第92話 本物のハタアリさん(2/2)
敵か、味方か。
賊なのか、賊じゃないのか。
黒マントの女は探るような上目遣いで、こちらの様子をうかがっている。
真っ黒な瞳の奥には、深淵の闇が広がっているような気がした。
これは、もしかしたら返答次第では命をとられてしまう質問なんじゃないか。
「どうなのかな? 敵側だっていうなら、死んでもらうけど」
「そ、そんなバカな」
俺が慌てて言った。おもわず上ずった声が出た。
「だよねぇ」年上の女は笑いをこらえるように口元をおさえながら笑い、「元おたずねもののラックくんにはそんな度胸ないもんね」
「え? 俺のこと、知って……」
「まあね。あたしの直轄地であるカナノ地区で、あなたみたいに目立つ動きをしてた人物は調査の対象だからね。いろいろな情報が上がってきているけど……ふぅん……報告で聞いた通り、そっちの子の白い服……ずいぶん似合ってるわね。」
「この子はレヴィアっていいます」
俺は、怯えっぱなしのレヴィアの白い肩に手を置いた。
「ふぅん。その子が噂の……。幼いころのシエリー様を思い出すわ」
いや、シエリー様って誰だよ。近ごろ、いろんな名前が飛び出してきて、正直おぼえられん。オトキヨ様ってやつの親戚か何かか?
俺はとりあえず、「あなたは……?」と彼女にきいた。
「あたしは、そうねぇ……本物のハタアリだって言えば、あなたには通じるかしら」
「つまり、大勇者の……」
「そう。紅き雙銃のセイクリッドってのは、あたしのことよ」
レヴィアが出会ったばかりの頃に峠で話してくれた荒れ地決戦。そのとき、まなかさんと一緒に最後まで大魔王と戦って勝利をもたらした人。
彼女は背中から一丁だけ赤い猟銃を抜くと、くるくるっとバトンみたいにして回転させて投げ上げ、空中キャッチしてみせた。危険な行為である。暴発したらどうする。
ふと、彼女が騒がしい門の外に向けて格子越しに銃を向けると、炊き出しも何もかも中断された。敵側は男も女も騒ぎ出す。
「まずい、ヤツが来てる! しかも銃を! こっちに向けて……ッ!」
「嘘だろ! なぜここに! 情報と違う!」
「カナノを離れているはずでは!」
「逃げろ、逃げろぉ!」
「やばいって」
「何やってんの、逃げようよォ!」
「うわぁあああしにたくないいいいい!」
「体勢を立て直すぞ!」
「うおおおおおおおおお! 退避ぃいいい!」
てな感じに、敵が混乱したかと思ったら一気に逃げていった。
視界いっぱいに立ち込めた砂煙が晴れた時、数分前が嘘みたいに急に静かになった。
「見事な撤収だな……本当に一人も残ってない」
紅の猟銃を向けただけでこの結果とは、さすが大勇者である。
結局、セイクリッドさんはその猟銃の引き金は引かなかったけれど、俺は冷や汗をぬぐいながら聞いてみる。
「本当にやつらが入ってきたらどうするつもりだったんです? 殲滅なんて、本気じゃないですよね……」
「ラックくんは甘いね。もち本気だよ。許可なく敵の軍があたしの神聖なる領地に汚い足を踏み入れるなんて、そりゃもう撃っていいってことだからね。入ってきた途端に、あたしの銃でドカンってわけよ。そしたら部下の手も汚れないし、敵の賊どもも勝てないとわかって地道に慎ましく生きようと思いなおすはずさ」
とてもおそろしい発言だった。
マリーノーツに来る前に生きていた世界は、思いのほか平和だったのかもしれない。
「そう簡単に改心しますかね」と俺は思い切って疑問を口にする。
大量の賊が相手だ。さらなる暴徒化が起きて泥沼になるような気がするからな。
「その時はその時。優秀な部下たちが何とかするでしょ」
もしかしたら、この人は、俺とは住む世界が違いすぎるのかもしれない。いや大勇者だし、組織のトップである本物のハタアリさんだし、立場が違いすぎるのは明らかなんだけども。
ふと、パキンと破裂音がした。
振り返ってみると、氷の割れる音だった。文字が地面に落ちて裂ける音。
――相変わらず、あらっぽいね。繊細さのカケラもない。
「ん?」
――久しぶり。
セイクリッドさんは青っぽい娘のほうを振り返り、
「フリース! あんた、まさか本物のフリースだったのかい! こんなとこで会えるなんてね」
と言うや否や、背中から二本目の銃を取り出して二丁猟銃状態になり、いきなり発砲した。
発砲?
