第62話 曇りなき眼(1/4)
――複合スキル『曇りなき眼』を習得しますか。
その画面を開きながら、俺はまだ考え込んでいた。
複合スキル『曇りなき眼』は、目に見えるものすべてを自動鑑定、自動検査をするスキルである。
俺はこのスキルを心底おそろしく思う。
だって、考えてもみてほしい。
見たくない真実が見えてしまったらどうするんだ。
もしも現実世界で普段食べていた魚の切り身が、もとはグロテスクな外来魚だったら?
もしも普段食べていたミートボールの肉が得体のしれない肉だったら?
もしも普段食べている野菜が農薬まみれだったら?
何も知らない方が美味しく食べられるだろう。
もしも出回っているお金が全て偽札だったら?
偽装を解き外したら、そのお金に見せかけた紙やコインは使えなくなってしまう。
もしかしたら、自分だけが他人の認識とずれた世界になってしまって、世界に一人、取り残されような感覚に陥ってしまうかもしれない。
そういうのを考えたら、恐ろしくなる。
商人もどきを経験して思ったんだ。現実世界も異世界も、嘘と偽装だらけだった。とても残念なことに、騙し合いの世界に俺たちはいるのだ。
でもさ、逆に言うと、偽装を見破る澄み切った目っていうのは、そんな世界を生き抜く中で不可欠なスキルなんじゃないのか。
レヴィアに本物を食べさせてやりたい、レヴィアに本物を着させてあげたい。レヴィアに素直に生きていてもらいたい。
そのためには、俺の眼球に新しい機能を組み入れるべきだ。
「イエスだ」
スキルリセットのためのアイテムは入手困難らしいから、もう二度と元の認識には戻れないかもしれない。
それでも俺は、複合スキルを習得し、安らかに眠っているレヴィアに、今まで以上の安心と安全をあげたいと思うんだ。
そうして俺は、目を閉じ、初めての複合スキルを習得した。
「レヴィア……」
彼女の名前を口にしながら目を開こうとする。なかなか目を開けない。
おそろしさから心臓が飛び跳ねていた。
なぜ、こんなに目を開くのがこわいと感じるのか。
答えは一つ。レヴィアが、偽装スキルを使っているかもしれないと思うからだ。
何が何でも俺の前で帽子をとりたがらない彼女には、何か隠し事がある。これまでどうでもいいと思うふりをしてたけど、俺は川への転落さえなければ大学院に行くはずだった男だぞ。
嘘の情報を見抜く力くらいはもともとそれなりに持っているし、大人としての並の判断力くらいは持っているのだから、レヴィアに秘密があることは分かる。
彼女の秘密を知ってしまった時、俺はどうなってしまうのか。レヴィアとの関係が今のままでいられるのか。
とてもおそろしく感じる。
けれど、もうスキルを習得してしまった。
「ラックさん?」
彼女の声がきこえる。
「どうしたんです? ギュッと目を閉じてしまって」
「なあレヴィア、目を開けてもいいか?」
「え? なんです急に」
いつかレヴィアは、サウスサガヤ手前の草原で、俺に目をつぶってほしいと言った。そのまま自分がいいと言うまで目を開けないでほしいと言った。言いつけを破って目を開けた時にはレヴィアが倒れていて、その後、アオイさんの世話になったってことがあった。
あの時、どうして彼女が俺に目を閉じていてほしいと言ったのか。
もしも、あの時、目を開けていたら、どんな彼女が見られたのだろう。
今、黄金の茶室で目を開けば、あの時に見られなかった彼女が見えてしまうかもしれない。
曇りなき眼が、嘘つきな彼女の本当の姿をとらえてしまうかもしれない。
「いいか? レヴィア、目を、開くぞ?」
「よくわからないですけど、どうぞ」
彼女は平然と答えた。
俺はおそるおそる目を開く。
そこには――。
きらきら金色の壁を背景に、浮かび上がる白。首をかしげながら不審そうな顔をしている真っ白な彼女の姿があった。
白い肌で、大きく広がる白い羽根つき帽子をかぶって、輝く白い服を着た女の子。
「いつもの、レヴィアだ。……いつものレヴィアだ!」
俺はホッとして、思わず涙ぐんでしまったのだけれど、レヴィアは、本当の本当にいつも通りのレヴィアで、俺の心配が無駄に終わって、本当によかった。
「レヴィア、レヴィア、レヴィア」
笑いながら、何度も彼女の名前を呼んだら、レヴィアは怪しんで、
「大丈夫です? スキルの使い過ぎで頭おかしくなったんですか?」
「安心してくれ、頭がおかしいのはもともとだ」
現実世界にいたころから、俺の頭はじゅうぶんおかしかった。大学院に行こうなんて言い出すやつは、たいがい頭おかしいもんな。
