第74話 八雲丸(2/4)
コロッセオ。またの名をコロシアム。
それは、大容量の観客席をそなえた円形の闘技場である。ローマの繁栄を象徴する建築物として名高い。
だが、ここはコロッセオほど大きくはない。
天幕に覆われたドーム型の円形劇場で、野球ドームを小さくした感じのデザイン。構造や材質から感じ取れる雰囲気はコロッセオのようだったけれど、やはり本物のコロッセオと比べると、いささか熱量不足のように思える。きっと本来の剣闘士たちの命がけの戦いは、歓声も熱狂も桁違いだっただろう。
そう、ローマ帝国において、市民たちの熱狂を集めたものの一つが、コロッセオでのさまざまな戦闘だった。
そこで見世物みたいに戦わされていた人は、戦争捕虜が主だった時もあるという話だが、ここはどうだろう。
見下ろせば、ちょうど戦いが繰り広げられている。
一対一の勝負。
一人は二刀流の背筋のピンと伸びた女剣士、防具なしの桃色ブラウスと黒スカートで、常に動き続け、相手を翻弄していた。もう一人の方は、上半身裸で斧を持った肥満体の猫背男で、女の剣をなんとか受け続けている。
二刀流女性のほうが一方的に斧男を追い詰めているように見える。
「押せぇ! 押せえ!」
「そこだ、やれやれぇ!」
「何やってんの! 防御うすいよ!」
応援したり、戦い方に文句つけたり、あるいは静かに見守っている人や、祈りを捧げるように顔の前で両手を握って目を閉じている人もいた。
「お、やってんねぇ」と八雲さんは笑みをこぼしながら、「プラムちゃんの今日の相手は、斧使いのアックスバーニン君か。悪くない相手だが、順当にいけば楽勝だな」
「あの、八雲丸さん」
「なんだよラック。まだ不安か?」
「いや、その……ここで戦う人たちって、どういう人なんですか?」
「あん? 何でそんなこときくんだ?」
「ええと、奴隷にした人たちを戦わせてるんじゃ……?」
「おいおい、発想が殺伐としてんなぁ。そんな悲しいもんじゃあねえよ。ここは、神聖な闘技場だ。腕自慢のやつらが自分の編み出した技を披露し合う戦いの最前線さ」
「そうなのか、よかった……」
奴隷だとか捕虜だとかが無理矢理戦わせられたり、試し斬りのために放り込まれたりしてなくてよかった。そういえば奴隷は廃止されたって言ってたもんな。
「もちろんヤラセじゃねえぞ? 本気で戦いながら技を見せるんだ。ごく稀に死んじまうことがあるからよ、その時の鎮魂のために立てられるのが、さっきの石柱群ってわけだ。戦士にとっては、ここで戦えるのは名誉なことだし、ここで死んだらカラスに導かれて神を守護する兵隊となって天に召されるって言い伝えがあるほどだ。もし、それが本当なら、俺でも思うね、ここで死ねるなら本望だ……ってな」
なんだろう、すっごいヴァルハラ感。
北欧神話などでは戦乙女が戦士の魂を選び抜き、ヴァルハラという名の宮殿で戦や宴を繰り広げながら大いなる戦いに備えるのだという。それにちょっと似ている。
「要するにだ、ラック。おれらは戦いをな、かみさまに奉納してるんだ」
「かみさま?」
「ああ、戦いが好きな御方でなぁ、暇さえあれば冒険者たちを集めて、試合させてんだ。特別観覧席のほうを見てみろよ、今日も来てるはずだぜ?」
ぐるりと劇場風の客席を見回すと、ガラスのような透明な板で囲われたエリアが、客席の上に張り出しているところがあった。
どう見てもあそこが特別席だな。
その中には、椅子に座った三人の姿。黒ずくめでフードを被った小さな人影と、その横に、輝く鎧を着た年上女性の姿があり、そのさらに横には、長くひげを垂らした老人が杖をついて立っている。
「あれが、神様?」
「ああ、神聖皇帝オトキヨ様だよ」
ついに姿を見ることができた、何度も耳にしてきたオトキヨ様。
向って左から、小柄黒フード、年上の鎧美女、老人。三者のうちのいずれかが、オトキヨ様という高貴な人なのだという。
どれだ?
