第46話 薬屋へ(1/2)
「ラックくん、こっち」
振り返ると、狭い路地裏で手招きをしていたのは、長い黒髪のギルド鑑定士、アオイさんだった。
よく三つ編みのベスさんと一緒に風呂に入りに来ていた年上の女性である。あとヒドイことに俺の身に覚えのない借金の取り立てをした人でもあり、ありがたいことに俺が逃げ切れるように細工をしてくれた人でもあった。
そんなアオイさんが、レヴィアを抱えたまま飛び出そうとした愚かな俺を止めてくれたのだった。
「ギルドの窓からチラッと姿が見えたから。なんかラックくん、ただならぬ雰囲気だったし、気になって抜け出してきちゃった」
「どこらへんから見ていたんですか?」
「あのへん」と全面ガラス張りの建物を指差して、「ちょうど真ん中くらいだね。四階が職場なの」
「じゃあ、町を見下ろせる感じですね」
「そうね、それなりに景色はいいよ。――って、そんな話してる場合じゃないでしょ、その子、大丈夫?」
「そうだ、レヴィアが大変なんだ。倒れて頭を打ったかもしれない」
そのとき、レヴィアがまた苦しそうに「うぅ……」と苦しそうに声を上げた。
「んー」アオイさんは不審なものを見るような目つきで考え込み、「原因がわかんないね。何かの病気の可能性もゼロじゃないから、もう少し詳しく調べたいんだけども」
「そうだ、アオイさん、この町の最高の医者を紹介してくれ。一生のお願いだ」
「ラックくん、大げさすぎ。見たところ、そんなに大変な症状じゃないから――」
そんなアオイさんの言葉に、怒りが込み上げてきた。
「アオイさんは医者じゃないでしょ! そんなこと言って、レヴィアが死んだらどうす――むぐ」
俺が大きな声を出しかけて、咄嗟にアオイさんの手のひらが俺の口元を塞いだ。
「ラックくん、大声出したら見つかっちゃう」
「ふみまふぇん」
すみません、と言おうとしたけどちゃんと言えなかった。口をふさがれているからだというのは言うまでもない。ともかく、年上のアオイさんになだめられて、何とか落ち着けた。
「それでなんだけどね、ラックくん。このままギルドに行ったら、ギルドは王室側に肩入れしてるから、今出て行ったら捕まるし、お医者さんを呼ぶにしても、こんな路地裏だといろいろマズいでしょ? だから……」
「だから?」
「ウチくる?」
★
アオイさんの家だっていうから、根拠なく、すごくキレイなところを想像してたんだ。たとえば、和風豪邸とか、そういうところを。
でも、まさかここまでとは予想外だった。
二階の角部屋。それはいい。
八畳ワンルームで、キッチン付きなのも別に問題ない。
傾いてるんだ。
リアルに傾いている。ビー玉を置いたら元気よく転がっていくだろうってくらいに傾いている。
ボロボロの木造建築。しかも風呂なしトイレ共同。
「なんていうか、住環境が異世界離れしてますね。ほとんど現実世界のボロアパートじゃないですか」
「ギルドの寮なんだよ、ここ」
アオイさんが言いながら、部屋に転がっていた古い書籍たちを端っこに押しのけた。そして、押入れから客用っぽい布団を引っ張り出して、真ん中に広げた。
簡単に言うと、異世界感の全く感じられない昭和式ボロアパートである。
どう見てもお金がない人の家にしか見えない。レヴィアを寝かせる部屋が古本まみれでホコリっぽいのが非常に不満である。
そもそも小汚い布団など、俺のレヴィアには似合わない。
オシャレで豪華なベッドが無いのか、この家には。
だけど、今はそんなことを言っていられない。少しでも安全な場所でレヴィアを助けることが最優先だ。それに適した場所がここにしかないんだから仕方ない。
アオイさんが見たところ、深刻な事態ではないらしいけど、アオイさんは、ただの鑑定人である。医者スキルを持ってるわけではない。
原因がわからないうちは、安心できない。
「レヴィア、しっかりするんだ。絶対に死ぬんじゃないぞ!」
彼女は返事をしなかった。かわりにアオイさんが、俺をなだめる。
「ラックくん。大丈夫だってば」
「だから! アオイさんに何がわかるんですか!」
「あのねぇ」アオイさんは呆れたように、「あんたにこそ何がわかんのよ。あんたみたいな世間知らずと違って、こっちはギルドで働いてんだよ? だから経験上、わかるんだよ。そんなに言うならお医者様を呼んであげるけど、あんたマジで邪魔だから、外に栄養剤でも買いに行きなさいよ」
「あ……え……ああ……」
予想外の怒りにさらされて、俺は思考停止。強制的に落ち着かされた。見た目が大人しい感じの大和撫子なアオイさんが、まさかこんなに本気で怒るとは思わなかった。
俺はレヴィアが心配なだけだったのに。
アオイさんは、また一つ、ふぅと深く息を吐くと、
「ほらラックくん、なにボーッとしてるの。この子を着替えさせるから出ていきなさい!」
「は。はい!」
「街道沿いに薬屋があるから、栄養つける薬を買ってきなさい!」
そうして、じゃらりとお金の入った袋をを投げ渡されたのを受け取り、慌てて外に出る。すぐに木製扉が勢いよく閉じられた。
