第9話 ゆきずりの冒険者(6/10)
雨が降ってきた。これは偶然ではない。まなかさんが大量の魔力を消費する特殊能力を使って降らせたのだ。
雨が降り出した途端に、周囲の炎はすっかり鎮火された。
炎が消えたので、今度は真っ暗になってしまい、そこで彼女は、周囲の時間を進めるレアアイテムを使って無理やり太陽を昇らせた。
青空が広がった。
何となく、ひどく使いどころを間違った贅沢なアイテムの使い方のような気がするけれども、とにかく、これで世界が明るくなった。
晴れているのに雨が降っていて、空に虹が見えた。
真っ赤な火の玉も弱々しくなり、まさしく風前の灯火といったところ。
「堕天氷雨拳!」
彼女は何やら技名っぽいものを叫んだが、これは完全に物理攻撃である。剣も抜かずに拳で殴って三十万ダメージ超をくらわせて火を消してみせたのだ。
これにて火の玉は消滅して、俺は、「勝ったな」などと格好つけて呟いたのだが、まなかさんはあっさり否定してきた。
「まだまだ終わらないよ。こっからこっから」
まなかさんの話では、ここで戦闘が終わったと思って帰ってしまう人が多いらしい。しかし、経験値もアイテムドロップもないし討伐数も増えていないから、戦闘が終了したわけじゃないのは明らかで、彼女は「メニューを開いてステータスを確認してみればわかることなのに、アホばっかりだ」とか嘆いていた。
俺もアホと言われている気分になったので「ごめんなさい」と頭を下げた。顔を上げた時には彼女はパスタを立ち食いしてた。右手で皿をもって左手でフォークをくるくるして、うまそうに食べてた。
「ええええっ、このタイミングでパスタ食ってるぅうう!」
「だって、火の玉のやつを倒してからは、まる一日待たないと次の形態にならないからさ」
なんだそれ。昔のファミリーなコンピュータのゲームかな。ひたすら待ち続けないと先に進めないイベントがあるとか、クソゲー感がすごい。
俺が幼き日に人から聞いて戦慄したレトロゲームの思い出を掘り返していると、
「ラック」と彼女は俺に呼びかけ、「パスタ食べる?」と言って首をかしげてきた。
「腹はぜんぜん減っていないけど、食べたら何かいいことあるんですか?」
「とてもおいしい」
「それだけっすか?」
正直、アンジュさんの一件があったから、年上の人が出す食べ物に対しては警戒してしまう。
「まあ、おいしいだけじゃなくて、一応、理由あるけどね」
「どんな理由ですか?」
「実は、何も食べないでいると、体内の魔力量がなくなって、スキルが出せなくなる。だけど、まだラックはスキル習得してないから、関係ないね」
「つまり、さっき、まなかさんがやったドラゴンの召喚とか、剣術とかを撃つには、美味しいゴハンが必要なんすね」
そしたら、まなかさんはパチンと指を鳴らした。
「そういうこと!」
そんなふうに戦闘継続中とは思えないようなユルい感じで、いろんなパスタを食いながら話し込んだ。まなかさんは用意がよくて、パスタを何種類も出してきて、現実世界だったらとても食べきれない量だったけれど、苦しみも感じずに完食できた。
さてさて、談笑に興じているうちに、太陽が沈んで昇った。真っ赤な火の玉の消滅から、また一日が経過したのだが、その後の戦闘は悲惨なものだった。
満を持して、第三形態ともいうべきモードになったとき、上空に白い輪っかが現れた。そこから、徐々に巨大な姿を形成していって、翼の生えた天使のような形状に――
「堕天百獣王牙!」
飛び上がったまなかさんの細腕で、天使の頭に剣が突き立てられ、天使のボディ全体が球状の漆黒の闇に包まれたかと思ったら、鋭利なトゲトゲがかわるがわる飛び出たり引っ込んだりして、連続三十ヒットくらいして数値が乱舞した後、闇が霧散した時には天使が崩れ去っていた。
瞬殺だった。
しかし、すぐに第四形態に移行する。上空に浮かんだ天使の輪が、まるで堕天したみたいに黒色に塗り替わり、輪の中から何かが降臨してきた。脚をピンと伸ばし、腕を真横に開き、まるで十字を描くような姿の巨大な漆黒の武者が、どんぶらこと降りてきて、ドスンと身体を丸めて力強く着地した。
全身を覆う鎧兜は黒光りし、顔に形はあるようだったが、それも黒くて、よくわからない。全体的に黒のオーラが強すぎて、シルエットくらいしかわからない。兜から長い三本の湾曲した角が突き出たオシャレアクロバティックな形状であることくらいしかわからない。
