第89話 茶屋ふたたび
偽のハタアリおじいちゃんに命を狙われている。そのせいで心配や心労が怒涛のように襲ってきたけれど、まずはとにかくフリースの呪いを解いてやるという目的に変わりはない。
そうしてやることで、この先の護衛もしてもらえると思うし。
さて、二人の部屋で眠らせてもらった俺は、翌朝、すぐに御者を呼び出した。
三人で座席に乗り込み、南西にあるという城を目指してゆく。
レヴィアが挙動不審にきょろきょろしているのは、敵を探しているからだろうか。
横で眠ってしまっているフリースが、俺の肩によりかかってきた。もしかしたら、一晩中俺を守るために起きてくれていたのかもしれない。
俺は転生者だからスキルさえ使わなければ眠くなったり腹が減ったりしないけれど、二人はそうじゃないだろう。眠くもなるし、腹も減る。ここから南西に向かう道中では何が待っているやら分からない。
ゆっくり休憩しながら行こうと心に決めた。
ネオカナノの町をしばらく走っていると、大きな交差点で、見覚えのある茶屋を見つけた。
「二人とも、腹減らないか? ちょっとお茶して行こうぜ」
俺は御者に頼んで停車してもらい、知り合いの店に入ることにした。
なんと、店の外には行列ができており、人の話し声でガヤガヤと賑やかだった。
「まじかよ……他の店にするか」
俺は早々にあきらめて、近くの店を探そうと曇りなき眼で周囲を見渡したのだが、人垣の奥から大きな声が響いた。
「あっ! これはこれは! レヴィア様! お久しぶりでございます! おかげ様で、この通り、大繁盛させてもらってます!」
腕毛の濃い茶屋の店主があらわれた。
「おおっ! ラック様に続き、付き人が一人増えられたのですね。なかなか可愛らしいお子さんです」
ここで言う一人増えた付き人扱いされたのは、フリースである。当然、フリースは不満そうに、
――は?
――こいつ凍らしていい?
「やめてくれ。一応、それなりに恩人なんだ」
フリースは、不満そうに冷気を引っ込めた。
レヴィアは、「おひさしぶりです」などと言って帽子をかぶったまま頭を下げていた。彼女がマトモな挨拶をするのは珍しい。
かつての茶屋での体験が、レヴィアを少し礼儀正しくさせたのかもしれない。
とはいっても、ここでの体験ってのは、要するに食っちゃ寝のぐうたら生活であり、俺が仕事してる横で菓子食って茶を飲んで寝っ転がって好きな時に眠った日々のことだ。
まあ、たとえ菓子が目的なのだとしても、ちょっとでも人間らしい行動ができるようになって俺は嬉しかったけどな。
「レヴィア様、今日はどのようなご用件で? ハッ、もしや、先日お渡しした福福蓬莱茶がお口に合わなかったとか?」
レヴィアは首を傾げた。
忘れているようだ。無理もない。なぜなら俺も今の今まで忘れていた。そういや、筒に入ったお茶をもらったなぁ。
腕毛の濃い店主は俺たちの様子を観察して、言う。
「これは失礼いたしました。全然違うということですね。いやはや、お客様の心を読めぬようでは、まだまだ修行が足りませんな。……しかし、ここで引き下がるのでは人気店の名が泣きまする。ここはどうか、今一度チャンスを頂けないかと」
あまりに腰の低い態度で俺は若干引いたのだけども、意外なことにレヴィアはノリノリで、
「いいでしょう。言ってみなさい」
どうしてこの店に来ると、レヴィアはちょっと偉そうになるんだろう。
「わが店の新メニューが食べたいと、そういうことですね」
「新メニュー! その通りです!」
その場のノリで、レヴィアは返した。この変なおっさんとレヴィアは、おもいのほか相性がいいのかもしれない。
なんだろう、ほんのちょっとだけ嫉妬の感情をおぼえたよ。
★
どうぞこちらに、と言われて案内されたのは、いつぞや俺が七日間にわたって鑑定生活をしていた狭い黄金茶室だった。黄金の壁に四角い黒い机が置いてあり、畳の上には真っ赤な座布団が敷かれている。
三人だとすごく狭く感じるな。
そして運ばれてきたのは、金色部屋のインパクトにも負けないような新メニュー。
その名も、『福福蓬莱クリームタワー』である。
透明なガラスの容器に、緑と白が美しく層をなしている。