★
ひと仕事を終えた俺たちは、ゆっくりとここまでの旅の疲れを癒してから茶屋を去ることにした。
ネオジュークまであと一歩、とりあえず奴隷になったレヴィアの友達とやらを助けるために、旅を続けるのだ。
出立の日、腕毛の濃い茶店の店主は、俺たちを見送ってくれた。
「レヴィア様、当店のお茶の品質を復活させてくださって、本当にありがとうございます!」
レヴィアは茶室でごろごろしてただけで、スキルを打ちまくっていたのは俺なのだが、このラック様の功績は全く無視され、レヴィアだけが脚光を浴びるってのは、何となく釈然としない。
「それでですね、レヴィア様、こちら、ささやかな御礼なのですが……」
レヴィアはキョトンと首を傾げたまま筒状のアイテムを受け取った。
「これは?」と俺は警戒心を示す。
すると店主はニッコリ笑いながら、
「福福蓬莱茶の茶葉です」
「にがくないです? 甘いのがいいです」
「ご安心くださいレヴィア様。本物の福福蓬莱茶はマリーノーツ茶の最高峰です。絶妙な甘みと芳醇な旨味が味わえますよ」
「それなら良いですけど……」
「おおレヴィア様! あなた様にオトキヨ様の加護のあらんことを!」
だから誰なんだよ、オトキヨ様ってのは。
★
「ラックさん、なかなかいい眺めのところですね」
「そうだなレヴィア、でも、ここも人通りが多いから、気を付けて進もう」
ここにも遮断機があって、人や馬車が大量に往来する交差点があった。これまで進んできた東西に延びる道と、南北に走る大きな別の道がぶつかる非常に大きな交差点である。ネオカナノと同じように遮断機が設置されていて、交互に開くようになっている。
ネオカナノから続く街道沿いの長い商店街をずっと行くと、目の前が急に開けて青空が広がる場所があった。
爽やかな風が吹く、良い景色の丘の上だ。
「レヴィア、肩車って知ってるか?」
「なんです、それ」
「こう、俺の肩にだな、レヴィアの太ももを引っかけて、俺が立ちあがると、レヴィアが人込みを回避できるんじゃないかと思ってな」
「ああ、お父さんにしてもらったことがあります」
「やましい思いなどないからな。純粋にレヴィアを心配して、人に酔わないようにだな……」
「――えいっ」
いきなり、心の準備が完了しないうちに、レヴィアが飛び上がり、俺の頭にとりついた。
「うわっ」
バランスを崩しかけてよろめくも、なんとか持ちこたえる。
驚きの軽さ。
彼女の細い足が俺の肩にかかり、真っ白な布が視界の端で揺れている。レヴィアは俺の頭を掴んで、しっかりとバランスをとっていた。
そう、肩車の完成である。
「っとと、おい、いきなりはビックリするだろレヴィア」
「うーん、安定感に欠けますね。私のお父さんのほうが肩車うまいです」
「そうかよ」
「つかまるところも無いですし」
何かとレヴィアは父親好きを主張するけれど、俺がレヴィアの父親に勝てる日は、果たして来るのだろうか。
何はともあれ、こうして肩車イベントが開始されたわけだが、視界の端で馬車が停まり、遮断機が上がるのを待って歩き始めると、みんなが肩車する俺をよけてくれたので、わりとすんなり向こう側にたどり着くことができた。
交差点の向こう側まで渡ってみると、見通しがよくなる理由がわかった。これまでの東西の道が、この場所から急に下り坂になっていた。その向こうに草原に鎮座するネオジュークの黒富士がハッキリ見えているので、さながらこの急坂は富士見坂といったところか。
坂を下り切った遠くに、あれは川だろうか、橋が架かっているのが見える。
ただ、何かがおかしい。何もないように見えるけれど、橋の両側に小さな人影が六人ほど、赤いオーラ状のものを纏って表示されている。
「なんだ、あれ……?」
目をこすって見てみても、赤い人影は消えない。
「怪しい赤い影が……違う道を探すか?」
などと俺が立ち止まり、つぶやいていると、横から声がした。
「検問ね。何もないかのように偽装されてるわ。警備隊が、隠れながら怪しい人物を検問してるみたいだけど」
女性の声。まるで、俺の言葉に答えてくれたかのようだが、それはレヴィアの声ではなかった。レヴィアは、俺の頭の上にいて、頭を一方向に固定して全く動いていなかったからな。ぼんやり遠い目で、巨大な黒富士でも眺めていたのだろう。
「や、ラックくん、久しぶり。っても、一週間ぶりくらいかな」
何回か見直してみたが、やはり知っている人だった。髪の長い、おとなしそうな年上の女の人。坂の上で数日ぶりの再会である。