第38話 ミステリアスガール(2/2)
道幅の広い貴族のまちを逃げ続ける。
石畳に二人分の足音が響く。
高い塀が多い道は、追跡者から逃れるには都合がいいんじゃないかと思った
しかし、どこに逃げても、不気味なムラサキ女に先回りされていた。もしかしたら、ムラサキ女はこの貴族街の地理に明るいのかもしれない。
そのうちに、疲れたのか、あるいは膝のケガが原因か、レヴィアがついてこられなくなってきた。とても苦しそうにしている。
――このままでは追いつかれる。
そう思った俺は、レヴィアの膝の裏と背中をもちあげた。
お姫様抱っこスタイル。
「ひゃっ……」
とても軽くて、ふわふわした服の素材がほんのりあたたかい。抱きかかえたまま俺は走り続ける。
顔を真っ赤にしたレヴィアは、赤ん坊のように手を胸の前で縮こまらせて固まっていた。
「レヴィア、何が起きているんだ? 俺はどこに行けばいい?」
するとレヴィアはニット帽みたいな形状の帽子をおさえながら言うのだ。
「ネオジューク……」
「え?」
「ネオジュークの黒い山に」
いつぞや峠から東に見えた黒いピラミッドか。
「よしわかった。なんとかそこに行ってみよう」
「ごめんなさい」
「え、なんで謝るの? わけわかんないんだけど。なんで?」
俺の腕の中で、レヴィアは目をそらしたまま答えなかった。
★
どうも俺は貴族とは相性がよくないらしい。ほんの数分しか貴族の町に滞在できなかった。
全身が紫色っぽい毒々しい女の追跡を何とか振り切った俺は、東のネオジュークを目指すことにする。
理由は単純、案内人の女の子レヴィアが、東に見える黒富士ネオジュークに行けと言ったからだ。
以前聞いた話では、ネオジュークという町はいつも明るいのだそうだ。仕組みは、次のようなものである。
まず町を覆う大きな屋根、その外側の黒い面は太陽光を吸収して熱を発する。その熱は炎の魔力に変換され、魔力はネオジュークの町じゅうにある電灯に送られて、昼も夜もない、年中無休の明るい世界がそこにあるらしい。
いわゆる、不夜城ってやつだな。
さて、まずはホクキオの町を出るために東門にまで来た。
「やっぱり検問が敷かれているな」
門から出て行こうとする人のことを調べているのは、赤みがかかった甲冑たちだ。あれは王室親衛隊だろう。
シラベール家の三男、サカラウーノさんの手下たちが俺を確保しようとしているわけだ。真正面から門を抜けるのは難しそうだ。
だけどね、はっきり言って、この検問に意味があるとは思えない。なぜなら、ホクキオの町は城壁に囲われているわけではないからだ。どすんと門が建っているだけで、左右がスカスカなのである。
教会でクテシマタさんたち自警団の徹底抗戦が続いているであろう今、町を取り囲むような厳戒態勢をとれるとは思えない。
「レヴィア、警備の隙をつきたいんだけど、どう行ったらいいかな」
「そうですね、見つかっちゃうリスクが、すごくあってこわいですけど、北東から抜けて、アヌマーマ越えをするのが手っ取り早いです」
「それでいこう」
案内人が言うんだから間違いないだろう。ホクキオの外のことなど知らないけれど、アヌマーマ峠の頂上までは行ったことがある。一度は通った道ならば安心できるし、それに、平坦な道には、ここと同じように検問が敷かれているはずだ。
モンスターの湧く険しい道ならば、余程の根性がなければ追って来れまい。
いつか来た街道と峠の分かれ道。そこまで来た時に、俺はアヌマーマ峠方面に迷いなく歩を進めた。
「この道も久しぶりだな」
十年前の初登頂以来、何度かこのアヌマーマ峠の頂上にまで来たことがあったが、久しぶりにのぼったからか様子がいつもと違う。
モンスターが全く出てこないし、目の前に飛び出してきても一目散に逃げていく。十年前にモコモコヤギに襲われた岩場でも、何も出てくることはなかった。
しばらく来ないうちに、ここも平和になったのだろうか。
そうだ、近くに来たついでに、もう一つ思い出の場所を巡っていこう。
俺は、山賊アンジュが暮らしていた洞窟に向かった。アンジュさんが出て行った後には、まなかさんがアトリエにしていた場所でもある。
色々なものが置きっぱなしだから、ついでに、レヴィアの膝を治療することもできるはずだ。
俺たちは、しばらく使われていない洞窟の隠れ家に足を踏み入れた。
しかし、レヴィアは落ち着かない様子。
「ラックさん、なるべく早くここを離れましょう。寄り道すると、見つかっちゃうかも」
「それはそうだけど、いつまでもレヴィアが怪我したまんまにしとくのは絶対に許されない。お願いだから治療をさせてくれ」
「でも……あの……見つかったら、大変なことに」
