第98話 食べ物を調達せよ(3/3)/フリースの秘密(1/4)
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賊軍の人々に囲まれた時から、丸二日が経った。
俺を助けてくれた子供のために頑張らないといけない。そうは思っても、どの世界も俺のためにできているわけではないんだ。
マリーノーツが俺のための世界だったら、今頃俺は大勇者にでもなっていて、商売でも成功していたはずである。
それと、かつて暮らしていた現実世界が俺のための世界だって言うんなら、年上の女にふられたりしてないはずである。
いつかは、「世界ってやつは俺のためにあるんだ」なんてことを心から言えたらいいなと思うけれど、そんな現実逃避をしたって、食べ物は降ってこない。
この荒れ果ててしまった地には恵みの雨さえも降らない。
今一度のチャンスを与えられた俺にできることといったら、もはや魔力たっぷりの大粒の雨がふってくれることを天に祈りながら、焼け石に水のモブ探しを続けることだけだった。
その間にも、人々はどんどん飢えていく。
俺は転生者だから飢えることはないけども、レヴィアやフリースも、この二日くらい食べ物を口にしていないだろうから、とても心配だった。
俺はやがて、乾いた木や、貧相な草や、土の塊をスキルで鑑定しはじめた。少しでも食べられる可能性のあるものを見つけ出したかった。
曇りなき眼は偽装を見破るだけなので、食べられるモノかどうかを確かめるには、どうしても鑑定にかけなければならなかった。
「鑑定」
はずればかりだった。栄養のあるものは賊の拠点の近くには全然落ちていない。
「鑑定、鑑定……鑑定……かん……てぃ……」
スキルを使ったことで、俺は、魔力を消耗。視界がぐにゃぐにゃと歪み、眠りに落ちてしまった。「眠っている場合じゃない」と心の中で叫びながらも、身体の方がついていかなかった。
「レヴィア……」
呟きながら、俺は気を失った。
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夢を見た。
俺は仰向けに寝っ転がっていて、見覚えのない低い天井には、黒い木の板が隙間なく並べられていた。
カタン、カタタン、と木と木がぶつかる乾いた音がする。心地よく、リズミカルになり続けている。機織りの音だろうか。
息を吸ったら緑の匂いがした。
手を見れば小さな手、女の子のように小さな手。
夢の中で、俺は別人になっていた。
「フリース、手伝ってくれ」
男の人の声がしたので振り返ると、籠をもった老人の姿。普通の耳だった。人間の耳だ。
緑の葉っぱを大量にいれた籠を重たそうに抱えていた。
「フリース? どうした」
いま、フリースって呼ばれたよな。とすると、俺は今、フリースになっているのか。
ためしに耳を触ってみたら、自分の耳じゃないみたいに冷たくて、尖っていた。
「なんだ? ねぼけてるのか?」
「おじい、ちゃん?」
と声を出してみた。声がちゃんと出た。澄み切った声だった。
俺の声を耳にした老人は、悲しそうに笑いながら、
「おいおい、おとうさん、だろう? いくら手伝いたくないからって、そういうのはやめてくれよ」
「あ。ごめん」
父親は謝罪には言葉を返さず、階段をのぼって二階へ行ったようだった。
俺も追いかけて急な階段をのぼる。
二階はひんやりと寒かった。
ふだん、転生者なのでモノの冷たさを感じることはあっても極端な空気の寒さを感じることがないから、ずいぶん新鮮な感覚だ。
二階には、茶色い床があって、その上に、たくさんの台が置かれていた。四本足の台の上には網つきの大きなトレイがそれぞれ置いてあった。父親が歩くたびにギシギシと音が鳴った。
高い天井を見上げると、白くて丸いものが見えた。なんだろう、あれは繭だろうか? それにしては少し大きい気がする。
父が籠を置くと、「フリース、あとはよろしく」と言って一階に降りていこうとする。
「え? どうすれば?」と俺は父親を引きとめた。
「今日のフリースはおかしいな。イト蟲にゴハンをあげるんだ。いつもやっているだろう?」
「イトムシ?」
台の上によじ登って網の中を見てみると、「うっ」心の準備をしてなかった俺は、思わず喉の奥から声をもらした。
青い芋虫みたいな蟲がいた。しかも大人の腕くらいの大きさのやつだ。それも、一匹や二匹じゃない。うじゃうじゃいる。
「どうした、フリース」
「いや……ちょっと……」
俺は蟲は苦手なほうだった。だから正直言って、最初は気持ち悪い光景だと思った。けれど、しばらく眺めていると、なかなかこの青い蟲はカワイイもののように思えてきた。この夢の世界では、もとのフリースが抱く印象のおかげでマイナスの感情が軽減されているのかもしれない。
「エサって、これをやればいいんだろうか」
