第66話 オリジンズレガシー
「ねえラックくん。『ケツむしり』ってヒドくない?」
さっきから何回それを言ってくるのだろうか。
アオイさんには同情するしかないと思うけれど、実を言うと俺も彼女にはケツの毛をむしるような取り立てをくらったことがあるから、正直に打ち明けると心のどこかで爽快な気持ちがなくはない。
けどまあ、何はともあれ、今はとりあえず、その話は後にしてほしい。
俺は今、偽装されたトンガリ双子塔の横にある建物の応接間、そのふかふかのソファに腰かけながら、さっきの長老と話をしている最中なのだから。
「ここにおるのは、みな元は奴隷として働いていた連中でな。主にネオジュークの地下を掘り進んだり、黒ピラミッドの資材を運んだりといった作業をしておった。無駄に鍛え上げられておるのは、そのせいじゃ。それに加え、奴隷生活は着飾ってはいかんかったからな。反動で個性豊かな服装になってしまうのも無理なきことじゃった」
「奴隷……ですか」
そういえば、奴隷がいるんだよな。俺もあやうくアンジュさんに奴隷として売り飛ばされそうになったことがあるし、レヴィアがネオジュークに行く理由も奴隷になった友達を助けるためだって言ってたし。
しかし次の瞬間、老人は驚くべきことを口にした。
「じゃが、数年前に奴隷は廃止された」
「え?」
「もう奴隷などという身分はない」
「おお、それは、よかったですね」
「転生者ならばそう思うのも無理はない。じゃが、そう単純なことでもないんじゃ」
「え。何か問題でも?」
「奴隷といってもタダ働きというわけではなく、むしろ普通より高額な給料があったからの。その上、奴隷は税が免除だったんじゃ。」
「税……ですか」
「現実世界の奴隷というのは、もう本当にひどい有様だったんじゃろうし、この世界でも奴隷がひどい扱いを受ける時代もあったんじゃ。じゃが、そんなものは、もうかなり昔になる……オトキヨの慈悲により奴隷法が改正され、この世界における奴隷はそう悪い待遇ではなくなった。名前のイメージこそ悪いままじゃったが、慈善事業として行われるようになったんじゃ」
「ん? 奴隷が、慈善事業?」
現実世界とのあまりのイメージの違いに、戸惑いを隠せない。
「そうじゃ、奴隷は守られる存在になったのじゃ。そもそもマリーノーツで奴隷になる者は、一部の物好きか食いつめて都会に集まってきた連中ばかりでな、奴隷としての仕事がなくなってしまうと、ろくなことをやらない。治安の悪化を危惧する政治家が手を打つのは当然の事じゃったろう」
「でも、今はその奴隷制がなくなったんですよね」
「ああそうじゃ。近ごろ調子づいている一部の聖典派の政策によって奴隷という身分はなくなり、職業が選択できるようになった」
「自由になったわけですね。じゃあやっぱり、良いことなんじゃ……」
「いやいや、もともとオトキヨの改正後の奴隷は自由じゃったよ。続けるもやめるも自分次第じゃった。要は長時間の拘束と重労働の対価として、高給を受け取り、税を徴収されないといった感じじゃったからの。むしろ奴隷の定員をオーバーしとったくらいじゃ」
どうも泊まり込みの高額アルバイトみたいな感覚っぽい。現実で想像される奴隷と、この世界の奴隷を一緒にしてはいけないようだ。
あれ、そうなってくると、レヴィアが言ってる「奴隷の友達を助けたい」というのが、差し迫った問題ではなくなってしまうのだが……。
この老人の言ってることは本当なのだろうか?
あるいは、レヴィアの言っていることは本当なのだろうか?
