第69話 レヴィアとの別れ
レヴィアのことが心配だった。誘拐なんかされて、怖い思いをしたんじゃないか。心に傷を負ったりしたんじゃないか。
フレイムアルマ広場のベンチ、隣に座ったはいいけれど、話しかけられずにいた。
おそろしかった。
もしもレヴィアがレヴィアじゃなくなってしまっていたらと考えると、何の声も出せなくなった。
彼女は相変わらず、天井に描かれた空……その一番高いところにある螺旋状の炎に釘付けである。
「……レヴィア?」
勇気を振り絞って、彼女に話しかけた。
反応があった。一度こちらを見て微笑んだ後、再び炎を見上げた。
「レヴィア、大丈夫か?」
すると、炎を見つめながら、言葉を返してくれた。
「はい、私は無事です」
「本当か?」
「はい」
「本当に本当か?」
そしたらレヴィアはうふふと笑った。
「ええ。何もされてませんよ」
誘拐されたっていうのに、全然緊張感がない。
「キャリーサは、優しくしてくれました」
本当に大丈夫なんだろうか。誘拐事件において、被害者が犯人との精神的つながりをもってしまうことがあるという。ストックホルム症候群とか呼ばれる現象だ。それにかかっていないか心配だ。
ベスさんがまだここに居てくれたら、特殊スキルを使って、レヴィアが本当に無事かどうかを明らかにできるというのに。
何が本当で何が嘘なのか、三つ編みおばさんのスキルを使えば一瞬で明らかになるだろうからな。
だけど彼女はもうキャリーサを引きずってネオジュークの建物群に消えてしまった。
ここらへんは巨大な建物が密集している場所にある広場だから、今から追いかけても発見が難しいだろう。
鳥を飛ばそうにも、悲しいかな借金のカタに買ったばかりの鳥を差し押さえられてしまったから、俺のために急いで飛んでくれる鳥はいない。
けれども、今は去ったばかりの人の再登場を期待していてもしょうがない。覚悟を決めて、レヴィアと話そう。
と、そう思った瞬間に、レヴィアの方から、
「すみません、ラックさん」
申し訳なさそうな声だった。
そこで俺は、和まそうと冗談っぽく、
「友達を助けるやつが、俺に助けられてどうする」
などと言ってやったのだが、レヴィアは笑うでもなく怒るでもなく、少し悲しそうな顔をして、炎に目を向けたまま目を閉じてしまった。
「で、でも、無事でよかったよ、本当」
俺が取り繕うように言うと、レヴィアは、まるで出会った頃のように、話の脈絡なんてものをまるで無視して、言うのだ。
「……今の私、どう見えています?」
この質問の意図は何だろう。
何なのだろう。
戸惑いの中、俺は質問返しを選択した。
「どうした、やっぱキャリーサに何かされたのか?」
「いえ、特にひどいことは何も」
「そうか……」
会話が途切れたところで、レヴィアが不安そうな顔をして帽子を触ったので、俺はさっきの彼女の質問に答えてやる。
「大丈夫、いつもの可愛いレヴィアだよ」
レヴィアからは俺の浮わついた発言に対する反応はなにもなかった。
ただ目を開いて、再び天井にある炎を見つめだした。槍のような支柱を軸として、蛇のように白い炎が巻き付いている。太陽の役割を持つ渦巻く炎。
どうやらあの炎こそ、ネオジュークをネオジュークとして存続させているものらしい。あれのおかげで、巨大ピラミッドの内側が常に昼間なのだ。
「あの炎、渦巻きだな。レヴィアは、渦巻きが好きなんだよな」
「ええ、あれを見ていると本当に落ち着きます。マリーノーツで最も美しい炎の剣です」
「たしかにな、炎を見つめてると落ち着くよな。いや、こんなことを言うからって、俺は別に放火魔じゃないぞ」
そこでまた会話が途切れてしまった。
なんだかレヴィアの様子もおかしいし、どうすればいいんだ。なんとなくだけど、俺と彼女の間に堅牢な壁が建っているかのような冷たさを感じる。
「あのさ、誘拐されるときに、なんとか抵抗できなかったのか? レヴィア」
「私はもう、弱くなってるんですよ、ラックさん」
「なんでだ?」
そこで、レヴィアはようやく炎から目を離し、俺の方を見てくれた。
けれども、また黙ってしまった。
「…………」
理由は言いたくないのだろう。だけどさ、本当に弱くなっているのかわからないけれど、もし弱くなっていたとしても、そんなの、今は全くどうでもいいことじゃないか。
レヴィア、俺を甘く見てもらっては困るぜ。
「――俺は、レヴィアが強いから一緒にいたいんじゃない。レヴィアが可愛いから一緒にいたいんでもない。レヴィアと一緒にいたいから、一緒にいたいんだ!」
条件なんかいらないんだ。理屈なんかいらないんだ。俺はレヴィアが好きなんだ。
ああそうさ。
認めよう。俺は嘘ばかりの彼女が本当に好きなんだ。
どう見ても年下の、小さな彼女のことが。
