第6話 ゆきずりの冒険者(3/10)
ずいぶん時間が経ったような気がする、俺の腕の痒みは治まってきたが、いまだにまなかさんはスカートをふわふわに揺らしながら軽快に狩りを続けていて、よくもまぁ疲れないものだと思う。
言い切れる。絶対にまなかさんはMMORPG的な沼に頭の先まで浸かった経験があると。そうでなけりゃ、あんなに平然と単純作業のモブ狩りをこなせるものか。まなかさんは、弱音を吐くどころか、動きを細かく確認したり、新しい動きやコンボを試したりしながら狩りまくっている。周回クエストに慣れた廃人の境地に至った者の遊び心に満ちた動きである。
俺のような一般人に言わせれば、ゲームはそんなに連続で長くやるもんじゃない。どこかで休憩を挟みたいところだ。
空中を撫でて、メニュー画面のようなものを開いて見ると、あれ……時刻としては、午後5時すぎなんだけども、この時計、変だ。時間のカウントが、とても速い。実際の時間の四倍くらいのスピードで秒のカウントが増えていっている。
「まなかさぁん」
俺は、スライムを引きちぎりながら彼女にたずねる。
「ここの時間の流れっていうのは……」
「あぁ、それね。心配しなくて大丈夫。もしも生還できれば、時間はほとんど経たないと思うよ。死んだと思ってた直後の時間帯に、ベッドの上とかで目覚めるの。少なくとも、わたしの時は、そうだった。勇敢な旅路の果てに、『世の中に飢餓をまき散らす荒れ地の魔王』を討伐したときに、いきなり夢からさめるみたいにこのゲームが終わっちゃったの。突然だったから、びっくりしたなぁ、エンディングとかなくてさ、『ここで終わるんかぁい』って言いながら起きたもん」
「……まなかさんも、転生者なんですね?」
「うーん。そうとも言える……かな。いや『転生者だった』っていう表現が、正しいかも」
過去形か。
「今は、どういう状態なんですか?」
「どうって、わたしの状態?」
「そうです、まなかさんは、転生者じゃないなら、どういう立場でここにいるんですか?」
「冒険者」
「はぁ、そうすか」
「転生者のときにやることは、もう終わらせたからね」
よくわからんが、つまり、現実の人間が転生者としてこの異世界に来るのには意味があり、何か「役目」とか「約束」とか、そういうものを押し付けられるのだろう。そして、その役目を果たした時には、「生還」できるということだ。
すなわち、俺も彼女も、本当は「異世界転生者」というよりも「異世界転移者」であると表現したほうが本来はずっと正確なのだろう。
「つまり、まなかさんは今、クリア後の特典でお楽しみ中なんですね」
「その通り」
「クリア後ってどんないいことがあるんです?」
ふと音が静かになったので、まなかさんの様子をうかがってみると、ザコを狩る手を止めて、こちらに向き直っていた。
「ていうか、それきいちゃう? クリア後の特典ってくらいだから、シークレットの方が楽しくない?」
「それはゲーム脳っすよ。毒されてるっす」
「む。今すごいバカにされたぞ」
まなかさんは、黄金の剣を横8の字に振り回してから地面に刺した。あれは、さっきの邪悪っぽい竜を生み出すポーズ!
「いやいや、してない!」俺は慌てて両手をぶんぶん振った。「馬鹿にしてないからやめて。やべえやつを呼び出さないで! 五億ダメージほんと恐怖!」
「冗談」フフンと笑ってた。
「いやもう、心臓に悪いからやめてほしいです」
「そうだねぇ……じゃあ……」
まなかさんは、ふぅと一つ溜息を吐いて、覚悟をもって話しはじめる。おそらく、クリア後の詳しい話を、他人にしたことがないのだろう。考えてみれば、このゲームっぽい世界のシステムの根幹にも関わる情報を、転生したてほやほやの男に、しかもレベル2のパンイチ野郎に話して聞かせるというのは、確かに覚悟のいることかもしれない。
「えっと、大丈夫かな。これ言っていいのかな」
迷っている。当然だ。やっぱりさ、クリア後を語るなんて、ゲームマスター的なものがいたら、目をつけられてしまいかねないような行為のようにも思えるからな。
と思ったのだけど、わりとあっさり語りだした。
「ま、いいよね。ここから先は、このゲームのネタバレになるんだけども……わたしがクリアして目が覚めたあとに、わたしの大切なノートパソコンに、時々、見慣れないアイコンが出現するようになったの。時々しか出現しないそのアイコンをクリックすると、『起動しますか?』っていうメッセージが出て、『はい』っていうのを押した後に眠ると、こっちの世界に飛び込める」
それがクリア後特典ってやつらしい。
「その、アイコンが出現する条件って、何なんですか?」
なんて、こんなことをきいても、さすがにわからないだろう。「知らないよバカね」とか返してくるだろう。――と、そんな風に俺は思ったのだけど、それは、年上のおねえさんというのを甘く見た罪深い思考だった。この年上のおねえさんはホントに何でも知っているのだ。
「――転生者がゲーム内で死んで、魔王を倒す役割を持つ人間が減った時」
ってことは、あれか。
「まなかさーん、魔王様のテーブルにヘルプお願いしまぁす、みたいな感じ?」
「そうそう。そんな感じ」
「つまり、こういうことですね」俺は得意げに人差し指を立てる。「転生者は、魔王を倒さない限り、この世界を抜け出せない」
まなかさんは指をパチンと鳴らした。
「そういうこと! あと、もう一つ付け足すなら、転生者が新たに誕生するたびに、新しい魔王が人知れず生まれるシステムになっていて、その同期の魔王とは、どこかで巡り合うことになってるんだよ」
「運命ってわけっすか」
「運命ってわけだ」
そう言って彼女は大きく頷いて、馬鹿の一つ覚えみたいに突進してくる獰猛な子犬を切り裂いた。
俺も負けじと、忍び寄ってきたスライムを裸足で蹴飛ばして退治した。
「だいぶ戦い慣れてきたみたいね」
「そりゃ、先生が最強に優秀ですからね」
そしたら、彼女はフフッと嬉しそうに笑った。
まなかさんの言う通り、スライムの痒みにも慣れたし、この程度の相手には絶対に負けないという自信がついてきた。レベルも順調に4まで上がっていた。
「普通のチュートリアルよりも、だいぶ盛りだくさんの内容になっちゃったけど、わからないことがあれば、いつでもきいてね」
「はい、まなかさん」
「ところで、あなたの名前は?」
「あぁ、申し遅れました。俺の名前は、織原久遠。よろしくです」
「オリハラクオン……じゃあ、真ん中らへんをとって『ラック』でいいね」
「よりによって、そこで切りますか」
「嫌……かな?」
「でも、『ラック』ってのは、運が向いてきそうで悪くない」
「でしょ?」
表情豊かな彼女は、にっこりと向日葵のように笑った。そして、続けて言うのだ。
「ようし、それじゃあ改めて、歓迎するよ。ラック。この世界、『マリーノーツ』にようこそ!」