第68話 もはや獣のキャリーサ(2/2)
「貴様自身が獣となったのだから!」
俺が声を張り上げると、キャリーサはいかにも不快そうに口の端をゆがませた。
「ははっ、やっぱ、あたいって、話し合いなんて性に合わないみたいだねぇ、……あんたを倒して言うことをきかせてやる!」
戦闘、開始。
キャリーサは、カード三枚を取り出し、さっとひと撫でした。まがまがしい合成獣を生み出される――。
かと思ったのだが、俺の目には赤く光るカードが三枚、宙に浮いているだけであった。
カードが偽装されているので、俺の曇りなき眼には宙に浮いた紙片がふわふわと上下しているようにしか見えない。
しかし、俺以外の人にはかなり気持ち悪い姿に見えているようで「うわぁ……」と声を漏らしたアオイさんは、声も出せないほどの恐怖で固まっている薬屋眼鏡の腕にしがみつき、彼の背に隠れようとしていた。
「アオイさん、何が見えますか?」
「え? ラックくんには見えないの? あのやばいやつ」
「ええ、どうやら偽装スキルが使われているようです」
「だとしたら、すごく高位の偽装スキルだね。こっちの目には説明するのもおぞましい化け物が映ってる」
街の人々は尋常じゃない悲鳴をあげて逃げていくし、振り絞るような声の薬屋は、「ラックくんは幸せ者だ、こんな気持ち悪い光景を目の当たりにしなくて済むんだから」などと言ったまま直立不動だった。
キャリーサは、自分の生み出した合成獣にうっとりしたようで、三枚のカードの奥で恍惚の表情を浮かべていた。
「ふふっ、今回のは傑作だねぇ。はずれ馬券と、ラジオ体操出席カードと、床屋のポイントカードを組み合わせているからねぇ!」
全く想像できない。なんだその組み合わせ。
「アオイさん、どんな形をしてるんです?」と俺。
「説明させないでよ、おぞましい……」アオイさんの声も震えていた。
そう言われると、逆に見たくなってくるけれど、俺の目は変わってしまった。偽装されたものは本来の姿で赤いオーラをまとって見えるだけだ。
「カメラでもあれば、もしかしたら姿が見られるのだろうか」
「何言ってんの? 頭鑑定してあげようか? あんなもの撮ったらカメラ腐る! フィルム代も勿体ない!」
「そうは言いますけどね、アオイさん。だったら説明してくださいよ、どんな化け物なんです?」
するとアオイさんが答えるかわりに、薬屋眼鏡が恐怖に震える声のまま説明してくれた。
「ボディはおっきいムシだよ。クワガタのメスみたいなのだ。足が六本あって、歩くときにぐねぐね踊ってて、しかも馬の脚だ。そのうえ、甲虫の背中からは毛むくじゃらの五本指した腕が生えていて、その手には血塗られた銀色のハサミが握られている。すごく大きなハサミだ。とても近寄れない」
「……気持ち悪いっすね」
巨大な蟲のボディ? 馬の脚? 巨人の手に大きなハサミ?
想像するだけで精神が汚染されそうだ。服の趣味もやばいけれど、キャリーサの動物趣味には全く共感できない。なぜそんなに奇形生物を可愛がれるのだろう。
キャリーサは軍配を振るうかのごとく勢いよく腕を振り、合成獣に指示を与えた。
「やっておしまい! あの男に、真の恐怖を味わわせてやるのさ!」
アオイさんと眼鏡の二人が、二人して尻餅をついて慌てふためいたので、きっと攻撃を開始したのだろう。
だが、やっぱり俺の目には、三枚のカードがゆらゆら揺れているようにしか見えない。
カードの向こうには、勝利を確信したかのようにニヤリと不気味に笑うキャリーサ。そのさらに向こうに、心ここにあらずの表情で空を見つめ続ける少女の姿。魂が抜かれたかのように、ぼーっとしている。
俺の心は波立った。
絶対に許すわけにはいかない。
レヴィアをこの手で取り返す!
さいわい、俺の目には化け物の姿なんて見えちゃいない。二人の連れがどれだけ恐れていても、俺の前にあるのはただ三枚のカードのみ。
恐れる必要など何もないんだ。
「いくぞキャリーサ!」
走りながら手を伸ばす。
俺が手を伸ばした先にあったのは、一枚のカード。一度はするりと避けられたが、必死に追いかけてキャッチした。
するとどうだ、他の二枚のカードが光を失って地面に落ちてしまった。
「え……?」
キャリーサは信じられないといった表情で言葉を失い、固まった。
アオイさんの嬉しそうな歓声が上がった。一体、周囲にはどのように見えたというのだろうか。おそらく、俺が合成獣を一瞬で消したように見えたのだと思うが。
俺は地面を蹴る。
そのままキャリーサのところまで進んでゆく。
「レヴィア、いま助けるぞ!」
しかし、まだキャリーサは余裕の表情だった。
「あたいが何の準備もなくこの場所に陣取ったと思うかい? 足元を見てごらんよ。見えるだろう、大量のトラップがさ」
敵はそう言ったが、俺の目にはトラップじゃなくてトランプがばらまかれているようにしか見えなかった。おそらく攻撃力をもった偽装オブジェクトを配置していたのだろうが、触れるだけであらゆる偽装を無効化する俺の『曇りなき眼』に対しては全くの無意味。
次々に踏みつけてやったら、キャリーサは「ちょ、ちょっと」と慌てた声を発した。
「あたいのトラップが、発動しない? クッ」
キャリーサはしなやかな指でカード五枚を撫で、宙に浮かせた。新しい合成獣か、もしくは防御力をもった盾や壁でも出したのかもしれない。
だけど、一枚のカードを握りしめてやったら、他の四枚も地面に力なく落下した。
心の折れる音がきこえてくるようだった。
絶望するキャリーサ。
今にも泣き叫びそうな涙目のキャリーサ。
可哀想だなんて思ってやらない。だって、俺のレヴィアを奪い去った悪者なのだから
「くらえぇええ!」
拳を握りしめる。
心を鬼にして悪党を成敗してやる。レヴィアに二度と手を出させないために、絶対やっちゃいけないことは絶対やっちゃいけないんだってことを、わからせてやる!