「問題は、奴隷としての仕事がなくなった後なんじゃ。ついに数百年をかけたネオジュークを覆うドームピラミッドとやらの建設が終わり、頂上付近に常に輝き続ける炎が設置され、石造りの建物たちがニョキニョキと地上に満ちた。こうしてネオジュークは文字通りの眠らぬ街になった。いわば……街が完成してしまったわけじゃな」
「つまり、完成してしまったら、彼らの仕事が……」
「そう、その通りじゃ。それまでの奴隷たちは、大工スキルなどの建設系スキルばかりを磨いてきた連中じゃった。そやつらの仕事場がなくなり、莫大な資金が必要となるスキルリセットなどが気軽にできるはずもない」
「そしたら、勢いあまって暴動に……」
「させんかったよ、このワシが。すべて先に手を打っておいた」
「それってどういう……」
「奴隷制度がなくなってすぐに、ワシは奴隷たちを一人ひとり勧誘していった。ワシの組織に入らぬかとな」
「組織?」
「そうじゃ。その名も、『オリジンズレガシー』」
英語である。日本語にすると、「根源の遺産」とか? そういう感じだろうか。
――Origin’s legacy。
もしここで、頭文字をとって略すと「OL」ですね、働く女性の味方ってわけですね、とか言ったらどうなってしまうだろうか。すごく口走りたくなったけど、なんとか我慢した。
「いやあ、格好いい名前っすね。オリジンズレガシー」
「じゃろう? 主な仕事は、情報収集じゃ。たくさんの人間が行きかう夜のない町ネオジュークは、情報量も他とは比較にならないくらい圧倒的に多いのでな。そこで、奴隷だった者たちを雇い、その中の転生者をスキルリセットさせ、高位の偽装スキルを身につけさせ、情報機関を組織しているというわけじゃ。オトキヨの改革をこえる最良の慈善事業というわけじゃな」
「転生者以外は、どうしてるんです?」
「……うむ、鋭い質問じゃな。実は、転生者しかスキルの上限突破はできんからのう。普通の人々には、この隣にある塔型の建物のなかで自由に生活してもらっておる」
窓の外には、俺の目には赤いものをまとったレンガの塔が見えている。しかし普通の人の目には、建物の存在は何もないかのように映っていて、ドームの内壁に描かれた空が透けて見えるようになっているというわけだ。高度な偽装である。
その塔の中で、偽装スキルを上限突破できない人たち、すなわち、元奴隷で建築系スキルに特化した人々が暮らしているとのことだ。
「みなさん、どんな仕事をしてるんです?」と俺がきくと、
「彼ら彼女らには、それぞれ建物内の自分の領域を守ってもらっておる。生活必需品や娯楽は、すべてこちらで提供しておるから……」
「あれ、それって……自宅警備ってやつで、働いてないってことじゃ」
老人は誤魔化すようにフォフォフォと笑ってみせた。
「いや、笑い事じゃないっす」
「すまんすまん。……まあ、そうとも言えるかもしれぬな。奴隷であるかどうかは自由じゃったとはいえ、奴隷である以上は強制労働じゃったから、奴隷になっていた反動で、仕事しなくなってしまったのかもしれん。ま、今は来るべき戦いのときにそなえて、英気を養ってもらっておると思えばよい」
なんとまあ、この一言で、この格好いい名前の組織が、ストライキを生業とした、はたらきたくない人の集まりみたいなイメージになってしまった。
「どうじゃラック、我々の一員にならんか? ともに聖典派の連中による世界への偽装を暴くのじゃ。世界をあるべき優しい姿に戻すには、おぬしの力が必要じゃ」
なんだか勧誘を受けたぞ。
働かないで楽して過ごせるなら魅力的だけれど、さっきの老人の説明からすると、楽をしているのは元奴隷たちで、彼ら彼女らの分も転生者が働くことになっているのだとしたら、転生者への仕事の負担は思いのほか大きそうである。
何はともあれ、今の俺にはこの組織のよしあしはわからないし、何より今はレヴィアのことが心配だ。正直に伝えるしかない。
「今はそれどころじゃないっす」
「気が向いたら、考えておいてくれんかの」
「でも、ちょっと気になるんですけど、どうして俺を誘うんです? スキルリセットが湯水のように使えるなら、鑑定する人や検査する人も作ればいい。レベルを上げさせて『曇りなき眼』をおぼえさせてやればいい」
俺がそう言った時、老人の顔があからさまに曇った。何度か取り繕おうとしたようだが、やがて諦め、老人は言う。
「ここだけの話……もう無いんじゃ」
「無いって……何がですか?」
「スキルリセットアイテムは、湯水のように次々と湧いてくるものではなくてのう。すべて使ってしもうた」
「そうなんですか……」
「ああ。じゃからな、ワシは待っておったのじゃ。お主のような曇りなき眼をもつ者を」