第4話 ゆきずりの冒険者(1/10)
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肌寒い。
俺は横たわっていた。
背中がひんやり冷たくて、なんだろうかと地面を手で触れてみる。この冷たさとごつごつした感触。あまり凹凸は少ないけれど、この感じは石だろうか。
息を吸ってみる。緑のにおいがした。
自分の身体に触れてみると、服を着ていないようだった。なんでだ。
目を開く。視界は、白く霧がかっている。俺の目が悪くなったわけじゃなくて、本当に霧の中に身を置いているからだ。
俺はゆっくりと立ち上がって周囲を見回す。
都会の町に戻ってきたわけではなくて、俺はまだ異世界っぽいところにいるらしい。
――パンツ一枚で。
全裸になってるかと思ったら、かろうじてパンツ一枚が俺の防御力を高めてくれていた。
だんだんと太陽が昇っていくにつれて霧がだんだんと晴れた。
世界は、やはり緑にあふれていた。
いやぁ、この異世界は本当に自然が豊かだなあ。
どこまでも続いているかのような石畳の道があって、草原があって、ところどころ鬱蒼とした林が広がっている。
空気を汚す現代的な人間生活はないように思えた。
かつて住んでいた都会のまちは空気が悪かったから、この世界の空気はとても美味しい。
――って、そんなことじゃなくて!
なんかおかしい。
これ絶対ありえないだろ。
どうして、俺はパンツ一枚で青空の下に放り出されているのだろう。
さっきまであったはずのアンジュさんの姿がなくて、あたたかい家庭もなくて、かわいい子供もできてなくて、財布もスマートフォンもない。水にぬれた服も着ていない。パンツしかない。
なんだろう、この虚無感は。
「いやあパンイチで道端にいても職務質問されない世界だということはわかった。これは収穫だね!」
なんて本気で思えるようなお気楽人間だったら、どんなによかったことか。
残念ながら俺は大学院生になるはずだった男。気楽さ成分は少なめさ。
だけど、言い切れるね。大学院生じゃなくたって、この状況で、さっき言った強がりみたいなのを心の底から本気の本気で思える人間は絶対にいないって。
だまされて、眠らされて、身ぐるみはがされて。
なんというか虚無感が半端ない。
いやはや、虚無にとらわれた今なら、無属性魔法とか闇属性魔法とか発動できそう。
「うおおお! ダークファイヤ!」
それっぽい技名をポーズつきで叫んでみた。何も起こらなかった。二十歳超えてるってのに何やってんだか。
ああもう、こんなの、絶望しかない。
運命の人だと思ったんだ。
褐色の肌、大きな胸、すべてを見透かしたような優しい笑顔。
年上のアンジュおねえさん。
彼女を好きになろうと思った。
ああそうさ、飲み物に何かを盛られなければそう思ったさ。
緑が多いからなんだってんだ。この世界はクソだ。元の世界もクソだったけど、この異世界も輪をかけてクソだ。俺はどこに行けばいいんだ。
本当にもう、何を希望に「生きて」いけばいいんだよ。
いやまて、ここが死後の世界だとしたら、「生きる」って表現は正確じゃないな。何を希望に過ごせばいいんだという表現はどうだろう、なんかもう、ああ、どうでもいいな。
もう本当にさあ……。
「うわああああ! もういやだぁああ!」
俺は突然駄々をこねるみたいに叫び、転がった。
ごつごつした石畳の上をごろごろごろ転がり、気が済む前に疲れて大の字で落ち着いた。
「何だよこれ」
腕で目をおさえて、泣いてしまった。
二十三歳にもなって女に騙されて泣く俺はなんてカッコ悪いのだろうか。
死に方も不運で、死んだ先でも不運に襲われるなんて、間違ってる。これから良いことが起こってくれなきゃバランスがとれない。
そうだな、あまりに不幸すぎるから、ビッグな隕石が降ってきて世界滅亡とか、宝くじ大当選とか、そのあたりがいいなぁ。なんて、この世界には宝くじなんて無いか。
「ないなぁ、これはないなぁ……ぐすん」
そうやってメソメソしていたら、不意に声をかけられた。
「ねえ、こんなとこで寝っ転がって、何してるの? 大地のビートを背中できいてるの?」
目を開く、そこには、すらりとした体格の黒髪ショートカットの長身美女の姿があった。くりくりと大きな目、とても背が高く、赤い鞘の剣を腰に差し、透き通るような純白のブラウスを着て、緑のスカートを揺らしている。
見た感じは、二十代後半くらいの年齢である。
……ということは、
「うわああ! 年上の女だぁ!」
俺は逃げようとした。
「ちょっとちょっと」
逃げられない。俺はあっさり腕を掴まれてしまった。
何の用だ。パンツ一枚の俺に何の用だ。まさか、このパンツすらも奪い去ろうというのか。
「いきなり逃げるとか失礼だな。本物の貴族相手だったら、今のはアウトだよ?」
今の口ぶりだと、貴族じゃないって話だけど、このおねえさん、身なりはとてもきれいで、どこか高貴な印象を受ける。少なくとも、ナイフ二刀流でメシを食う野蛮な露出狂おねえさんよりは圧倒的に上品かと思う。
その気品ある姿を見て、俺は少し落ち着いた。
「えっと、誰、ですか?」
すると彼女は手を放し、右手を自分の控えめな胸に当てて、自己紹介した。
「わたしは冒険者。冒険者まなかって名前、きいたことない?」
「いえ、俺は、実は、この世界に来たばかりなので……」
「なるほど、転生者か……ってことは、あなた、『転生者狩り』にあったのね」
「転生者狩り?」
「うん」頷いて、「あなたをだました人間の言ったことを、思い出してみて」
「えっと……たしか、アンジュさんは、ホクキオギルドとかいうところの所属で、小屋で新人への案内役をしているって言ってたんですけど」
「アンジュ。あいつか」
「知ってるんですか?」
「まあね」
そして、まなかさんは、アンジュさんの嘘を一つ一つ指摘していった。
「まず、ホクキオのまちには、ギルドがないよ。あと、転生地点の近くに建ってる小屋は、老朽化で使われなくなった倉庫でね、早い話が廃屋だよ。ギルドの施設でも民家でもない。案内所の役割をしてる教会所は、この道をまっすぐ行った先のホクキオのまちにあるよ。転生者は、そこで自分の使命を知ることになる。あとアンジュって人は、指名手配されてる悪党……ていうか山賊だよ?」
やはり賊であったか。俺の好きな人のふりをして金品をかすめとるなんて、絶対に許せない。
俺は力強く言ってやる。
「罪深い女だ。絶対に裁いてやる」
ものすごいカッコイイ声だったと自分でも思う。
「パンツいっちょで言ってもキマらないなあ」
そこは全く否定できないところだ。逆にカッコ悪くすらある。
「あのぅ、まなかさん。このあたりで、服をタダでくれるところとか、ありませんかね」
「わたしのキャラの性別が男だったら、いくらでもあげるんだけどね、この世界での転生者は、男キャラは男ものの服しか装備できないんだよ」
「でも、いつまでもこんな格好じゃあ、心も身体も寒いんですよ」
「うーん、何とかしてあげたいけど、パンツ野郎を引き連れてホクキオに行くとなると、いまどき奴隷を連れてるなんて悪い人だ、とか思われちゃうしなぁ」
まなかさんは、しばらく思案した後、
「あ、そうだ。ちょっとついてきて」
緑のスカートを軽快に揺らしながら、石畳の道を外れ、道なき草原の上を歩きだした。