第83話 沈黙のフリース(3/5)
――あたし、呪われてるから。
彼女は虚空にそんな文字を生み出すと、少しだけ寂しそうな顔をした。偽装されて紅く光る耳の先が、しおれた花のように下がってしまっていた。やがて文字たちはすぐに崩れ落ちて、地面にしみこんでいった。
「呪い?」
――声を出してはいけない呪い。
その時、俺は思い出した。薬屋眼鏡さんから購入したスパイラルホーンの効能を。
あの野生モコモコヤギの角から削り出した粉末は、呪い全般に効くということだった。
「ちょっと、この粉をなめてみてくれないか?」
俺はスパイラルホーン粉末を掌に落とし、彼女に向って差し出した。
するすると滑ってきたフリースは、それを手でつまみ取る、かと思いきや、俺の手に顔を近づけて、ぺろりとなめとったではないか。
「え」
舌先で手のひらを撫でられ、くすぐったい感触が走る。
予想外の行動に驚かされたものの、スパイラルホーンを与えることができた。
やったぜ。
薬屋の話によれば、この粉末には百八種類の呪いを防ぐ効果があるという。これで呪いも、たちどころに完治してるはず。
と、そう思ってニヤリと笑ったのだが、フリースはあくまで落ち着いていた。彼女はまた虚空をサッと撫で、文字を示してくる。
――マズッ。
「だけど、呪いに効くやつなんだよ、これ」
――この味、知ってる。魔族の巻き角。スパイラルホーン。
――呪いに効くやつ。でも効かなかった。
「なんだと。多くの呪いに効くはずの貴重な高級薬だぞ?」
――むかし試したことある。
――全く効かなかった。あのときもがっかりした。
――だから無理。呪い、解けない。
そう決めつけて言われると、意地でも解きたくなってしまう。何より、虚空を撫でるフリースが少し悲しそうに見えてしまったので、俺はこの時、彼女にかけられた呪いを解くと心に決めた。
顔は表情薄かったけれど、心で泣いているように感じたんだ。
俺の勘とか感覚なんてのは、全くアテにはならないし、実際の彼女の気持ちはそこまで解呪を求めていないのかもしれない。だけど、彼女の気持ちがどうあれ、命の恩人であるフリースの呪いをキレイサッパリ無くしてやりたいと心から思う。
さて、そうと決まれば、まずは情報収集だ。フリースにまとわりついている呪いの特徴を掴んでから次の策を考えよう。
「フリース。どうして呪いをかけられてしまったのか、きいてもいいか?」
そしたらフリースは、文字を生み出そうとした手を止め、考え込んでしまった。
「どうしたんだ? 言いたくないこと? もしかして、魔女と言われて怒ることとか、フリースの可愛い耳が偽装されていることと関係ある?」
――うるさい。やめて。
明らかに機嫌をそこねてしまった。イライラしている表情。きかれたくない質問が含まれていたのだろうか。
「フリース、俺は、君を助けたい。命の恩人であるフリースのために、俺にできることはさせてくれないか?」
「…………」
フリースはしばらくの間黙ったままだったけれども、俺が、おそるおそる「どう……かな?」などと確認してみたところ、
――せいぜい頑張れば?
ああ、せいぜい頑張ろう。
一度しか、しかも呟くような短い声しか耳にしていないけれど、フリースの声はとても綺麗だった。
誰よりも俺が、澄み渡る彼女の声をもっと聴きたいと思ったのだ。
★
鋭い氷の矢が、また敵を一撃で貫いた。
無言のフリースに守られながら森の中を歩いていると、借りている伝書鳥が、俺のところにやって来た。
耳元でバサバサ。鬱陶しい徴税バードの感覚が久々で、悲しいような、嬉しいような、複雑な心境にさせられたのだが、ここに鳥が来た意味に気付き、背筋に寒気をおぼえる。
「やばっ、急がないと」
鳥がきて、俺の頭の横でバサバサしてるこの状況というのは、つまり、レヴィアが広場に戻ったことを意味する。
もしかしたら、俺があの場にいなくて、約束を破ったことを怒ってるかもしれない。機嫌をそこねて、いなくなってしまうかもしれない。
そんなことになったら、俺はどうすればいい?
レヴィアのいない旅なんて、麺の入ってないラーメンみたいなものじゃないか。
「フリース、急ごう。レヴィアが戻って来てる」
俺は伝言鳥に「すぐ戻ると伝えてくれ」と告げると、フリースの返事も待たずに駆け出した。
★
フレイムアルマ広場に戻ってすぐに、俺はレヴィアを発見した。貴族感あふれる白い帽子に白い服。マリーノーツにあって白を身に着けている人は希少であるから、すぐにわかった。少し前まで俺が座って待ちぼうけていたベンチに腰掛けて、所在なさげにしていた。
物陰に隠れて様子をうかがう。周囲には特に偽装されたものは無いようだ。
足をぶらぶらさせて、なんだか寂しそう。
そんな寂しい思いをさせているのは誰だ?