「そんなにあの紫の女はヤバイのか。見た目もヤバければすべてがヤバイ女なんだな。逆に見つかったらどんなことをされるのか、興味がわいてきたぜ。でもなレヴィア、自慢じゃないが、俺は年上の女にひどい目にあわされることにかけては経験豊富なんだよ。果たして俺を満足させられるほどの動きが、あの女にできるかな」
なんてな。
本当は何もないのが一番で、嫌な思いなんて絶対に避けたい。それでも、俺は何とかレヴィアを安心させて、膝を治してやりたいんだ。
「だから、レヴィア、ここで一休みしていこう」
すると、俺の気持ちは、ちゃんと伝わったようだ。ちょっと悩んだ後に、頷いてくれた。
「ラックさんは、愚かな獣みたいに優しいですね」
愚かな獣みたい……っていうのは、馬鹿みたいってことかな。ひとこと余計だと思ったけれど、自分のこれまでの行いを振り返ると決して否定はできないか。
将来どうするかってことをはっきりさせないままに大学院に行くとか言い出して、ふられて川に落ちて、異世界に転移して、年上の山賊にだまされて、罪を着せられて裁かれて、ずっと始まりの町から出ないで引きこもって、ザコを狂ったみたいに狩りまくって、大勇者まなかさんからもらった薬草をしめしめと売り飛ばした。
調子に乗って商売に手を出したら詐欺られて、ギルドに税金を持っていかれて資産を失って、今度は反逆容疑をかけられて、年下の女の子と逃げ回っている。
まったく馬鹿で大馬鹿な馬鹿げた話だ。
だけど、今はそんな過ぎたことはどうでもいいんだ。問題は、これからどうするかってことである。
「さ、膝をみせて」
「はい」
裾から出ていた足を、俺の方にのばしてきた。
俺はアンジュが残していた救急箱から消毒液とガーゼを取り出して処置をする。もちろん、ただでもらうわけじゃない。ちゃんと銀貨を置いていく。
消毒液をしみこませた布が膝小僧に触れた時、しみたのか、ぎゅっと目をつぶって「ぁう」と小さく声を出した。
目を開いた時には涙目で、
「ありがとうございます、ラックさん」
帽子を両手で抑えながら、レヴィアは痛そうな顔のまま微笑んだ。
その表情を見たとき、俺の胸は、なぜだかドキッとしてしまった。
現実で好きだった人とは全然違うし、アンジュさんやまなかさんとも全然違う。どう見ても年下の女の子に、俺の心が反応してしまった。
「レヴィア」
気付けば、俺は彼女の名前を呼んでいた。何か言いたいことがあったわけじゃない。ただレヴィアという名前を急に口にしたくなってしまったのだ。
「何ですか?」
首をかしげられたが、続く言葉があるわけじゃあない。
「いや、なんでもない」
「え。え。え。何か私、いけないことしました?」
「いや、そうじゃないんだ」
「じゃあ、何で……」
いけない、おどおどさせてしまった。なんとか話題を変えて、誤魔化さなくては。
「えっとだな……俺は、えっと、そう、俺はさ、どうして、あのこわい人に追われているんだ?」
「……さあ」
彼女は思い切り視線をそらした。
「レヴィアは案内人なんだろう? 何か知らないのか?」
「そ、それはですね……あの……ええと……あ、いたたたた、膝が痛い……」
「おっと、大丈夫か? 俺の手当てがまずかったか?」
「あ、大丈夫。気のせいでした」
「そうか、よかった」
「ところでラックさん。大勇者……っていうか、転生者のまなかっていう人とはどういう関係なんですか?」
「どうって……まあ、師弟関係ってやつかな。まなかさんは、俺が転生したての頃、俺を助けてくれたんだ。彼女は、俺が本当の本当にピンチになると助けに来てくれる最強ヒロインなんだよ」
「うわっ、ピンチになると駆けつける……ですか」
「いやまぁ、これまでもピンチいっぱいあったけどね。その時まなかさん来てくれなかったけども……。だけど俺はそう信じてるっていうか、追い詰められた時の心の支えっていうか……」
「ラックさんと転生者まなかだと、どっちが強いんですか?」
「そんなの比べるのも失礼ってもんだよ。まなかさんは強すぎる」
「そうですよね。荒れ地での戦いは、ほんとうにヤバかったですし」
「ん? レヴィアは、その戦いのことを知ってるのか?」
「え? ああ。はい。ただ、えっとぉ……そう、私が直接見たわけじゃなくて、間接的に見たというか何というか。つまりですね……そうだ、戦場から逃げた生き残りの御方から聞いたお話を組み合わせて、それで知ったって感じで……」
「なるほど、生き残りの勇者が語り部となっているってわけか」
「そ、そうですね……。そういうことです」
目をそらしながら、彼女は何度か頷いた。
「レヴィア、よかったらその話、詳しく聞かせてもらえないかな?」
もしかしたら、ラストエリクサー大暴落の謎がはっきり解けるかもしれない。
俺は不安と期待を胸に、彼女の話を待った。