第54話 絵描きのボーラさん
「その人は、年上で、かわいくて、背はそんなに大きくないんだけど、いつも高いヒールを履いていて、モデルみたいに姿勢がよかったんです。あと、とても笑顔が素敵だった。胸が大きいけど顔は小さくて、肌は日焼けしてて、しっとりとした髪は硬くて長くて、まつげも長くて、爪も長くて、ヒョウ柄の服が好きで派手派手で……」
イーストハイエンジにて、絵描き女子が俺の望む絵を描いてくれることになった。レヴィアをモデルに絵が描きたいと拝み倒されたので、仕方なく許可した形である。そこで俺は、現実世界で俺が好きだった人の特徴をきかせてやった。
というのも、レヴィアが、「ラックさんの好きだった人がどんなひとだったのか、みてみたいです」とか言い出したのが原因だった。
レヴィアにきかれたら答えないわけにもいくまい。だから、しぶしぶながらもノリノリで、俺がマリーノ―ツに来る前に好きだった人の特徴をきかせてやったのだ。
というかな、意外なことにレヴィアは絵のモデルってやつを心の底からやってみたいらしく、かなり乗り気で、俺としても寄り道すればするほどレヴィアと一緒にいられる時間が増えるわけだから逆にありがたいくらいである。
こういうのを、ウィンウィンの取引っていうんだろうか。
「まどろっこしいわね」女は俺の説明に不快感を表明した。「あんたの頭の中のイメージをそのまま読むから、ちょっとここに手ぇのせて」
「そんなスキルあるんですね」
俺は彼女の手の上に右手をのせた。
「捜査スキル、精神聞込読取術。こうして手と手を触れながら目を閉じると、相手が思い浮かべている顔が精密に読めるのよ。相手が『この人を絵画として描いてほしい』と思ってる時にしか使えない超限定スキルなんだけどね」
この場合のモンタージュというのは警察用語としてのモンタージュであろう。目や鼻や口や耳がどうだったか、輪郭とか髪型とかはどうだったか。そういう目撃者の証言を組み合わせて一枚の手掛かりを生み出すのだ。
刑事ドラマやドキュメントとかで、目撃証言から捜査をするときによくあるやつである。
スキル条件が満たされ、手が離れた時、「は、ギャルじゃん」とか「え、三十こえてんのにギャルじゃん」とか「やば」とか言ってきた。ふざけんな。
「七歳年上の可愛い人なんだぞ。ギャルじゃない。しかも、すごく真面目な人なんだぞ」
「まあ、他人のシュミだし、どうでもいいか」
俺の反論を年上の女らしく簡単に受け流し、女は、さらりさらさらと絵を描き切った。
そこには確かに俺の好きだった人が描き出されていた。無表情だった。生きてる感じがしなかった。証明写真とか指名手配写真みたいだ。つまらない。最低だ。侮辱とさえ言える。
彼女の可愛さも、美しさも、怒りっぽさも、涙もろさも、優しさも、何も表現されていない。表現しようという気さえも全く感じられない。こんな駄作を「絵」とはいわないし、いわせない。そこにあるのは、顔の形をうつしただけの、ただの紙だ。
まなかさんが描いてくれたアジサイと俺と彼女の絵に比べたら、いや、比べるのも失礼なレベルだ。
とはいえ、その絵の中にはちゃんと好きな人の顔があって、正直に言えば、俺はどうしようかなって迷ったね。さっきも言ったように、俺は好きな人の写真を持ち歩きたいタイプの人間だから。
十年間会えない日々が続いた今、彼女の絵を持ち歩きたいと俺は思っているのか。
正直に言えば、心のどこかに、そういう気持ちも残っている。
持ち歩くべきか、捨て去るべきか。
そして、ついに、俺は選んだんだ。
「うおおおおおおお!」
突如として叫び、生まれたての絵をびりびりに破いた。
「な、なにぃいい!」年上の絵画女。
「ラックさん?」どうみても年下のレヴィア。
頭上に紙の破片たちを放り投げ、紙吹雪の中、俺は格好つけた声で語りだす。
「たしかに……たしかに、この絵は、彼女の顔を完全再現していた。そして俺は、本当に彼女のことが好きだった。だけど、それはもう過去のことなんだ。俺は、今を生き――ゲファ」
腹のど真ん中を鋭い痛みが走りぬけた。
俺の「今を生きる宣言」の途中であったが、女のしなやかな腕から繰り出された左の一撃。とても女とは思えないような重たい一撃が腹にヒットした。腹に穴があいてしまったかのような、あまりの痛みに俺はうずくまる。
「よくもあたしの絵を!」
ああ確かにね、冷静になって考えたら、悪い事したなって思う。
★
ボーラ・コットンウォーカーさんという芸名の絵描きさんは、血走った目を見開いてレヴィアを見つめながら、ものすごく真剣な表情で筆を動かし続けた。ものすごく狂気を感じる視線だった。
しばらくして、レヴィアをモデルにした大きな絵が完成。完成……したのだが、その絵を目にしたとき、俺は、なんだこれと首をかしげてしまった。
俺には芸術を理解する感覚が足りないのかもしれない。
描かれていたのは……いや、これは描かれているのか?