俺は一度台の上を降りて、瑞々しい緑色の葉っぱを適当に掴み取ると、再びよじ登って蟲に与えた。
ムシャムシャと食べた。
あっという間に食べつくしてしまった。
おかわり、とばかりにこちらに頭を持ち上げてきているように見える。
こいつはどうしたことだ。本格的に可愛く思えてきたぞ。
俺は自分の頬がほころんでいることを自覚しながら、緑の葉をそれぞれの台に次々に投入していった。
「すごい音……」
むしゃむしゃむしゃむしゃと、まるで大雨でも降っているかのような音が響く。
リズミカルに響く機織りの音と混ざって、オーケストラでも聞いているようで、俺は目を閉じてその音に聞き入った。
ずっと聴いていたいと思った。
しかし、しばらくするとパチパチパチと火花が散る音が混じって来て、だんだん耳障りなその音が大きくなってきたので、不快に思って目を開く。
するとどうだ、視界が火炎に包まれていて、俺はいつのまにか母親に背負われて逃げている最中だった。
おぶわれていたので、後頭部しか見えないが、これはきっとフリースの母親だと思う。
母親の耳は尖っていた。エルフの耳だ。
不安を押し殺して震えた声で、母親は言う。
「フリース、大丈夫だからね。フロッグレイクの方達は、きっとあたしたちを受け入れてくれるわ」
「おじい……じゃなかった。おとうさんは?」
「…………」
無言が返ってきてしまった。
しかし、無視して返事しないのでは娘を心配させてしまうと思ったのだろう、母は言う。
「後から来るわ。カナノの地に大事なものを落としてしまったから、それを拾ってから来るって」
「ああ、そうか……」
この時に、フリースは父親を失ったのだろう。
さらに夢は、まるでこれが夢だってことをアピールするかのように切り替わる。
今度はフリース自身ではなく、幽体離脱して魂が抜けだしてフワフワしてるような、俯瞰視点になった。
場面は鬱蒼とした森の中。
フリースは背負われておらず、母親の手を掴んでいた。他のエルフ耳をした者たちと一緒にゆっくりと歩いて移動していたが、樹上から飛んできた矢によって、集団は足止めされた。
「とまれ。穢れたハーフエルフよ、この地に入ることは許されぬ」
樹上で背筋を伸ばし、次の矢をつがえながら、エルフの男は言った。
母親ではない別のエルフの女が信じられない、といった表情で、
「そんな……ともに人間と戦うという話では?」
「それとこれとは話は別である。この神聖なるビフロストの森に入ることは許さん。混血どもよ、さっさとこの地より失せるがいい。貴様らは貧しい平地で蟲とでも戯れているのがお似合いだ」
すると、ハーフエルフ呼ばわりされた集団の中の一人の男が、歯を食いしばって歩み出す。
「ふざけやがって。オレたちだって、ちゃんとエルフなんだ!」
「どす黒い人間の血が入っているのにか? 見ただろう? カネを欲しがってカナノで争いを始めた人間どもが、獣人どもを追い出したのを。その結果、貴様らの土地が丸ごと炎に包まれたのを」
「それは……」
ハーフエルフたちは、とぼとぼと引き返すしかなかった。
それからハーフエルフたちは、劣悪な環境の沼地に住み、開拓していった。季節が何度もめぐり、ようやく人が住めるような形になりはじめ、フリースの肉体も成長して今と変わらないくらいになった頃、大洪水が起きた。
もともと沼地だった水の集まる土地であり、水はけの悪い土地だ。せっかく作った家屋は流され、イト蟲たちも全滅し、田畑は水に浸かった。亡くなったハーフエルフも大勢いた。
フリースの母親もこの時に行方不明になったようだった。
「…………」
一人になったフリースだったが、またしても集落に悲劇が襲う。
山賊である。
といっても、アンジュさんのような美しい女性ではなく、凶暴で乱暴で不衛生な男どもであった。
ハーフエルフたちは魔法で応戦したが、どれだけ束になっても全く歯が立たない。
「おい『燃えない衣』ってのは、どれだ?」
ハーフエルフ男の片耳を掴んで身体をもち上げながら、山賊は言った。
「おめえら『エルフもどき』の特別なイト蟲で作った布は、燃えないって話じゃねえか。それは高く売れそうだよなぁ」
「イト蟲は……もういない。以前、大雨のときに全滅した」
「ヘヘッ、なおさら良い。その燃えねえ衣のレア度が上がったってもんだ」
「にげ……ろ……」
女たちは、逃げようとした。
ハーフエルフの女たちが着ている青い衣が、その『燃えない衣』だった。フリースの青い服も、いなくなった父が育てたイト蟲の糸で、いなくなった母が織ったであろう衣だった。
「……ッ」
飛び交う悲鳴と、炎の中で、フリースも逃げた。
逃げて逃げて、葉っぱで頬を切りながら、何度か転んで顔や足なんかドロドロになりながら、それでも青い服は汚れを弾いて美しく滑らかなままで……。
そして逃げた先の沼地で出会った。
「ねえ、この辺で、悪い山賊を見なかった?」
駆け出し冒険者まなかに。