俺だ。
レヴィアはやがて、暇潰しをするように、伝言鳥を捕まえて撫で始めた。鳥は気持ち良さそうにはしていない。むしろ全身の羽根を逆立て、恐怖で硬直していた。
このまま物陰でコソコソしててもしょうがない。待っているという約束を破ってレヴィアを待たせてしまったのは既に罪深いが、これ以上待たせるのはもっとギルティだ。鳥もストレスで羽が抜け落ちはじめていて可哀想だし、覚悟を決めて出て行くことにしよう。
「レヴィアー」
「ラックさん!」
その時、顔を上げて振り向いた彼女の輝く瞳、次の瞬間に光を失って呆然とするのを見た。
「あの、レヴィア……?」
「だれ、ですか?」
記憶喪失ってわけじゃない。
彼女の視線は、俺の後ろにいる青白い女の子に向けられていた。
「…………」
フリースは沈黙している。
レヴィアは無視されたと思ったようで、明らかにイライラしながら、俺に向ってキツイ視線をくれた。
「えっとこちら、フリースって名前で、元大勇者の強い人だ」
「大勇者ッ?」
レヴィアは怯えるような声を出し、警戒心を強くしたが、俺は「大丈夫だぞ」と呼びかけた。
フリースは俺の横に歩み出し、虚空に「よろしく」と文字を描いた。
レヴィアはその文字が読めなかったようで、折れるんじゃないかってくらいに首をかしげた。
「…………」
フリースは今度は別の文字を示した。俺にも読めなかったし、レヴィアにも読めなかったようで、首を反対方向に傾けた。
そのやり取りが何度か続いた時、レヴィアはハッとして、
「ええ、よろしくです……けど……」
と言いながら、俺とフリースの顔を交互に見て、
「あの、ラックさん、ちょっとこっち来てください」
レヴィアは俺の手を掴み、薄暗い路地裏に連れ込んだ。
「あれ誰です?」
少し険しい声だった。
「だから、フリースだ。とても強いエルフの女の子だ。よろしくって言ってたろ?」
「ていうか、何です? 私が戻ったら、鳥がいて、手紙もってたけど読めなくて、しかもすぐに飛び去ったかと思ったら戻って来て、すぐ戻るって話だったのに、全然こなくって……。どうしたらいいのか不安だったんですけど」
「いや、その、ごめん」
「待ってるって言ってましたよね? なんで待ってるって言ったのに、あそこに居てくれなかったんですか?」
「ごめんなさい」
「ごめんじゃないです。説明してください」
「いや、なんというかな……」
そこで俺は、レヴィアと別れた後のことを聞かせた。
アオイさんに護衛を見つけるよう指示されたこと。
八雲丸さんやプラムさんやフリースが繰り広げたハイレベルな戦闘のこと。
遊郭に行こうとしたら捕まりそうになって、殴る蹴るの暴行を加えられ大ピンチのところを助けられてフリースが命の恩人になったこと。
なるべく言い訳がましくならないように
「よくわかんないです。わかんないんですけど、なんか……とっても頭にきます」
「ごめんなさい」
「ごめんじゃ済まないです! 人の気も知らないで!」
「いやほんと、申し訳ない。どうすれば許してもらえるかな。みんなで美味しいものでも食べに行ったりとか、どうかな」
「みんなで?」
「そりゃまあ、これからしばらくは、フリースと一緒に行動することになるからなぁ、親睦を深めながら今後のことをだな――」
「なんでです?」
「何でって……フリースは護衛でもあるけど、なにより俺の命の恩人だから、彼女に掛けられた呪いを解いてやりたいんだ」
「呪い……?」
「なんでも、声を出してはいけない呪いにかかっているらしい」
「声が出ないんです?」
「いや、出ないわけじゃないと思う。フリースの声は澄んだ良い声をしてた。この耳できいたからな」
「出せるんなら別に呪われてないんじゃないですかね」
「でもフリースは呪われてるって言ってるから」
「騙されてるのかもしれません」
「そんなとこで嘘つく意味あるかぁ?」
「それは……もしかしたら、あの人がラックさんのこと狙ってて……」
と聞き取りにくい声で言った後、ごにょごにょと言い淀んでしまった。
「俺を助けてくれたんだぞ。狙ってるわけないだろ。あの人に狙われてたら、俺はもうここにいないぞ。とっくに氷漬けだ。そのくらいフリースは強い。あの闘技場での戦いを、レヴィアにも見せてやりたかったぜ。本当に規格外のものだったんだから」
「そんなのどうでもいいですけど」
「さっきから何でそんなに怒ってんだ?」
「それもどうでもいいですよ。とにかく、呪いを解ければいいんですね?」
「まあな。でもレヴィアは呪いの解き方とかに心当たりあるのか?」
「当然です! ちょっと待っててください」
そう言いつけて、レヴィアは歩き出した。一度振り返って、
「今度はちゃんとその場で待っててくださいね」
イライラを持続させながら言い残して路地の外に出ると、「えっと、隠れられるとこは……」などと呟きながら、小走りで去っていった。