。

 幽霊以外では妖怪、鬼などの日本古来の人外の者達しか、これまで視たことがなかった。

 背中に純白の翼を持つまばゆいばかりの大天使なんて、ファンタジー小説か映画の中だけの存在だったはず。


「おかしいよね。やっぱりあれは夢だったんだ」


 沙亜名は苦笑しながら身体を起こした。

 すると、鎖が擦れあうような微かな物音がした。

 胸の上を何かが滑り落ち、首の後ろに細く重みがかかる。

 驚いて目を落とすと、みぞおち辺りで重厚な銀のクロスが揺れていた。


「これ……は」

「うわぁぁぁぁっ! なんだこれ!」


 ベッドの上にちょこんと座っていた小鬼の鼻先にクロスが近づくと、彼は仰天して部屋の隅まで飛び退いた。

 勢いよく壁にぶち当たると、ぽとりと床に落ちる。


「ちょっと、小鬼、大丈夫? 急にどうしたの」


 慌てて駆け寄ると、小鬼は頭を抱えてガタガタ震えていた。


「それ何? それ何? 怖いよぉ〜。早くどっかにやっておくれよぉ〜」

「え? これが、怖い?」

「怖いよぉ〜。どうにかしておくれよぉ〜」

「そっか、怖いんだ」


 沙亜名は首にかかるクロスを手にとってまじまじと眺めた。


 不思議としっくり手に馴染む、鈍い銀色の輝きを放つ重量感ある大きめのクロスだ。

 十字の四つの先端がクローバー型になっており、その中央の翼のような意匠に守られるように、六方に光を放つ青く澄んだ石がはめ込まれている。


「これって……サファイアとか? 本物? まさか……ね」


 クロスを裏返してみると、中央に一筆書きの星の模様が刻まれていた。


「なんだろう。この印」


 クロスを何度もひっくり返し、その繊細ながらも重厚な細工をじっくりと眺めてみる。

 古い美術品といってもおかしくない代物だ。


 これが首にかけられているということは、昨晩現れた天使は夢ではなかったということ。

 実際、ずっしりと重みを感じるクロスが手の中にあるのだ。

 夢でも幻でもない。

 このクロスはおそらく、誰の目にも見えるはずだ。


 沙亜名はクロスを首から外して手に握ると、ベッドを降りた。

 パジャマ姿のまま、ダイニングにいるであろう父親の元に急ぐ。


「うわぁぁ、待ってよぉ。沙亜名ぁ」


 その後ろを、小鬼が情けない声を上げながら、少し距離を置いて追っていった。





 娘の慌ただしい足音に気づいた父親の隆弘が、コーヒーポットを手に穏やかな笑顔で振り返る。


「おはよう、沙亜名。どうしたんだい? そんなに慌てて」

「お父さん! これ、見て!」


 沙亜名は手に握ったものを、父親の目の前に突き出した。


「なんだい? これはまた、随分年代物のクロスだね。かなり、高価な品に見えるけど」


 隆弘はポットをテーブルに置くと、かけていた眼鏡を人差し指で軽く持ち上げながら、娘の手の中のものを覗き込んだ。


「やっぱり、お父さんにも見えるよね」

「ああ、見えるな。見えちゃだめなものなのかい? もしかして……?」


 隆弘はそう言いながら、クロスを恐る恐る指先でつついてみる。


「うん。触れる。どうしたんだ、これ」

「朝起きたら首にかかってた……ていうか、夜中にメタトロンっていう名前の天使が現れて、このクロスをわたしに授けるって……」

「えっ? 天使? うーん…………天使ねぇ。さすがにそれは、守備範囲外だなぁ」


 突拍子も無い話のはずだが、父親はさほど驚いた様子も見せず、のんびりと言葉を返した。


 娘の持つ異能は、亡くなった母親譲りだ。

 長い歴史のある神社の娘だった母親も、異形の者たちを視る能力があった。

 しかし、彼女の親族に同じ能力を持つ者はいなかったため、周囲の人々は神職に就いているにも関わらず、彼女を理解することはなかった。

 いや、むしろ、疎まれた存在であった。


 隆弘は大学で科学を教える立場であるが、愛する妻と娘を理解するために、二人の周囲で起きる科学では証明できない現象を、ありのまま受け入れるようにしていた。

 それは自分では再現や証明ができないだけで、事実であると信じていた。

 今回は、相手が馴染みのある幽霊や妖怪などではなく、初めて耳にした『天使』だったことに、少し面食らった程度だ。


「ほう。裏に五芒星が彫り込んであるな」

「五芒星っていうの? その星みたいなマーク」

「そう。これは、日本では陰陽道で使ったりもする印だけど、西洋でも錬金術や魔術で使うんじゃなかったかな。この方面はよく知らないが。いずれにしても、このクロスは呪具のようだね」


 クロスを手に取ってじっくりと観察していた隆弘が言う。

 彼は、少しでも妻子の身近にある超常に近づこうと、心霊現象や呪術、伝承などを個人的に調べていたから、ある程度の知識があった。


「呪具? そっか。だから小鬼が怖いって言うんだ」

「そうだよぉ。それ、なんだかおっかないんだよぉ」


 沙亜名が後ろを振り向くと、小鬼がダイニングの入り口のドアに体を半分隠しながら、涙目で訴えた。


「なんだ、あんな遠くにいるのか? 小鬼は」


 隆弘には小鬼の姿は視えず、声を聞くこともできないが、娘の視線から彼がどこにいるのかは分かる。

 いつもは、娘にべったりくっついているはずの小鬼が、あれだけ離れているのだから、よほど怖いのだろうと思う。


「うん。怖がってあそこに隠れてるの。でもわたし、このクロスは悪いものじゃないと思う。すごく、神聖な……波動のようなものを感じるもん」

「天使が届けてくれたんだろう? 普通に考えたら、悪いものであるはずがないよな」

「だけど、どうしてこれが、わたしの所に届けられたんだろう……」


 これまで全く接点のなかった、西洋の聖なる存在。

 それが、いきなり自分を名指しで現れただけでなく、形あるものを残していったのだ。

 そこには何か理由があるはずだ。


「ちょっと調べてみるか。他に何か、ヒントになるようなものはあるかい?」

「えぇ……と、サアナ・カントルーヴと名乗るようにって、天使が言ってたけど」

「カントルーヴ? 姓……いや、どちらかというと称号のようなものかな。聞いたことがない言葉だし、何語かすら分からないが」

「カントルーヴって何って聞いてみたんだけど、答えてくれなくて」

「ふ……む」


 隆弘はポケットから手帳を取り出すと、『カントルーヴ』『メタトロン』と書きつけた。

 それからスマートフォンを取り出すと、クロスの表と裏を撮影する。


「何か分かったら教えるから。……っと、おい、時間は大丈夫なのか?」

「えっ? もう、こんな時間?」


 沙亜名が小さな悲鳴を上げて、洗面所に走って行った。


 隆弘は、年々妻に似てくる娘の背中を見送ると、小さくため息をつく。

 妻だけでなく娘までが、同じ苦労と苦悩を背負いこんでいる。

 彼女らと同じものを視たり感じたりできない自分は、こういう形でしか娘を助けてあげられない。

 それがひどくもどかしかった。

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