第二話 褐色白髪最強槍姫
美しい天蓋が覆っている。
宇宙の星々が投影されたまばゆい天井だ。
足元はぼんやりと透けて、青い星が浮かんでいるのが見える。
地球の上空、35,000km。静止軌道よりわずかに下。
この場所に、世界最大のダンジョンはある。
そこでドラゴンと一人の少女の戦いが始まり、そして終わった。
ダンジョンマスターの男は目の前の光景が信じられなかった。
この7年間、迷宮のどこかに侵入者がいることは把握していたが、まさかこれほどの実力者だったとは。
自分が鍛えた最強の眷属である天龍ファブニールが、膝を折っている。
天を焦がす炎を吐き出す口からは煙がぷすぷすと立ち上り、燃え滓のような有様だ。
大量につけられた刺し傷と切り傷が戦いの激しさとその勝敗を教える。
その頭の上に、褐色の肌をした少女が立っていた。
美しい少女だった。
天蓋のように煌めくダンジョンの壁を背景に、白く染まった髪を無造作に流して、あたりを睥睨している。
手の中の槍は不思議と少女に似合っていてそこにあるのが当然のように思える。
表情筋は死に絶えたように動かず、慈悲も容赦も存在していない。
それは少女の姿をした化け物に他ならなかった。
彼女が、首をぐるりと動かす。
目が、合った。
戦闘開始前、軽率に煽ってしまったことを思い出した。
こんな実力を持っているなんて思わなかったんだ。
過去の自分を呪う。
「Fasioti!」
凄まじい形相で言葉が叩きつけられた。
向けられた感情は殺意だけ。
「やってみろよ。」
精一杯格好をつけて、彼は両手を広げた。
「眷属全召喚。」
ダンジョン内の全モンスターを目の前に出現させる。
「あいつを殺せ。」
彼のダンジョンは地球の上空、衛星軌道をすべて含んでいる。
その中にいるモンスターたち全員が召喚されたのだ。
単純な物量で壁となりうる。なんならさっき倒されたファブニールより強い。
「はははははは。俺を殺すなんて百年早いんだよ。ダンジョンマスターを殺すなら、同じダンジョンマスターを持ってこい。」
確信する。ダンジョンマスターの力は、ダンジョンそのもの。
自分を倒すのなら、このダンジョン自体を破壊できる力が必要だ。そんなもの、人間には不可能だ。
特別な訓練を積んだ宇宙飛行士だろうとなんだろうと、すべての相手はこのダンジョンの力の前に敗れ去った。
USもロシアも中国も制空権を取り返そうと軍で襲ってきたが、そっくりそのまま発射地点にロケットを落とし返した。
そして、準備が整った暁には、地上に侵攻して地球を我が物にする。
そんな、悪の組織じみた野望が膨れ上がっていた。
だが、その計画は、今日一人の少女の手で粉砕されることになる。
音がした。
圧倒的な物量に屈したはずの少女の方からだ。ありえない。人があの質量に耐えられるはずがない。
地上に落とせば、都市一つ消し飛ばせる量だ。
だが、殺戮音は止まらない。むしろどんどん大きくなる。
叩いて切って突いて。それをどれだけ早く行えばこんな音になるのか。
悲鳴と衝撃が二重奏のように響く。
それが幾重にも重なってこの世のものとは思えない怪音になっている。
宙のダンジョンマスターは、その音が自分に迫ってくるのを聴きながら、死を覚悟した。
突き出される穂先が、真っ白に輝いていた。走馬灯が始まる。
彼女の槍はその体を躊躇なく貫いて風穴を開けた。
ダンジョンマスターは口から血を吐いて、動かなくなった。
走馬灯を見る暇は、無かった。
ほとばしった鮮血は彼女の方に飛んで、体の中に吸い込まれていった。
その体が塵へと変わっていく。
崩壊が始まった。
地球にダンジョンが出現した七年前からずっと、人類の宇宙の目を潰してきたこの宙のダンジョンが終わる時だ。
それを成し遂げた一人の少女は、それを無感動に見つめていた。
宇宙に運ばれた時に聞かされた命令はおぼろげだ。
監視役としてついてきた兵隊もすぐにいなくなった。
やりたいこともやるべきこともない。
彼女は空っぽだった。
ダンジョンマスターを殺したのだって、向こうが殺そうとしてきたからに他ならない。
宇宙をモチーフにした部屋も、暗闇に満ちた回廊も、全てが崩れ落ちていく。
じきにここは元々の衛星軌道に戻るだろう。
酸素がほとんどない、死の世界に。
彼女は息苦しさを覚えた。
ついでに、ダンジョン内の擬似重力が消失した。
落下が始まる。
地球の重力は彼女を下へと引っ張り続け、加速させる。
摩擦熱が、肌を焦がす。生身で成層圏に突入しかけているのだから当然だ。
熱すぎて彼女は呻く。
これで終わるならそれでもいい。
彼女は抵抗しなかった。
意識を飛ばす。
だが、彼女の中に眠る力はそれを良しとしない。
犠牲になった人々の思いのためか、彼女の意思とは関係なく、彼女の体を守ろうとする。
炎に抗うような、真っ赤な色をした光が、彼女の体を包んだ。
こうして、人間の身で初めてダンジョンを滅ぼした化け物は地上に帰還した。
落ちた先は、東日本の首都、東京である。
突然空に現れた真っ赤な彗星は、これからしばらく人々の話題に上ることになる。