福福蓬莱茶をふんだんに練り込んだホクキオ産の高級モコモコヤギクリームにクッキーだのスポンジだのフルーツだのを刺したり置いたりしたものである。
早い話が、抹茶パフェの亜種みたいなもんだろう。
ドドン、と巨大なパフェ状のものが二つ置かれ、二人の女の子は目をキラッキラに輝かせた。
「これどうするんです? どっからどの順番で食べればいいんです?」
声を弾ませながらパフェ的なものに対峙したレヴィアは、とりあえず指で緑色のクリームを削り取り、なめた。
瞳を星のように輝かせた。
「うまいです! うまい! これはうまい!」
食事リポートとしては致命的な語彙の少なさである。
「…………」
もう一人の氷属性無言娘は、スプーンで中身をすくって食べ、どことなくウットリ美味しそうな笑顔を見せながら顔をほころばせていた。表情はいいけれど、食事リポートならば、ちゃんと言葉で伝えるべきではなかろうか。
で、どうやら俺はニヤニヤしながら二人を眺めていたみたいで、フリースに、
――食べてる姿、あんまり見ないで。
非常にトゲトゲしい氷文字で注意されてしまった。
レヴィアはスプーンを使うフリースを観察して、同じように掴み取ると、フリースをちらちら見ながら逆手持ちですくって食べ始める。
「レヴィア、うまいか?」
「最高です! うまい!」
「よかった。フリースは、どうだ、その味は」
――話しかけないで、味が落ちる。
ひどい。
けど、やはり美味しいらしい。
「福福蓬莱茶ってのは、長生きの薬って話だけど、薬なのに美味いのか?」
二人とも頷いた。
「なあフリース。俺にも一口くれないか? 味見したい」
――無理。レヴィアからもらえばいい。
「なあレヴィア、一口くれないか?」
「ヤです。これは私のです」
「そう言わずにほら、一口だけでいいから」
「もう、仕方ない人ですね……」
レヴィアは、あまり褒められないことに指で緑色のクリームをとると、あまりにヒドイことにそれを黒い机の上に擦り付けた。
「なめていいですよ」
机をなめろと。いやいやいや……これはちょっと、人間としてダメだよなぁ。
「おいレヴィア、さすがにこれは許されない」
「え? 何がです?」
「レヴィアが何に怒ってるんだか知らんがな、やっていいことと悪いことがある! お前のなすりつけ行為は、明らかに悪い事! ギルティだ!」
「えらそうですね。何なんです? 私のこと好きなんじゃないんですか?」
「それはそれ! これはこれだよ!」
「やっぱり私より氷女がいいんですか!」
「何がどうしてそんなことになった! 俺が好きなのはレヴィアだ!」
「じゃあこのクリームを舐めてください!」
えぇ……なにこれぇ……。
異次元すぎる愛の証明法なんだけど。
そんな斜め上の御裾分けは求めていない。
スプーンであーんってしてくれればいいのに。俺の昔好きだった人は、閑古鳥が鳴くような場末の喫茶店でサンドイッチの付け合わせのキュウリとかトマトとかをあーんってしてくれたのに。
普通でいいんだ普通で。普通にクリームをスプーンで掬い取って、目の前に差し出して、時には寸前で引っ込めて焦らしてくれてもいい。そういう普通のやり取りがしたいんだ。
「あーあ! 舐められないんだ! やっぱり私が汚いから、私の指に触れたものなんて汚いって思ってるんだ!」
「そういう問題じゃない! 机がきれいじゃないからだ!」
「私が触った机だから汚いんだ!」
「そんなこと言ってない」
「やっぱりキレイな人が好きなんでしょ! もう!」
レヴィアは勢いよく立ち上がり、机の上に飛び乗った。
がしゃんとクリームタワーをいれた食器が揺れた。
レヴィアは俺を見下ろしてきた。
「ラックさんは何もわかってないです! 私がどれだけ悩んだと思ってんですか!」
俺は立ち上がって応戦する。
「はぁ? たかがこんな福福蓬莱タワーを俺にくれるかくれないかって話で、大げさすぎなんだよ!」
「何言ってんですか!」
「そっちこそ何言ってんだ!」
「私が好きなものを、なんで簡単に渡さなきゃいけないんですか!」
「ちょっとくらいいいじゃねえか!」
そこで、俺はパキンと破裂音がしたのに気付いた。
沈黙のフリース様のほうを見ると、尋常ではない冷気を放出している!