真ん中の人に高貴さを感じるが、高そうな鎧のせいだろうか。俺の勘だと、あれがオトキヨ様に違いない。
「真ん中の年上女性は、少しプライドが高そうだけど……」
「ああ、あの方は常にオトキヨ様の護衛を担当してる側近のマイシー様だな」
残念。外れた。俺の目は節穴かもしれない。曇りなき眼を持ってるはずなんだけどな、まだスキルレベルを上げる必要があるみたいだ。なんてな、こんなのはスキルレベル関係ないだろうけども。
さて、ということは、残る老人か黒フードのどちらかがオトキヨ様ってことになるのだが、その前に、側近の鎧美女に興味が湧いたので、八雲丸さんにきいてみる。
「マイシー様というのは、どのような方なんです?」
「噂によると、どっかの貴族のご令嬢だって噂だが、戦いの才能を見込まれて側近にまで昇りつめたらしい。この闘技場に来るときには常に同行されている。彼女の特有スキルは『再現』。一度でも目にした技なら、コピーして完全再現することが可能って話だ」
「それは、すごいですね。どんな技でも?」
「いや、真似できない技もあるぞ、そういう技を持ってる戦士には、報酬も多いんだ」
「なるほど。つまり、この闘技場はマイシーさんを強化する場でもあるけれど、同時に彼女は、この闘技大会の審査員でもあるんですね」
「ほう、メチャクチャ察しがいいな。軍師になれるんじゃないか? ラック」
「おだてても乗りませんよ。調子に乗って痛い目を見るのは散々こりてますから」
「そうかよ。ま、どっちにしろ、マリーノーツには平和が訪れたんだ。軍師なんて、これから飯食っていけない職になるだろうよ」
「戦士も、いらなくなりますね」
「どうだろうなぁ……。ま、極限まで極めて極めて極め切った使い手だったら、どんな世界でも生きていけるさ」
と、そうしたところで、どっと歓声が上がった。
音に反応して戦場を見下ろしてみると、斧が空中を舞い、土の上にどさりと落ちたところだった。
「お、プラムちゃんが敵を追い詰めたな」
「二刀の女流剣士のほうは知り合いなんですね」
「ああ。海賊時代からの昔馴染みだ。プラム・イーストロードって子でな、多彩な技で敵を翻弄する。近接も遠距離も、地上も地下も上空も、あらゆる場所から攻撃する幅広い手段を持っているからな。ハマると今回みたいな一方的な展開になる」
「じゃあ、強いんですね」
「それはどうかな……」
「何か欠点が?」
「剣術スキルだけで言えば、金等級に匹敵するぜ。しっかし、防御も回避もなってなさすぎる。あのままじゃ、銀等級から上の世界には来られないっていつも言ってるんだがな、頑固なんだよ」
大歓声の中、背を丸めた丸腰の斧男を追い詰め、少女は舌なめずりをして、大きく振りかぶる。そして、刀身を紅く紅く輝かせ、渾身の一撃を振り下ろした。
刹那、男は背後に飛び退いて、これを回避した。男のいた地面が爆ぜた。
「何してんだ、大振りすぎる」と八雲丸さん。
プラムさんは爆風で巻き上げられた砂嵐で、敵を見失っていた。
武器を拾うと読んだ彼女は、斧が落ちていたほうへ懐から取り出した小さなナイフを投げつけたが、砂煙が落ち着いた時、そこに敵はいなかった。
斧男がどこにいたのかといえば、剣撃が届かない遥か遠く。
地面に人差し指で四角い渦巻きのような図形をいくつか描いており、そこに手をかざして、「雷光監獄!」とここまで届くような大声を発した。
すぐに土の中から幾筋もの輝く帯があらわれたかと思ったら、ばちばちと火花が散るような音がした。続いてプラムさんの本気の悲鳴が響く。
「八雲丸さん、あれ卑怯じゃないですか?」
「問題ない。なんでもアリだからな。ましてありゃあ、ただの魔法だ」
やまない悲鳴。
周囲を四角く取り囲んだ電気の檻が、彼女をひどく苦しめているようだった。
「八雲丸さん、これまずいんじゃ? あの子、死んじゃいますよ?」
「運が悪けりゃあな」
「な? そんなアッサリと。仲間じゃないんですか?」
「そうだけどよ、あいつの夢は、大勇者になることなんだ。あの斧使いは所詮は銀等級上位。あんな相手にも勝てないようじゃ、夢のまた夢だろう?」
「大勇者……」
「ああ。あこがれの人がいるんだとさ」
プラムさんは、剣を持っていないほうの手で雷の檻を握りしめて、叫ぶ。
「なんの……これしきぃ!」
雷の帯が一本ひしゃげて、大きくなった隙間から勢いよく脱出した。
遠目からなので声はきこえてこなかったが、彼女の唇を読むと、「ふぃ、あっぶないとこだったぁ」といったところか。
ところどころ焼け焦げてしまった服を気にする余裕もあるようだ。
「フッ」と八雲丸さんは呆れの色を帯びた息を吐き、でも安心した表情で、「詰めの甘さは相変わらずだな。魔王相手だったら死んでたぞ、プラムちゃん」などと呟いた。