第42話 荒れ地の決戦(4/4)
さて、大蜘蛛の大魔王様の魔核が飛び去った後、大魔王軍の最後の砦がようやく重い腰を上げました。
もうね、最初から、あの御方が全ての軍勢をのみ込んだ状態で前線に出ていれば……と思えるほどの御方で、大魔王のレベルを逸脱した強さを持っています。身体も最大な上に魔力量も最強です。それはもう、魔神レベルと言ってもいいくらいの存在なのです。
そう、冥界を統ぶる者、ヘルハデース様です!
その巨体は上半身が二つに分かれていて、片方は女性でもう片方は男性。属性は唯一無二の死属性。近づいた者には例外なく死が訪れると言われているのです。
え、その御方の特徴を詳しくですか? 大丈夫ですか? そんな細かいところまで耳にしたら、ラックさんが呪われてしまうかもしれませんよ?
そう、ですか……そこまで言うなら、わかりました。私も覚悟を決めましょう……。
ヘルハデース様は、私ですら恐怖するような目をしていました。まるで、底なしの深淵のようなゾッとする目です。
それから、両方とも波打つどす黒い髪が長く長く伸びて、はるか上空高くから地面まで余裕で届いていました。何千年、いや何万年か伸ばし続けているのでしょう。
女性のボディは筋肉質で豊満で、男性の方も筋骨隆々としていました。
女側と男側の腰のあたりにある接合部は腐りかけで、ドロドロと緑がかった液体が垂れ落ちています。
その液体に触れた高位の大魔王が、触れただけで死にました。
不意に、前触れなく、女側が地面に倒れ込みました。つられて男のほうも倒れます。それで、近くにいた大魔王たちが死にました。
女側が息を吸い込むと、空気中にあったはずの魔力がきれいさっぱり無くなりました。空気中だけではありません。地中にしみこんでいっている魔力までも、すっかり吸い上げてしまいました。
倒れたまま息を吐くと、死が吐き出されました。
戦闘地域外に逃げていたはずの勇者軍が、次々に謎の死を遂げていきます。
ヘルハデース様はゆったりとした動きで起き上がると、今度は男の方がゲフンと咳ばらいをしました。
残っていた数百の大魔王軍がほぼ全滅しました。
この日で最も多くの魔核が、暗雲垂れこめる空に舞い上がっていきました。
まさに最強で最悪で最後の大魔王。
この恐怖と対峙するのは、勇者軍の総大将、大勇者まなかでした。
私は、大勇者まなかが相手とはいえ、絶対にヘルハデース様が勝つと思っていました。魔王軍の勝利を信じて疑いませんでした。
だって、大勇者まなかは、確かに女性としては長身ではありますが、巨大さの桁が違いますし、触れたら死ぬのでは、彼女の得意な接近戦は無理のはずです。だいたいにして、ヘルハデース様に触れた途端に全ての物が死を招くようになるわけです。
水も、空気も、ヘルハデース様に触った途端に毒と呪いを持たずにはいられません。
どうやったら大勇者まなかが勝利できるというのでしょうか。
他の大勇者二人は、透明な氷のドームを作り毒気を防ぎながら見守りモードでした。分厚い氷の壁でしたが、じわじわと呪いが染み込んでいて、死が迫るのも時間の問題です。
ヘルハデース様の男側が雲を撫でると、そこから、また雨が降ってきました。
可哀想ですが、これでオシマイ。大勇者まなかの悪運もここまでです。さすがに雨に触らないなんてこと、無理でしょう……と思ったのですが……。
「はい、はい、はいはいはい」
大勇者まなかは、荒れ地を華麗なステップで跳ねまわり始めました。
雨粒を、避けていました。
嘘でしょう、そんなのってありますか。
続いて大魔王ヘルハデース様は、射抜かれたら死ぬ視線を向けました。赤黒い線が、まなかを襲います。
光ですよ、光。音よりも速くて、人間の反射神経でどうにかなるものでは絶対にないんですよ。
それなのに、彼女はこれを何事もなかったかのように回避。まるで数秒先の未来が見えているかのような超反応です。
続いて、ヘルハデース様は、男女そろってぐるぐると同じ方向に身体を回して、髪の毛を振り回します。髪に付着していた死の灰が撒き散らされました。
「堕天清掃脚!」
大勇者まなかが見事な体術でくるりと身体を後ろ回転させ、その勢いで蹴りを放ちました。聖属性の風圧によって、死の灰は蹴散らされ、呪いの雲も晴れてしまい、青空が広がってしまいました。
どれほど死の雨を降らせ、どれほど死の灰をばらまいても、大勇者まなかは屈しませんでした。