「安いのでいいからねー。ちゃんとお釣りもらってきなさいよー」
扉の向こうから、そんな声がした。
★
全く知らない町で、しかも敵だらけのところに買い物に行かせるなんて、アオイさんもなかなか無茶をさせる。
一瞬で迷ってしまった。
街道沿いに優秀な薬屋があるとか言っていたけれど、街道らしき太い道が二つある。片方がこれまで歩いてきた石畳の道で、もう一つが北へと続く緑の並木道である。さあアオイさんの言う街道ってのはどっちだろうか。
まったくアオイさんったら、もう少し細かく道を教えた上で放り出して欲しかったぜ。まったく年上の女はこれだから……。
もはや、引き返そうにも、どこがアオイさんのボロハウスなのかもわからなくなってしまった。
俺は仕方なく、リスク覚悟で町の人にきいてみることにした。
ギルド員っぽいピシっとした格好をした男がいたので、話しかけてみる。
「あのぅ」
「どうしました?」
丁寧に応対してくれた。
薬屋の場所をきいたら、通りがかりの男の人は、詳しく教えてくれた上に、「ちょうど地図を持ってるから、やるよ」と言って、紙を手渡してくれた。
本当に助かる。しかも、ボロアパートの位置まで教えてもらえた。
まさに至れり尽くせり。町の普通の人は、こんなにも温かい。
年上の女や、甲冑たちはもっと見習うべきである。俺に対して冷たくしたり、俺を捕まえようとしたりするんじゃなくってさ。
「ここが薬屋か……」
地図の通りにアオイさんの家以上のボロボロの建物があらわれた。崩れかけの土壁と、扉が壊れて外れかかっている。
土蔵ってやつだろうか。灰色の壁面には、一つ、家紋らしきものが書かれているが、これも崩れかかっていてよくわからない。
まるで廃墟みたいな場所、薬屋っぽくない。でも、地図にある薬屋はこの一軒しかない。
敷居をまたぐと、中には、つぎはぎだらけの和風の服を着て、丸眼鏡をかけた男がいた。短髪で素朴な男だ。この店の主だろうか。
「すみません、薬屋さんっていうのは、ここでいいんですか?」
とても薬を扱っているようには見えない汚さ。外観も汚ければ、中身も汚い。
そんな中で、あぐらをかいた足の間で、すり鉢がゴリゴリと音を立てていた。
男は、俺の来店に気付くと薬づくりの作業をやめ、こちらに向き直って正座した。
「薬をお求めですか? どんな薬でしょうか?」
「最高の薬を頼む」
すると丸眼鏡は眉間にしわを寄せた。
「最高の薬……ですか?」
「どんな症状にでも効く万能薬が欲しい」
「お客様、お気持ちはわかりますが、症状によって必要な成分が違うものです。原因に合わせてお薬を処方しませんと、かえって悪影響が出てしまう恐れがありますので……」
「緊急なんだ。どんな病気でも治す薬はないのかよ?」
「すべての病気というわけにはいきませんが、『伝説の霊薬エリクサー』でしたら、大半の症状を一瞬で治せますよ」
「あるのか?」
「ございます」
「じゃあそれをくれ。いくらだ?」
「金貨三千枚ですけどね」
「金貨、三千枚ィ?」
ひどい値段を言ってきた。無理だ。買えない。まなかさんからもらった最高品質のラストエリクサーの束が金貨五百枚だったんだぞ。
ラストでもないエリクサーの方が高いなんて、ぼったくりだ!
……などと言いたいところだが、たぶん、これはぼったくりでも何でもない。正当な価格、いや安すぎるくらいかもしれない。
この話は以前にもしたと思うが、ホクキオに引きこもってた数年前、ホクキオの薬屋で瓶に入ったエリクサーを見たことがある。埃まみれになっていたので、中の液体の色などはわからなかった。そこで値段をきいてみたら、ナミー金貨七千枚とかなんとか。
おそらく戦闘に特化していたラストエリクサーと違って、戦闘以外にも使えて、使い道が多いから、値段が圧倒的に高いのだろう。
もしくは、何か他にはない特殊な効能があるのかもしれないが、ともかくエリクサーの高値の理由が、ラストエリクサー商売で失敗した今だからわかる。
そもそも伝説上では、飲めば不老不死になるという薬である。生き続けたいという願望はいつの世も変わらない人の夢ってやつだろう。
俺だって思う。永遠に若いまま、健康に生き続けて、平和な世界を満喫して、楽しいことばかりをして生きていたいと。
だからこそ、始まりの町ホクキオに留まり続けていたわけだ。
……いやまあ、単純に外が怖かっただけで、モブ狩りばかりの単調な生活は別に楽しくなかったけども……。
ともかく、エリクサーの購入は手持ちではどうにもならない。アオイさんから借りているお金とベスさんから借りているお金を合わせても、銀貨四枚くらいにしかならない。
二人がケチってわけじゃない。むしろ太っ腹で有難いくらいだ。生活必需品は銅貨単位でどうにかなるから、旅をしながら一人で日々を過ごす上では、全く不自由しないくらいを借してくれている。それに、薬だって安くて効き目の弱いやつだったら何とか買える。だけど、良い薬を買うには少し足りない。
「この手持ちで、どうにかならないか?」
俺は、二つの小さな麻袋を渡した。