第8話 ゆきずりの冒険者(5/10)
「ひぃっ!」
迫ってくる金棒を、なんとか避けた。体全体をごろんと回転させて避けた。さっきまで俺がいた地面が爆発した。
え、なにあれ、当たったら死ぬんじゃないの。シャレにならないんだけど。
俺がビビッていると、座って応援モードに入っている年上の女が言うのだ。
「ほらほらぁ、立てぇ! 立って戦え! 男だろー!」
「いやいやいやいや、つい昨日まで俺はごくごく普通の知的な大学生だったわけだし、そもそも俺のレベルを考えてモノを言ってくれ! レベル一桁でこんな強そうなのと戦えるわけないじゃん!」
「そんなのさ、戦ってみなきゃわかんないじゃん」
それはその通りかもしれない。
よく考えてみろ。最初に獰猛な小型犬に襲われた時、恐怖で逃げたけど、実際に戦ってみたら、とんでもないザコだった。スライムに触ると痒くなったけど、その痒みにも戦っているうちに慣れた。
だとしたら、もしかしたらこいつも、ただの見掛け倒しなんじゃあないか。
それに、まなかさんが戦えって言うんだから、勝ち目がゼロじゃないってことだろう。
やるか。やっちゃうか。
俺は目を閉じ、溜息を吐き、切り替える。だらしのない足に「動け、動け」と必死に命じてみる。
「動く、こいつ、動くぞ」
俺は大地に立った。
拳を握りしめる。
「いくぞぉ!」
勢いそのままに殴りかかった。ふとももに当たった。かたい肉の感触。ダメージが表示された。『1』だった。
「全然だめじゃん!」
「あははは」
ちくしょう、まなかさん最低だ。俺の慌てふためくさまを見て楽しむなんて、この上なく悪趣味だ。目の前のでかいのが鬼なら、背後のまなかさんは年上の悪魔だ。
「ラック、通常攻撃は最大五回まで連続で出せるから試してみて」
悪魔の言うことなんてきくもんか、とか思ったけれど、もうこの際ヤケクソだ。やってやろうじゃないか。
と、思ったのだが、連続攻撃とやらは、どうすれば出るんだろうか。
「まなかさん、出し方がわからないっす」
「わたしは一瞬でできたけどね。ていうか、それできないとコイツ倒せないよ?」
天才だったか。俺ごとき凡人には、どう足掻いても辿り着けない境地だ。
「まなかさん、コツを教えてください」
と、俺が敵の攻撃を回避しながら言ったところ、
「え、どうしてできないかって方が、わかんないよ」
そんなこと言える彼女は、きっと現実では友達がいないのではないかと思う。
「俺には戦いの才能がないんですね。まったく申し訳ない気分でいっぱいだぁ」
「いや冗談じゃなくてさ、それができないと、その『草原の鬼』は一生かかっても倒せないからね」
このお方が噂の『ホクキオ草原の鬼』さんでしたか。ああ、たしかに鬼だよな。角はえてるし、虎柄の服着てるし。
「要するにさ、ラック。通常攻撃が終わる前に、通常攻撃を出せばいいんだよ」
「なるほど」
何回か試してみた。失敗が続いた。
鬼も反撃してくるが、大味な攻撃だし、パターンの数も少ない。そして連続攻撃をしてくるわけじゃない。慣れれば簡単に避けられる。
イメージするんだ。ひたすら攻撃が繋がるイメージ。
そして攻撃が終わる前に、攻撃の意志を拳に伝達するんだ。
一発、二発。できた。攻撃が繋がった。
この調子で、三、四発まで出せた。五発目は俺にセンスがないからか、できなかった。
鬼の左足に連続で拳を入れていく。
「その調子、その調子!」
背後から、俺を応援する声がきこえる。女の人の応援は、どうしてこう、力をくれるんだろう。
俺は継続して足を殴った。
殴って殴って殴り続けた。ずっとダメージは『1』だった。けれども、しばらくしたら、三メートルほどの大鬼は膝をついた。
効いていないわけではなかったようだ。
そこで、やっと攻撃が届くようになった胴体を殴った。そうしたら、ダメージが初めて三桁をこえた。感動だ。