木の板に張り付けられた紙には、全面に真っ黒の絵の具が塗られている。それだけのように見える。
ただ近づいてよく見てみると、盛り上がっている線があるのがわかる。ということは、やっぱりこれは描かれたものなのだろう。
黒いキャンバスに浮き上がってきたのは、ゾッとするほど恐ろしい、鋭い角を生やした鬼の顔だった。
ぼさぼさの髪を禍々しく広げ、角をアクロバティックにねじらせ、眉は無く、細く吊り上がった目をして、鋭い牙をむき出しにして、絵をみるものを威嚇してくる。
黒地に黒い絵の具で塗り重ねられた絵は、本当に、どの角度からどう見ても恐ろしさしか感じられない。
「なるほど、絵描きのボーラさんは悪魔教の人でしたか」
俺が心の声を思わず漏らした時、ボーラさんはすぐさま反応してきた。
「は? 悪魔教? そうじゃない。あたしは本質を掴んだだけ」
「何言ってんだ!」俺は怒りを表明した。「俺のレヴィアがこんなに暗黒なはずないだろう!」
「そんなこと言われてもね。あたしがこの子に声をかけたのは、『深淵の闇の野生』ってやつが彼女からビンビンに感じられたからさ。それをそのまま絵にしただけなのよ」
本当に頭にくる。女の子に絵のモデルを頼んでおいて、こんなおどろおどろしい絵を描くなんて、侮辱にも程がある。まして可愛いレヴィアをこんな風に真っ黒で醜悪なイメージで描くなど。
もしや、これは、あれか。さっき俺が絵を破ったことに対する仕返しか?
もう絵画の貼ってある紙をバリバリに破いて、その後ろにある板をバッキバキに折りまくってやろうかと思ったくらいだ。
ところがレヴィアはこう言った。
「私は好きですよ、この絵」
その声を受けてニヤリと笑ったのは絵描きで、焦ったのは俺だった。
俺は震えた声で取り繕うように、絞り出すように、絵描き女に向けて声を発する。声は思わず裏返ってしまった。
「だ……だってさ! よかったな、ボーラさん。レヴィアの許しが出たぞ」
その一連の俺の様子を、冷たい目で見ていた漆黒の絵描き女は、鼻で笑い、
「芸術をわからないガキには、レヴィアは勿体ないね。どうだい、レヴィア、あなた、あたしの専属モデルにならない?」
「そ、そんな……」
またしても俺は焦った。本当にレヴィアが彼女の専属モデルになってしまうようで不安になったからだ。だけど、
「そう言ってもらえるのは、ありがとうですけど、私はやっぱりラックさんと一緒にいたいです」
その天使のようなレヴィアの言葉に、俺は大いに安心したのだった。
「はっ、そんな軟弱ゴミクズ男のどこがいいんだか」
ちょっと言い過ぎじゃないかね、絵描きのボーラさんよ。
「待ってください。確かにそうですけど、ラックさんは、とても優しい人なんですよ」
できれば軟弱ゴミクズ男のところは否定してほしかったよ、レヴィアちゃん。