体長、二十メートルはあるかという化け物で、背中にものすごく巨大な大太刀を背負っていた。
敵は、大太刀を即座に抜いて両手で構えた。どんな技が飛んでくるのだろうか。と思った時には、
「堕天千刃鶴!」
まなかさんはフラミンゴや鶴のように片足立ちをして、クルッと一回転したかと思ったら、今度は逆回りに一回転した。二方向の回転によって生まれた二つの白い刃。空気を引き裂いて飛んでいき、初めの風圧の刃で大太刀を両断した。次の白い刃で、武者を縦に真っ二つにした。
またダメージの桁がおかしい。百万単位だ。これも切なくなるくらいの瞬殺だ。技を出す時間さえ与えてもらえなかった。
そして第五形態が姿を現す。一刀両断された黒い鎧兜の中身は、どろどろした黄金のスライム状の物体だった。黄金のスライムは、これまで自分を包んでいた黒い殻を食い散らかし、やがて一つの形に固まった。
その姿は、最初に出てきた青鬼に酷似している。サイズもそれほど大きくはない。角が生えていて、筋肉がすごくて、違うのは、黄金に光り輝いていることと、虎柄の服の色が反転して、黄色より黒の面積のほうが多くなっていることと、悟りをひらいたかのような柔らかな表情になっていること、そして、手に持っているのが黒い金棒ではなく、四角い黄金のハンマーであるということ。
黄金の鬼は無言で神々しい光を放ち、四角いハンマーを地面に叩きつけた。
地面が爆発することはなかったが、かわりに閃光とともに天から雷が落ちて、草を少し焼いた。
あぁ、この草原に生えている罪なき草たちは本当にかわいそうだ。踏みつぶされていたのなんて、まだマシだったぜ。焼き払われ、今度は雷でビリビリされるとは。
それでもきっと、すぐ明日には生えてくるのだろう。こんな異世界だから、現実とは違って、同じ場所に同じ草が生えてくるのだろう。
こんな雑草のような不屈の心でありたいと思うのだけれど、まずはレベルを上げたいと思う。
だって、こんないかにも強そうな怪物が、
「堕天無限斬!」
という声と共に微塵切りにされてしまうのを見てしまってはな。
無数の斬撃によってダメージ表示が飛び出して、ぱっと見た感じでは数字の数が多すぎて計測不能だった。
ほぼ一撃といってもいい。
今度は黄金の塊が完全に消えて、長い戦闘が終了した。
第一形態を倒したからだろうか、俺に多くの経験値が入った。レベルが10くらい一気に上がった。討伐ドロップ品として『虎柄のツナギ』を手に入れた。「スキルにポイントを振り分けますか?」みたいな表示が出たけれども、「ノー」を選択した。まだスキルをおぼえる時期じゃない。まなかさんの言うように、自分の適性を見極めないと。
それにしても、もはや現実感がない。圧倒的な力の差を見せつけられて、虚しさすらおぼえる。
まったく、年上の女の人とのレベルの違いを痛感させられるのは、現実でも転生世界でも同じだったというわけだ。どっちの世界も実に厳しい。
ていうか、初期地点の隠しボスに、なんだってこんな大量の形態が用意されているんだ。五形態だぞ、五形態。もしかして、このゲームの難易度って、想像以上にマニア専用なんじゃないの。非常に不安になってきたよ。レベル上げなんかをして、どうにかなるものなんだろうか。
気が遠くなってくるけれども、とにかく、ここで得た教訓をまとめると、こういことだ。
「これは食事と睡眠の大事さを教えるための戦いだった。おいしい食事は魔法を撃つためのマジックポイント的なものを回復してくれる。睡眠をとらないで延々と戦い続けていると、ものすごい強いモンスターに襲われる……ってことですね、まなかさん」
「そうだねラック。よくわかってきたじゃん。調子に乗って狩りを続けまくった頭の悪い転生者は、だいたいここで魂だけになって北に吹っ飛んでくんだよ」
「北には、何があるんですか?」
「湿地と森だね」
「いかにも辺境っぽいっすね」
「それはどうかな」
「辿り着いてのお楽しみってことっすね」
俺はメニュー画面を操作し、先ほど手に入れた黄色地に黒の縦線が入った『虎柄のツナギ』を装備した。
思えば今は遠き現実世界で俺の好きだった人もヒョウ柄の服を好んで着ている人だった。今の俺を見たら、「ネコ科肉食獣ペアルックだね」なんて言って笑っただろうか。
……いや絶対にそんなことは言わないな。「何その服、うけるー」とか「ださいー」とか思った上で、何も言わずに曖昧に笑うんだろうな。
何はともあれ、こうして俺は、パンツ一枚野郎を卒業し、ニセ阪神ファンみたいになった。