でもでもヘルハデース様も負けていません。周囲の魔力を吸い上げて叫ぶと荒れ地の周辺だけが夜になりました。
時間も空間も支配する大魔王は、夜になると力が高まるのです。爆発的な魔力がほとばしりますが、ヘルハデース様は体内に取り込める魔力量が桁違いなので、あふれて嵐や地割れになることはありません。
ヘルハデース様は、男女そろって口を大きく開き、喉の奥から禍々しい光の束を放ちました。
死の砲撃が大勇者まなかに集中します。
これを、なんと大勇者まなかは今度は避けようともしませんでした。
まるで、自分の実力を試すかのように、剣を抜いて受け止めにかかったのです。
笑っていました。
楽しそうに。
狂っている、そう思います。
死ぬかもしれないという状況を本気で楽しんでいて、砲撃が済んだ後に、黄金の聖剣が呪いで溶かされたことを逆に喜ぶように、舌なめずりをして新しい剣を取り出しました。
黒い剣でした。
そして、空中に横倒しの8の字を描き、闇の黒龍を呼ぶ印を結ぶと、呪文を唱えました。
「――我が声に応え、来たれ我が僕! 蹂躙せよ! 我にしめせ! いにしえに五龍をも統べし、その力を!」
そして、黒い剣を勢いよく変色した荒れ地の岩に突き立て、叫ぶのです。
「堕天闇黒龍!」
彼女の身体から猛烈な黒い光がほとばしります。
風によって運ばれてきたのは、黒っぽい雲。黒龍の巣である黒い雲が、夜空に広がりました。
なんで彼女が闇の黒炎龍様を完全体でよびだすことができるんでしょうか、わけがわかりません。
伝説の魔神ですよ、あれ。
炎の形になった龍は、はるかな高みから螺旋状に降りてきます。
みるみるうちにヘルハデース様の魔力が吸われていきます。黒龍が吸い取っていたのです。
どんどん身体がしぼみ、波打つ髪の毛も抜け落ちていきました。
あれだけ巨大だったのに、ちょっと大きい人っていうくらいのサイズになってしまいました。もはや並の大魔王レベルにまで落ちてしまったのです。
黒龍様は、ヘルハデース様から奪い取った魔力を使って、口から新たな剣を生み出しました。
赤く輝く真っ直ぐな剣でした。
大勇者が吐き出された紅蓮の黒龍剣を掴み取り、それまで持っていた黒い剣を投げ捨てながら叫びました。
「堕天……聖魔剣撃!」
剣が振り抜かれたことによって漆黒に光る輝きの束が生まれ、ヘルハデース様を襲います。
魔王の中の魔王だったヘルハデース様、死と呪いの大魔王だったヘルハデース様。
跡形もなく消し飛びました。
ひときわ大きな魔核が夜空に躍り上がっていきました。
荒れ地に赤黒い溝ができ、ばちばちとあちこちで電流が発生していました。
死と呪いの力は完全に浄化され、膨大な量の再生の魔力が降り注ぎました。
薄い赤色、緑色、黄色、紫色、魔力が結晶化した粒がまるで雪のように降り注ぎます。
もう呆然ですよ。
ヘルハデース様が完全消滅させられるなんて誰も思ってませんでしたから。
それはその場にいた残りわずかな大魔王軍の残党たちも同じで、彼らも降り注ぐ魔力雪のなかでぼんやりと立ち尽くしていました。
カラフルな雪が降り積もり、吸収力の高い荒れ地の地面に吸い込まれていった後、しばらくして、大魔王たちは三人の大勇者の視線が自分たちに向いていることに気付きました。
魔力雪が降っている間、ずっと見据えられていたことに、やっと気づいたのです。
残った数柱の大魔王たちは、散り散りになって逃げようとしましたが、すぐさま地中からアリアの氷の壁があらわれて行く手を阻みます。
逃げ場をなくされ、逃げるに逃げられなくなった大魔王たちは、反撃に出ますが、相手は三人の大勇者。
魔神をしたがえる相手に、七か八くらいの大魔王が束になったところで、何ができるというのでしょうか。
三柱があっという間に消され、残りが慌てて合体しようとしたところで、私は見るのをやめましたよ。
――そうですね、ラックさんが夢に見たのは、もしかしたら、この後に合体した大魔王との戦いだったのかもしれません。
これで全部です。私のスキルで見た……じゃない、違う違う。えっと、そのぉ、私が生き残りの魔王様から聞いた話です。
そして後日、パレードが開かれました。魔王は残らず殲滅されたということで喜びが満ちあふれ、魔王がいなくなったマリーノーツには人間が安心して暮らせる平和な日々が訪れました。
また、大勇者まなかの功績をたたえて、新たな記念日が作られたのです。