第63話 曇りなき眼(2/4)
ネオジューク黒富士が見える坂の上で俺は年上の女と再会した。
山賊アンジュでもなく、大勇者まなかでもなく、三つ編みのベスさんでもなく、合成獣士キャリーサでもなく、一番地味な大和撫子ふうの女性が、長い髪を風に揺らしてたたずんでいた。
誰かと思えば、ギルド鑑定士のアオイさんだった。
「アオイさん?」
「や、ラックくん。ていうかさ、手配書が出てたの知らないの? 追われてるんじゃなかった?」
「手配書? あんな似てないものを配られたところで、捕まる気がしませんよ」
「まあ確かにね。あの手配書は悪意丸出しだったよね。ラックくんって、そんなにぜんぜんカッコよくはないけど、さすがにあそこまでヒドくないし」
そのアオイさんの発言にも、十分に悪意がある気がするんだけども、俺は何か彼女の恨みを買うようなことをやらかしただろうか。身に覚えがあまり無いのだが。
思い当たることがあるとするなら、まだ借りた金を返してないことが挙げられる。
「あの、アオイさん」
と、俺が借金のことを口にしようとしたら、年上の女は心が読めるのだろうか、先回りして言ってきた。
「まだしばらくいいよぉ、返さなくても」
「はぁ、それは、本当にありがたいですけど……」
「ていうか大丈夫? いくら手配書が似てなかったからって、さすがに危なくない? 真っ白な服の女の子を肩車とか、ひどく目立つんだけど」
「危なくないですよ。ちゃんと頭につかまってくれてますし」
「いやいや、そういうことじゃあなくってね……」
「とにかく! 俺はもう、レヴィアが交差点でもみくちゃにされるのは、イヤなんですよ」
「ふぅん」
言って、アオイさんはレヴィアを優しい目で見上げた後、俺の目をじっと見つめ、続けて言う。
「それはそうと、だいぶスキルレベル上がったみたいね。『曇りなき眼』なんてマニアックなスキルに振ってるの、マリーノーツじゅうを探してもラックくんだけなんじゃないかな。大半の人は、そんなスキルがあることも知らないよ」
「ってことは、こうして人影が赤く浮かび上がって見えるのは、『曇りなき眼』の効果なんですか?」
「ギルドのデータベースによると、確かに偽装されているものが赤いオーラを纏うようになるって話よ」
「あれ、その口ぶりだと、アオイさんは、このスキル持ってないんですか?」
「そうね、こっちのレベルが足りてないってのもあるけど、何より、こっちの研究は、偽りの情報も詳しく見る必要があるから、『曇りなき眼』はかえって邪魔かな」
「なるほど」
アオイさんの言う研究っていうのは、聖典と原典の研究のことだろう。たしか、聖典マリーノーツは捏造されたニセモノで、本物の原典ホリーノーツがあるはずって話だ。んで、その原典の真のすがたってやつをアオイさんは突き止めたがっているわけだ。
「アオイさん、その後、研究は進んだんですか?」
俺がそう言った時、なぜか彼女はイラッとした雰囲気を出した。
そこはかとなくヤバイと思ったので、すぐさま話題を変える。
実はアオイさんの横には、もう一人、俺の知り合いがいたのだった。随分前から気付いてはいたのだが、そのことにやっと気付いたふりをして、彼のことを話題にして年上女性のイライラ回避を試みる!
「あ、ところでアオイさん、そっちの人、薬屋の……」
と言いかけたところで、アオイさんの横にいた眼鏡男が遮るように、
「やあ、これはこれはラックさん。レヴィアさんとラックさんの話はアオイちゃんからききました。その後、レヴィアさんの調子はどうですか? 薬のききめは?」
「ああ、はじめ薬を嫌がったんだけど、アオイさんの機転のおかげでな、今では俺の頭の上で元気にしてる」
「そのようですね。何よりです」
「いやあ、それにしても、良い眺めだ。あそこに橋があるだろう? あれはニゴリ橋というんだ。ネザルダ川は、普段は水かさの少ないおとなしい川なんだけど、大雨の時には暴れ川になるって名高いんだ。そこにかかる丈夫な石橋は、何度も洪水に耐えたんだよ。ボクがアオイさんを誘ったのは、この景色を彼女に見せるためなんだ」
眼鏡は嬉しそうに語り、遠い目をして下り坂の先に広がる景色を眺め、目を細めた。
「なるほど、今日は、お二人でデートなんですね」
そう言った瞬間、薬屋眼鏡の口の端が緩み、和やかで恥ずかしげな雰囲気が出たのだが、一方で、アオイさんは顔に笑顔を貼りつけながら、怒りの暗黒オーラを纏っていた。
「いやあ、実はその通りなんだよ」と男がニヤニヤしながら言ったところで、さらに彼女のイラっとしたオーラが強まった。
――デートなんですね。
これが、どうも大いなる失言だったようだ。