「こいつ、上半身が弱点ですね!」
「そういうこと。そのままやっちゃえ、ラック」
「うおおおおおおおお!」
怒涛の連撃を加えていく。これまでの人生、こんなに戦ったことは無かった。こんなに何かを殴ったことなんて無かった。こんなに全力で立ち向かったことは無かった。
そのまま数分間、殴り続けていたら、鬼は咆哮し、ずずんと仰向けに倒れた。
肩で息しながら、俺は「やったか?」と呟く。
俺の言葉に反応することなく、鬼は沈黙している。
どうやら倒したようだ。
さっき、まなかさんは言っていた。
――ちょっとした自慢なんだけどもさ、わたしは、ホクキオに転生してきてすぐに『ホクキオ草原の鬼』を倒したもんね。
「これで俺も、まなかさんみたいに自慢できる話が一つ、できたわけですね」
この異世界『マリーノーツ』に来てから、情けないことばかり起きていたけど、こんな俺にも、初めての武勇伝ができた。
――いやあ、ちょっとした自慢なんだけどよぉ、俺は、転生してからパンツ以外を装備せずに『ホクキオ草原の鬼』を素手で倒したんだぜ。ボクサーみたいだろ?
そんな風に、自慢してやりたい。
「まなかさん。俺、やりましたよ!」
両腕の拳を突き上げ、彼女のほうを振り返って言った。ところが彼女は青い光のなかで、草原に座ったまま、首を傾げていた。
「何を?」
「何って、倒しましたよ」
「だから、何を?」
「草原の鬼を、倒しました!」
「いや、まだじゃない?」
「え?」
驚いた顔のまま前方に向き直ると、そこには、横たわり沈黙している青鬼の姿があった。
ちゃんと倒れている。起き上がる気配はない。
「いやいや冗談やめてくださいって。心臓に悪い。起きませんよ、さすがに。かなりダメージ与えましたからね」
しかし、まなかさんの言う通り。まだだった。甘くなかった。
青鬼の肉体が、炎上した。真っ赤になって、消えていく。青鬼が全て消えようとしたその時、赤い閃光がほとばしった。風の音が響き、風圧が俺を襲って、俺はまたしても尻餅をつき、言葉を失った。
鬼のかわりに、赤い炎の塊が大きくなって、新たな敵となったわけだ。
炎の塊は空中に浮いたまま、炎を吐き出していた。
はじめは、無差別に撒き散らしていたが、やがて自我に目覚めたかのように、俺に向かって炎を飛ばし始めた。
「うわっ、うわわっ」
俺は尻を草にすりながら後ろに向かって進み、まなかさんの横まで後退した。
「さすがに、あいつは今のラックには厳しいか」
「当たり前ですよ。実体のない炎を相手に、どう戦えばいいんですか?」
「炎系の敵は、少数の例外を除いて水が弱点だよ」
「そんなこと言ったって、俺は魔法を使えるわけでもないんだぞ。今あるもので戦うとなったら、脱いだパンツを濡らして火の玉を包み込むくらいしかできない!」
「うわ、そんな場面見たくない。最悪」
「だろぉ? どうするんだよこれ」
「わたしは倒したよ。転生してすぐの時に」
「嘘をつけぇい!」
「ほんとほんと、さすがに苦戦したけどねぇ、なかなか雨が降らなくて」
雨……どういうことだ。
まさか、転生してすぐの草原で三日三晩狩りを続けて、青鬼を出現させ、鬼をノックアウトした後に、この火の玉の攻撃を避け続けながら、雨を待った……とか、そういうことなのだろうか。廃ゲーマーの雰囲気漂うまなかさんのことだ。そのくらいのこと呼吸と同じくらい簡単にやってのける気がする。
「雨は、何日目に降ったんですか?」
「五日くらいかな。時間を追うごとに、敵の攻撃の精度も頻度も威力もレベルアップしていったから、かなり肝が冷えたね。最高にスリリングだった」
この人はもう、ゲームをするために生まれてきた人間なのかもしれない。
「さてと」まなかさんはついに立ち上がった。「いっちょ狩りますか!」