いや、そんなレベルではなかった。
俺は言葉を失い、混乱を禁じ得ない。
思わず耳を塞いでしまうような轟音。驚きで心臓が飛び出るかと思った。はるか遠くの鳥がびっくりして飛び出し、ちょっと離れたところにいたイノシシ型モンスターの群れが衝撃波によって全滅した。地面に二条の赤い線が走っている。砲撃の熱によって赤くなったのだ。
赤くなった線たちは、しばらくドロドロの溶岩となって溝に溜まっていたが、すぐに冷えて黒くなった。
熱が冷やされて、白い煙が立ち上っている。その煙の中で、しっかりと地面に立っているシルエットがあった。
「チッ、防いだか」
――いつもだからね。慣れたよ。本当、相変わらず……あらっぽい!
だんだん荒々しくなる文字を虚空に描き出したと思ったら、二丁猟銃の大勇者はニヤニヤ笑顔のまま氷漬けにされた。
フリースの左手から伸びた巨大な氷塊が人間一人をすっぽり包み込み、凍結してしまったのだ。
時間が止まったかのような静寂が訪れる。
耳が痛いくらいの沈黙の中、レヴィアの安堵の吐息がきこえてきた。
「お、おいフリース。大丈夫なのか? 氷漬けにしちゃって」
俺はそう言って、氷の塊に近づいたのだが、そこでフリースは、
――あぶない、さがって。
と走り書きをした。
その文字を読み終わらないうちに、氷塊にヒビが走り、次の瞬間には真っ二つに割れた。まるで、桃太郎が桃を割って出てくる時みたいである。
ふとレヴィアが俺の地味服の背中にしがみついて隠れた。
「あわわわ、ラックさん。あのひと、増えました」
「レヴィア? なんでそんなに怯えてるんだ?」
「強いので」
あまりの強者オーラに気圧されてしまっているらしい。
中から桃色の髪に変化した二人のセイクリッドさんが姿を現した。どうやら増殖するスキルを使い、増えるときの圧力で強引に脱出したようだ。
――この氷の塊を抜け出せるってことは、本物みたいね。
「この圧倒的冷気、そっちこそ本物ね」といいながらセイクリッドさんは分身と手のひらを合わせて一つに合わさった。そして黒マントの裾を整え、元の髪色に戻った髪を撫でながら続けて、「凍らされるの、何度やられても慣れないわねえ」とか言った。
いきなりの技の掛け合いは、合言葉みたいなもの、ということのようだ。
正直に言っていいだろうか。
全くついていけない。
いきなり大砲みたいな猟銃の一撃を直撃コースで見舞ったり、全身を凍らせる一撃でマジで氷漬けにしようとしたり、そのくせ、二人とも平然としている。
普通、あれだけの強い攻撃を繰り出したら、疲れて息が切れるとか、苦しそうな表情になったりとかするもんじゃないだろうか。でもそういう様子は全然ない。異次元言語空間すぎる。絶対に友達になりたくないタイプである。
「それで? 雪深い山小屋にヒキッてたはずのフリースが、なんでこんなところまで?」
――呪い、解きに来た。
「へぇ、ってことは、南西に行くんだ」
フリースは頷いた。
「果して解けるかねぇ? 最古の一族に伝わる最強にして最大の呪いなんだろう?」
――さあ。
「なんだっけ? 声を出せなくなるんだっけ?」
――ちょっと違う。出してはいけなくなる。
「どう違うの? それ。何回聞いてもわかんないんだよね」
――声は出せる。でも、声を出すと嫌なことになる。
「なるほど、わかんないね。でもまあ、やってみるってんなら止めやしないよ。ただ、誰かさんが門を閉めたせいで、南西への抜け道が賊まみれになったけど、どうする気なの」
こちらをちらちら見ながら、実に嫌味ったらしい言い方だ。誰かさんってのは、俺とレヴィアのことである。
この猟銃年上女の言い分としては、二人で息を合わせて門を閉めたせいで、敵を殺戮できなかったというわけだ。もうその発想からして、おそろしい女性であると言わざるを得ない。
「もちろん迂回します」と俺は答える。
これから先、殺気立った賊が待ち構えていると考えると、どう考えても別ルートを模索した方が良いだろう。
「あんな賊ごときにビビってんの? フリースがいるんだから全員を凍らせちゃえばいいのに」
この人は、あの賊どもに何か恨みでもあるんだろうか。争わないなら、それが一番いいに違いないのに。
「ま、ラックくんみたいな腰抜けには、そんな度胸ないか」
この人は、俺に何か恨みがあるんだろうか。いや、賊を踏み入らせずに彼女の意図を妨害したのは事実なのだけど。でも、わざとじゃないんだから許してくれてもいいのに。
そこでフリースが空中に文字を書いて反論してくれた。
――ラックは腰抜けだけど、ただものじゃない。
できれば腰抜けってとこも否定して欲しかったよフリースちゃん。