「勇気を出して誘ってみたらオーケーしてくれてさ、初めてのデート中なんだよ」
薬屋眼鏡がその言葉を吐いた時、ついにアオイさんの表情が俺に対する憎しみを帯びるようになってしまった。心の中の舌打ちがきこえてくるようだぜ。
アオイさんは取り繕うように笑顔を貼りつけてから言う、
「あ、そうだ、ラックくん。あっちに怪しい看板があるんだけど、ちょっとあなたのその目で見てみてくれない? こっちの検査スキルじゃレベルが足りなくて、周辺の街並みとかから違和感は覚えるんだけど、どうにも正体が突き止められないのよ」
「はぁ、いいですけど……」
そうして腕を引っ張られて、連れられて行く。
「あ、薬屋さんはそこで待っていて」とアオイさん。
振り返ってみれば、ついて来ようとしていた薬屋さんは少し寂しそうな顔をしていた。
「いいんですか? アオイさん」
俺が言ったら、アオイさんは無言を返してきた。年上の女の無言のプレッシャーには、現実世界にいたころにも散々経験して、ある程度慣れていたので、精神崩壊するほどではないけれど、やはり少しおそろしい。
★
レヴィアを肩から降ろして、薬屋眼鏡に任せた後、アオイさんについて家々の間を縫うように歩いていくと、少しだけ開けた場所に出た。
年上の女にシメられると思った俺は、少し委縮していた。
そんな俺を見たアオイさんは、呆れたようなため息を吐いて、言う。
「二人きりになって叱りつけたいってのもあったけど、見てほしい看板があるのも本当なんだよね」
「はぁ……」
「この道はユウスイ通りっていうんだけども、なんか変なんだよね。何が変かっていうのは、ハッキリわからないんだけど……」
「そうなんですか」
何の変哲もない道に見える。強いて言うなら、ユウスイ通りという道の上だけ、周囲よりも新しい石畳が敷いてあるようだった。
「道の起点はホクキオの北あたり。そこから、まるで蛇みたいに細長く蛇行して東西に走ってる。ホクキオと違ってこのへんは都会だけど、この道の周辺だけ建物がなくて、散歩している時にユウスイ通りに出ると、まるで違う世界に迷い込んだ気分になるから好きなんだよ」
自分の長い髪を撫でながら、彼女は言った。アオイさんの好きな道らしい。
だけど、違う世界に迷い込むっていう表現には少し違和感があった。だって俺にとっては、今まさに現在進行形でマリーノーツという異世界に迷い込んでいる最中なのだから。
アオイさんも転生者のはずなのだけれど、もしかしたら彼女の異世界生活は思いのほか長いのかもしれない。たぶん俺とは比べ物にならないくらい。少なくとも、この世界が完全にホームグラウンドだと思えるくらいには。
「それでねラックくん。見てほしいものっていうのは、あの古くて白い看板なんだけど……」
彼女が指さした先には、確かに看板があった。
しかし、白い看板には見えない。赤い看板である……と思ったのだが、それは看板が赤いのではなくて、禍々しくも見える赤いユラユラオーラをまとっているだけだった。
「あの看板、すごく怪しいのよ。『ユウスイ通りは、勇士たちによって開かれた千年の歴史をもつ由緒ある通りである』とか書いてあるけど、それなのに古地図に載ってないし、とにかく、なんか変なの」
「ええ確かに、偽装されてるみたいですね」
「ホント? こっちの検査と鑑定じゃ見抜けなかったんだけど、やっぱそうなんだ」
「ええ、ユウスイ通りなんて書いてないですね」
「何? 何? なんて? なんて書いてあるの? ねえ」
アオイさんがずずいと身を乗り出してきた。もう息がかかる位置にまで接近してきて、ものすごく顔が近い。
俺は恥ずかしさと後ろめたさから思わず後ずさり、目をそらして答える。
「えっと、『チカイノ川』って書いてます」
「あ、川!」
「そんで、読めない字が整然と並んでます」
「ちょっとその文字書いてもらえる」
アオイさんは紙とペンを握らせてきた。
「はぁ」
と軽い返事をして、青空の下、赤いオーラをまとった看板に書かれている文字を書き出した。
けれども、知らない字を意味も分からずに書くという行為には、あまりに大きなストレスを覚える。俺の脆弱な精神がすぐに睡眠を欲するくらいにはね。
「なら、これで……」
俺は紙とペンを地面に置いて、看板を掴んだ。ひんやり冷たい感触だ。
複合スキル『曇りなき眼』には二つの役割がある。一つは、偽装しているものが視界に入った時に偽装されているとわかるよう、赤いオーラを纏うこと。そしてもう一つは、偽装されているものに触れている間は、その物の偽装が無効化されるのだ。
「わっ、マジすごいねラックくんのスキル」
年上の女に褒められた。