白魔術師ってこんなこともできるんだね!
普段なら二人で出かけるのは夕方近くになってからだが、今日は珍しく、朝から外出する羽目になった。
雲ひとつない青空と、湿気を巻き込んで急速に勢いづく太陽に、早くもうんざりする。
沙亜名が抱えている大判の封筒には、書斎のパソコンに刺さったままになっていたUSBメモリと、実験ファイルが入っている。
父親の隆弘が出勤して一時間もしないうちに彼から電話が入り、大学の研究室まで届けて欲しいと頼まれたのだ。
「ああ、コノ道、初めてダネ」
近所以外の場所に、二人で出かけるのは初めてだ。
暑さが苦手なレオンスは、汗をぬぐいながらも楽しそうにしている。
「隆弘サンにソレ届けたら、建築学科の建物ニモ、行きたいんだけど、いいカナ?」
「あれ? 行ったことなかったんだ」
「うん。この間、大学行ったトキ、時間なくて、隆弘サンの部屋、行ったダケだったんだ」
二人はやがて、信号のある横断歩道に差し掛かった。
横断歩道の向こう側には、いつもの、リュックサックを背負った女の子がいた。
「あれ? アノ子……」
すでに人ではないあの少女を、レオンスも視ることができる。
あの少女以外にも、足元にふわふわと漂う丸いもやや、歩道から立ち上る嫌な雰囲気の陽炎の存在にも気づいているはずだが、彼はあの少女だけに気を止める。
「彼女、いつカラ、いるの?」
「分からない。七年前に、わたしが引っ越して来た時からいたから」
「そう……。でも、アノ子はまだキレイ」
昔、ここで信号待ちをしていた小学生に、車がつっこむ事故があったのだという。
しかし、そんな凄惨な事故にあったとは思えない期待に満ちた笑顔で、彼女は延々とそこに立っている。
楽しみにしていた遠足に行くために——。
歩行者用の信号が青に変わった。
沙亜名とレオンスは横断歩道を渡り始めたが、少女はそこから動かない。
横断歩道を渡り終えると、レオンスが立ち止まった。
「サーナ。チョット、待ってて」
彼はくるりと後ろを向いて、少女の隣に立った。
歩行者用の青信号が点滅から赤に変わる。
しばらくして、停車していた車が走り始めた。
レオンスと少女が並んで、向こうの信号をじっと見つめている。
何をするつもり?
沙亜名はドキドキしながら、二人のすぐ後ろに立った。
車が次々と目の前を横切っていく。
横断歩道の向こうに、自転車の小学生が二人止まった。
こちらには日傘の女性が立ち止まった。
スピードを落とした車が右手に停止した。
歩行者用信号が赤から青に切り替わると、レオンスが一歩前に出て振り返った。
「青ダヨ。早く行こう!」
「うん」
差し伸べた手に、嬉しそうな顔をした少女の手が重なる。
アスファルトに貼り付いていたかのようだった小さなスニーカーの靴底が、ふわりと浮いた。
そして二人は、手を繋いで横断歩道を走り始めた。
「え? ま、待ってレオ!」
沙亜名も慌てて二人を追いかけた。
自転車の少年たちが、レオンスと手を繋いだ少女にぶつかりそうなほどぎりぎりを、走り抜けて行く。
横断歩道を渡りきった三人は、歩道の上で立ち止まった。
レオンスが少女の頭にポンと手を置く。
「もうこれで、行けるよネ?」
「うんっ! お兄ちゃん、ありがとう!」
少女は満面の笑みでレオンスに礼を言うと、歩道を駆け出した。
彼も笑顔で手を振って、少女を見送った。
追いついてきた日傘の女性が、誰もいない場所に手を振る外国人の青年に、怪訝そうな視線を向けて通り過ぎていく。
リュックサックが揺れる小さな背中が、遠ざかっていく。
「バイバーイ!」
少女がこちらを振り返り、大きく手を振ったその時、彼女の指先がきらりと光ったように見えた。
そして、その輝きは手から流れ落ち大きく拡散して、小さな全身を覆い尽くしていく。
「あれ……は?」
沙亜名は思わず口にしたが、何が起こっているのかは理解していた。
金色の輝きが少女の姿を完全に覆い隠してしまった次の瞬間、光も少女の姿も、その場からふっと消えた。
「あ、あぁ……。よかった」
沙亜名は両手で顔を覆った。
不幸な事故のせいで、長い間、横断歩道の前に縛り付けられていた彼女の魂が、ようやく天国へと旅立ったのだ。
自分はこれまで見ているだけで何もしてあげられなかったのに、初めてここに通りかかったレオンスは、こんなにも簡単に、鮮やかに、彼女の魂に自由を与えた。
光に包まれた少女の姿は、あまりにも神々しかった。
安堵を通り過ぎると、今度は感動と興奮が押し寄せてくる。
「すごいよ、レオ! 白魔術師ってこんなこともできるんだね!」
沙亜名は顔を覆っていた手を下ろすと、彼に言いよった。
「誰も、あの子を助けてあげられないって思ってたのに、ほんと、レオってすごい!」
「え? あ……あぁ」
今度はレオンスが片手で顔を覆うと、よろけるように一歩下がった。
賞賛の言葉とともに、まっすぐに尊敬を向けてくる銀色の瞳。
それを縁取る黒い睫毛に散りばめられた、太陽の光を弾いてきらきら輝く小さな水滴。
上気してピンクに染まったなめらかな頬。
「あぁ……もう、サーナ! 君、かわいすぎる。ハグしていい?」
「だ、だめっ!」
こんな道の真ん中で、なんてことを言い出すんだと、きっぱり拒否する。
せっかく感動していたのに、台無しだった。
「だって、サーナのその顔、誰にも見せたくナイヨ。ボクだけのモノにしたい」
「わあぁぁ、待って!」
切なげに頬に伸ばされた手を振り払い、沙亜名は慌てて後ろを向いた。
確かに、感情が高ぶりすぎて、ついうっかり、泣き笑いの無防備な顔を見せてしまっていた。
とりあえず、涙の痕跡を消してしまおうと両手でごしごしと両目をこする。
それから、大きく息を吐いて振り返ると、彼は拗ねた顔でこちらを見ていた。
「そんな顔しても、だめなんだからね」
「……はい。ゴメンナサイ」
そんなやりとりをしているうちに、信号が何度目かの青に変わる。
「ほら、早く行かなきゃ、バスに乗り遅れるっ!」
しゅんと落ち込んでしまった彼をせかして、二人はまた横断歩道を渡った。




