第49話 アオイさんとの別れ
「レヴィア! 言うことをきくんだ!」
「ン!」
レヴィアは布団に座ったまま、身をよじらせて避けてしまった。口をギュッと結んだまま、見事な回避である。
俺は、目覚めた彼女に栄養いっぱいの黒い粉末を飲ませようとしているだけなのに。
「頼むから飲んでくれ。この『スパイラルホーン』、つまり野生のモコモコヤギの巻角を粉末にした薬は、とても上等な……上等で上等で上等な万能薬なんだぞ。呪いにも病気にも効くし、栄養だってタップリなんだ!」
「イヤァ!」
声を裏返して本気で嫌がっている。完全に薬が嫌いな子供状態だ。なんでだ。
「こらレヴィア!」
俺は、なおもスプーンに載せた粉末をレヴィアの前に差し出し続ける。
「ウウウウッ!」
威嚇するように声をあげてきた。
「魔力切れなんだから、補充しないといけないだろ?」
彼女は、俺の手を払いのけることはしなかった。だけど、ついに布団から飛び出して、ホコリが溜まった部屋の隅っこで背を向けたまま、帽子を掴んで座り込んでしまった。
「ヤ!」
「だめだレヴィア、薬をのむんだ!」
「ヤ! です! もう治りました!」
たしかにすこぶる元気そうだけども、俺がレヴィアのために頑張って買ってきた薬を、ちゃんと飲んでほしいんだ。
もしかしたら、わがままなのはレヴィアじゃなくて俺のほうなのかもしれない。だけど、もう退けないんだ。
俺はレヴィアが薬を飲むまで、スプーンを差し出すのをやめてやらない!
「レヴィア!」
「やなの! やだやだ!」
「たのむ、飲んでくれぇ!」
レヴィアの頭を片手で掴んで無理矢理にこっちを向かせようとした。もう片方の手に握ったスプーンを彼女の口に近づける。
もう少し、あと少しで……。
「ウウウゥアアアア!」
叫びとともに帽子に触れていた俺の手は払いのけられた。
レヴィアは怒りの表情でフーフーと荒い呼吸をしている。
かと思ったら、目の前に、カカトのようなものが見え――
「クハァ!」
思い切り蹴飛ばされて倒れ込む。芸術的で強烈な後ろ回し蹴り。
パーティメンバーになってなかったら即死級の一撃が俺の顔面を襲った。
そのはずみで、俺はスプーンを手放してしまった。
「アァッ! モコモコヤギの角からつくった黒光りする高級粉末がァ!」
高かったのに、オマケしてもらったのに!
しかし、今にも粉がホコリまみれの部屋に落ちそうになった、その時である。
「とうっ!」
ギルド鑑定士のアオイさんが取っ手のついた銀色の鍋を両手に持ち、一粒残さず粉末をキャッチしてくれたのだった。
「レヴィア! なんてことするんだ!」
「ヤなの! ヤ!」
「なんでそんなに嫌がるんだ。モコモコヤギの巻角がそんなに嫌いか? 何か恨みでもあんのか?」
「ウウウウッ!」
興奮したレヴィアは、猪のように俺に突進してきて、鈍い音がした。
「ぐわああ!」
俺の身体は宙を舞った。書物の山に突っ込んで、ホコリが舞い上がり、レヴィアも俺もアオイさんも、げほげほと咳き込んで涙目である。
薬を飲めばみんな丸くおさまるのに、このままじゃ誰も幸せになれないじゃないか。
そこで、アオイさんが見かねたようだ。
「ラックくん。ここは任せて」
「は、はい……」
アオイさんは、持っていた鍋を積み上げられた本の上に置き、「レヴィアちゃん」と優しく呼びかけ、ゆっくりと歩み寄った。
俺は、ごくりと唾をのんで二人の姿を見守る。
アオイさんは、レヴィアに何かをコソコソと耳打ちした。小声すぎて全くきこえないけれど、きっと薬を飲むように説得してくれているんだろう。
レヴィアはコクコクと頷いている。その後もしばらく話を続け、やがて話が終わったようで、アオイさんが俺の方に戻って来た。
「ラックくん、ちょっとこっちへ」
腕を掴まれ、キッチンの方に引っ張られた。そこでアオイさんは言うのだ。
「レヴィアちゃんは、このままじゃ絶対に薬を飲まないからね。ここは大人っぽい手段を使おうよ」
「子供っぽいレヴィアに対抗してですか?」
「そうそう」
「でもどうやって? どんな方法で警戒心むき出しのレヴィアに薬を飲ませるっていうんですか? 簡単じゃないですよ? 正直、命がいくつあっても足りない」
「要するに、薬を薬だと思わせなければいいのよ。ここまで言えば、もうわかるでしょ?」
「なるほど、ピンときました。料理に混ぜるってことですね?」
「その通り。こっそりスパイスとして混入させてやるのよ」
「アオイさん、策士っすね」
「ふふ、ダテに長生きしてないからね」
しばらくして、アオイさんの手料理が出てきた。