狭い黄金茶室の一角が色を失い、あらゆるものが凍り付いていく。
レヴィアの福福蓬莱クリームタワーも凍り付いた。レヴィアが机にくっつけたクリームも凍った。レヴィアも足先に鋭い痛みを感じたようで、獣のごとき身のこなしで黄金色の畳に着地をキメた。そこはまだ凍っていなかった。
「あの……フリース……さん?」と俺はおそるおそる彼女を呼ぶ。
「…………」
怒っている。どう考えてもあれは怒りのオーラだ。
「お、おいレヴィア、これまずいぞ。謝れって」
「な、なんでです?」とレヴィアも怯えながら。
「レヴィアのせいで、フリースが怒ってんだろ」
「そう……ですかね? ラックさんのせいでしょう? ラックさんがうるさくしたから」
フリースは冷たい指先で虚空に文字を刻み込む。
――食事の邪魔するなら死んでもらう。
「すみませんでしたぁ」
俺だけが謝罪した。
「おいレヴィア、ちゃんと謝れ。フリースがお怒りだ」
頭をつかんで下げさせようとしたが、回避された。
レヴィアは凍って白みがかった緑のクリームタワーを机から拾い上げると、しかめ面をした。
「凍っちゃって、これ食べれるんですかね? どう責任とるんですか、ラックさん」
何事も無かったように平然ときいてきた。
なんとなーく頭にきた俺は、イライラを表明しながら、「ふん、そのまま食えばいいだろ」と言い放ってやった。
むきになった彼女はムッとしながら、スプーンを逆手で差し込み、凍って固くなったクリームを口に運んだ。
「ちめたい!」目をつぶって、「でも、逆にうまい!」目が開いて輝いた。
感動していた。
そんなタイミングで忙しそうな店主が入ってきて、
「失礼します。レヴィア様、お味はいかが――ってぁあああああっ? ていうか寒ぅ! 寒っ! 祭りが近いというのに季節外れの寒さです! そして、なぜ我が店自慢の最高級福福蓬莱クリームタワーが凍っているのですかァ! まさか口に合いませんでしたかァ?」
レヴィアは、ふふんと誇らしげに、
「新しい食べ方を開発したので、食べてみてください」
「なんだこれは……。なんだこれは! こだわりのやわらかふんわりとした食感ではなくなってしまったが、これはこれで素晴らしい。氷でありながら口に運ぶと一瞬で溶け、なめらかな舌ざわりとともに程よい甘みが広がっていく……! レヴィアさま! あなたは本当に素晴らしいお方だ! わが店のメニューの改良までしてくださった! さっそく氷魔法の使い手を探し、試行錯誤してみます!」
「ええ、がんばるといいです」
「圧倒的感謝にございまする!」
これが、異世界マリーノーツに超高級ソフトクリームが生まれるキッカケとなるのだった。なんてな。