レヴィアは、高貴な貴族のような羽根つきの純白の帽子をかぶり、輝く白い服に身を包んでいて、長めのスカートをはいている。
小さくて、可憐で、まぶしくて、神々しくて、わがままで、嘘つきで、怒るとこわくて。
これから先も、一緒に行きたいんだ。この石畳の街道の終点であるフロッグレイクや、そのさらに先まで二人で行きたいんだ。そしてまたホクキオの町に戻って、しばらく平和にくらして、いつかまた二人で旅に出るのもいい。
だけど、彼女は首を振った。
「いいえ、もう無理です。私は、ラックさんとは一緒にいれなくて、ここでお別れしなくちゃいけなくて」
「なんでだ」
「ネオジュークで、やらなきゃいけないことがあって」
「友達を助けるんだったよな。それは、俺も手伝うから」
「ちがうんです」
「じゃあ、本当はどんな用事なんだ?」
そしたら、彼女は急に泣き出した。もともと小さな体をさらに小さくして、謝罪の言葉を繰り返す。
「ごめんなさい。ごめんなさい。嘘ばかりで、ごめんなさい。でも、言えない……絶対に言えないんです……ごめんなさい……」
――嘘。
ああ確かにね、ホクキオからこのネオジュークまでの旅路において、彼女は本当に嘘ばかりだったと思う。
本当に、あからさまに嘘っぽい、わかりやすい嘘ばかり……。
だけど俺はね、塗りたくられた透き通る青空を背景に、泣きじゃくりながら謝罪を繰り返す彼女に、恋をしているんだ。
彼女が発する言葉なら、どんなひどい嘘だって愛せるくらいに好きなんだ。
たとえ運命が俺たちを引き裂こうとしたって、全力で抵抗してやる。そう叫べるくらいに好きなんだ。
俺が言えるのは、ただ一言。
さっきの言葉を、もう一度。
「レヴィア、俺は、お前と一緒にいたいんだ」
彼女は、自分の帽子を両手で強く掴んで、深くうつむいた。
助けてやりたいと、力になってやりたいと、心から思う。
「レヴィア、旅を続けよう」
「でも……」
「俺はいつまででも待つぞ。レヴィアの用事が終わるまで、絶対にここを動かない。なんなら、レヴィアの用事に、俺がついていっても良い。迷惑じゃなければ、だけどな」
「それは……」
「どうしてもレヴィアがいいんだ。レヴィアじゃなきゃ嫌なんだ。俺にはレヴィアが必要なんだ。誰よりもレヴィアが……好きなんだ」
「え……」
「好きだ、レヴィア」
ついに言った。言ってやった。俺は偽りのない気持ちを彼女に伝えたのだ。
やや張り詰めたような静かな時間があった。俺にとっては何十秒にも感じられる重たい時間だったけれど、もしかしたらたったの数秒だったかもしれない。
やがてレヴィアは、あっさりした口調でこう言った。
「私は、ラックさんのことそんなに好きじゃないです」
ふられた。
嘘でしょう。
本当にあっさりだ。
ああそっか。そうだよな。
ああ、ああ。知ってた、わかってた。年上だろうが年下だろうが、人生はそう簡単にうまくいかないもんだよな。
俺がどんなにレヴィアのことが好きでも、レヴィアが俺のことを好きになってくれるとは限らないもんな。
絶望的にタイミングが合わない人生を送ってきたから、そんなの知ってる、わかってる。
こういう運命なんだ。始まる前から終わっているような人生なんだ。
だからせめて、こんな俺とでも少しの間だったけど一緒にいてくれてありがとうと言おう。せめて最後に、終わりに、そう言って別れよう。
ところが、まだ終わりではなかった、彼女は続けて言う。
「……だって、お互いのことを知らないじゃないですか。今は、まだ」
地獄に垂れてきた一本の糸を掴んだような感覚。
「え……」
「だから、ラックさん。一緒に旅をするなかで、考えさせてください」
それって……。
ここでお別れじゃないってことだ。
レヴィアが、一緒に行ってくれるってことだ。
諦めていた。無理だと思った。お別れだと思った。でも違った。
俺の心は一気に天国の階段を上り切った。
「本当に? 本当にいいのか?」
「はい。これからも、よろしくお願いします」
レヴィアは微笑んだ。これまで見たことのない満ち足りた笑顔で。
「ここで少し待っていてください。すぐに用事を済ませてきますので」
とても嬉しい。
どんな形であれ、気持ちを伝えた果てに、これから先も好きな人とともに歩いて行けることが、本当に幸せだと思った。
彼女は石畳を蹴って少し走り、ふと立ち止まって、振り返った。
俺の目を見て、彼女は言う。
「ラックさん、私を信じて、待っていてくれますか?」
「ああ、信じて、待ってる」
力強く、頷いてみせた。
彼女は風のように駆けてゆく。帽子をおさえることも忘れて、白い服を揺らしながら、やがてネオジュークの人波の中に消えて行った。
てなわけで、俺の真剣な告白に対する答えは、保留だった。
つまり、俺はレヴィアにキープされたわけだ。
【第四章につづく】