チャーハン的なものであったが、まず、この質感はチャーハンと言うにはベッタリしすぎている。俺の規準では、もっとパラパラじゃないとチャーハンとは言わない。
肝心の味の方はといえば、なんだろう、すごい美味いというわけではなく、かといってマズイわけでもない。とある大勇者まなか様の料理に比べると、全くぜんぜん大したことなかった。余計なことを言うとアオイさんとの関係が崩れる気がするので言わないけども。
アオイさんは、食事中に、耳をかせというジェスチャーをしてきた。言われた通り、耳を差し出すと、彼女は言うのだ。
「レヴィアちゃんのだけに黒い粉、入れといたから」
その言葉に、俺は全力で親指を立てたのだった。
なぜなら、アオイさんの普通に無難な大したことない料理を、レヴィアは普通に食べていたからである。
レヴィアがおむすび型に握られた焼き飯を美味そうにパクパク食べる様子を見ながら、俺は、内心でほくそ笑んでいた。「ククク、粉薬が混入されているとも知らずにな」などとね。
何はともあれ、色々あったけれど、これでレヴィアも元通り。旅を再開することができる。
さて、張り切ってネオジュークを目指すとするか。
★
アオイさんには本当にお世話になった。いずれお礼をしに来なければならない。
てなわけで、今回は通り過ぎるだけとなったサウスサガヤだけども、このゴチャついた町には、いずれまた来ることもあるだろう。
「レヴィアちゃん。また来てね。今度は夏祭りの時にでも」
そう言いながら、アオイさんはレヴィアの帽子かぶった頭をなでていた。
俺に触られそうになると全力で抵抗するのに、アオイさんに対しては完全に心を開いたようだ。
もしかしたら、俺がしばらく買い物に出ている間に何かがあって、打ち解けたのかもしれないな。
これも、いずれ機会があったら、あの時、俺が薬を買いに走っていた時に何があったのか、レヴィアにきいてみることにしよう。
そしてレヴィアは、俺には見せたことない安心した笑顔を向け、アオイさんに挨拶する。
「どうもありがとうございました。優しい嘘つきさん」
その言葉に、保護者気分でびっくりしたのは俺だった。
――嘘つき。
別れは惜しむものだ。そんな別れ際に悪口を投げつけるみたいなことを言ってはいけないと、そう思ってレヴィアを叱ろうと思った。
思ったのだが、アオイさんがめっちゃ嬉しそうだったので、もう少し様子を見ることにした。
「嘘つきってのは、ちょっとひどいなぁ、レヴィアちゃん」
とても明るい弾んだ声。にこにこしている。
やはり、俺の知らないところで二人がものすごーく仲良くなっていたようだ。ずるい。ひどい。俺も仲間に入れて欲しい。俺もレヴィアの頭を心置きなく撫でまわしたい。
そんなわけだから、俺の心は、ちょっとヤキモチまみれになっちゃって、こんな言葉を放ってしまったのだった。
「ハッ、仕方ないさ、年上の女は嘘つくもんだからな」
「……前から思ってたんだけどさ、ラックくんは年上の女性と何かあったの?」
「ハハッ、そりゃもう、いろいろとな……でもアオイさんは、いいタイプの年上の女性ですよ」
「ふぅん」
あまり興味なさそうだった。
話が盛り上がらなかったので、何となく気まずくなった俺は、誤魔化すように、
「ま、とにかく、レヴィア、世話になったんだぞ、ちゃんとお礼を言うんだ。嘘つきとか言わずにさ」
そしたらアオイさんは、待ってましたとばかりに、若干かぶせ気味に、
「気にしなくていいよレヴィアちゃん。別に特別なお礼もいらない。こっちは当たり前のことをしただけだからね」
「当たり前のこと……?」とレヴィア。
「困っている人がいれば助けるのが人間だし、他人の嫌がることを平気でやるひとは、人間とは言わないってことよ」
アオイさんは、また俺を差し置いてレヴィアの頭に手を置いた。ずるい。俺も撫でたい。
そこでまた、俺は嫌味成分をちょっぴり混ぜて言ってやるのだ。
「さすがギルドの人間は説教くさい」
ところがアオイさんは、軽く軽く、いなすように、
「ごめんねー、これでもけっこう年上だからさ」
「けっこうって……いくつなんですか? アオイさんって」
「まぁ転生者だからね、肉体は永遠に二十六歳だよ」
やはり年上であったか。身体的には三つ上。だいたい見た目通りだ。
ただ、異世界にきて何年なのかは、これ以上きかないでおこう。きっと、ものすごく長い気がするから。
「それじゃあラックくん、レヴィアちゃんを守ってあげてね」
「当たり前だ」
アオイさんと手を振って別れた。
いま再びの二人旅、東のネオジュークへ。俺とレヴィアの旅路は続く。