拳を振った。貧弱な俺の渾身の右ストレートパンチ。
だけども、その攻撃は外れた。
長身のキャリーサが地面にしりもちをついたのだ。高いヒールで石畳を蹴りながら、お尻をこすりつけるように後ずさりしている。
「ごめん、ごめんなさい。ごめん……」
やがてヒールが折れ、身体を丸め、大きな手で顔を覆って泣き出してしまった。
戦意喪失。
予想外の脆さ。
そんでもって、泣いている無抵抗の女を見下ろしながら拳を握っている俺。
もし、こんな現場を人々に見られたら、またギルティ祭りが始まってしまうのではないか。そんな嫌なイメージが湧きあがった。
いつの間にか集まっていた観客たちは、ざわついている。
途中から来た者は、「あの男は何をしているんだ?」とか言って俺を非難するような態度だったが、周囲の人々が、「化け物を使って暴れた女を、彼が取り押さえているのだ」と説明してくれていた。
俺の心配は現実にならず、人々は、だんだんと俺を褒め称え始める。
「よくやった」
「どうやったんだ、すげーよ」
「ナイス魔女討伐ゥ」
これまで罵声を浴びせられることばかりだったから、驚きもあり、目立ってしまう恥ずかしさもあった。だけど、何よりやっぱり、やっとこの世界の住人として認めてもらえた気がして、とてもとても嬉しかった。
俺は、歓声に応えるかのように、キャリーサに詰め寄る。レヴィアを誘拐した落とし前をつけさせ、もし彼女が洗脳されているなら、元に戻させてやる。
と、俺がキャリーサの紫の襟に手を伸ばしたその時である。
「――こら! 何やってんの!」
知っている声がした。
声のした方を振り向くと、人垣の中から薄化粧の三つ編みおばさんが歩み出て、怒ったように腕を組んでいた。
「べ……ベスさん?」と俺。
「おばさん?」とキャリーサ。
三つ編みおばさんの牧場主ベスさんは、明らかに怒りの色を帯びながら、言うのだ。
「なんで味方同士で戦ってんの? ばかなの?」
あまりに予想外の出来事に、俺は混乱せざるをえない。
「いやその、この女が、俺のレヴィアを誘拐して……」
「レヴィアって誰よ」
「あのベンチに座って頭上を見上げている世界で一番かわいい女の子です」
ベスさんは、帽子の女の子を一瞥した後、キャリーサを見下ろして、
「誘拐ってなによ。説明して」
「ちがうの、おばさん。ラックが言うこときかないから!」
「誘拐したの? ラックくんの仲間を」
「し、してない!」
キャリーサは嘘を吐いた。
「へぇ」
ベスさんは言いながら、みずからの三つ編みに触れた。
三つ編みのベスさんには特殊スキル『正義』がある。三つ編みに触れながら、「~と誓いますか?」という質問をし、返答が嘘だった場合は、自動的に三つ編みがほどけるというスキルであるという。
「あなたは、誘拐をしていないと誓いますか?」
キャリーサは、「うっ」と声を漏らしながらも、「誓います……」と呟いた。
ほどけた。
ばつんと勢いよくほどけた。
有罪、確定。
「はいギルティ! ウチの目は誤魔化せないよ!」
ベスさんは言って、素早く三つ編みを編みなおし、さっき俺が掴もうとしていたキャリーサの服の襟を掴んで、無理矢理引きずっていく。
「ちょっと、待ってよおばさん! だってラックがあたいの言うことを聞いてくれなくて! あたいが案内人なのに!」
「だからって、誘拐しちゃダメでしょ!」
「やめて、待ってよぉ」
ずるずると引きずられていくキャリーサ。
俺はその姿を呆然と見送るしかなかった。
やがて揺れていた三つ編みがぴたりと止まり、ベスさんは振り返って、俺に勢いよく接近してきた。そして耳元で、他の誰にも聞こえないような小さな声で囁いたのだ。
「ラックくん、もう安心して良いよ、追手はこないから。オリハラクオンは死んだことになったから」
なんだか複雑な気分になりながら、三つ編み揺れる背中と引きずられていく紫女を見送る。
「おぼえてろよ! ラックぅ!」
などと、限りなくコモノ感あふれる捨て台詞を響かせながら、二人は見えなくなった。
ベスさんは、嵐のように突然やってきて、すぐに去っていったというわけだ。