第36話 慌ただしい旅立ち
甲冑と甲冑の意地のぶつかり合い。怒涛の連続攻撃が、敵を襲う。太い柱に兄を押し付ける形で、俺の友人が俺たちの敵を追い詰めた。
「ふっ、クテシマタよ、昔よりも腕を上げたな」
「いつの話をしているのですか兄上。兄上と最後に剣を交えたのは、子供のころの話でしょう」
「だが我が剣を相手に、一度も勝ったことがないのは事実だ。貴様の剣技は、シラベール家の五兄弟の中でも最弱!」
赤みがかった甲冑は、腕の力だけで相手を押し返した。
俺の味方、銀色のシラベールさんは、大きく飛び退いた。いや、飛び退かされたのだ。
「クッ」
劣勢のようである。
しかし、クテシマタ・シラベールさんは、ここで奥の手を繰り出す。
「ベス! あれをくれ!」
逃げ惑う聴衆の中、どこかから投げ込まれたのは、草だった。
草をキャッチした彼は、甲冑の隙間から草をねじこむと、むしゃむしゃと食べ始めた。
やがてごくりと飲み込み、言う。
「これはすごいな。戦闘中に服用すると、こんなにも力が湧いてくるのか」
「ラストエリクサー、か……。戦乱と不幸を象徴する草だな。そのようなものに頼るとは、下賤で野蛮なやり方が似合うようになったものだな、クテシマタよ」
「何とでも言えばいい。サカラウーノ兄さんと互角にやり合うには、必要なのだ。卑怯だと後ろ指さされたって構わない! それでも今の自分には、守るべきものがあるのだ!」
また一合、打ち合った。
金属がぶつかり合う激しい音が響いたとき、ぼーっとしていた俺は急に腕を掴まれた。
「こっち」女の人の声。「急いで。オリハラクオン、彼が視線をひきつけてる隙に」
俺の腕を引っ張っていくのは、三つ編みのベスさんだった。今日は牧場の格好ではなく、町娘に扮している。質素な服装で、腰のベルトに小さな麻袋をくくりつけていた。
彼女はぐいぐい俺を引っ張って、無理矢理に歩かせる。さすが牧場仕事で鍛えただけあって、とてもパワフルである。
「え、ちょっと、どこに……」
「外に出るよ。一緒に来て。このままだと本当に死刑になっちゃうから」
「でも……」
俺は友人シラベールさんの背中に視線を送った。ラスエリのせいだろうか、妙に力強く見えた。
「あの人なら大丈夫。甲冑は伊達じゃあないから」
俺は、二児の母である三つ編みのベスさんに手を引かれ、天井の低い通路に出た。これまで来たことのない場所だ。
基本的にこのホクキオ教会ってのは、つくりは質素だが、信者が行き来する場所の天井はからりと高くなっている。祈りが天に届きやすくなるように、との願いが込められているらしい。だけども、信者が入らないところのつくりは一切の豪華さのないただのジメジメした通路が続いている。
裏口から外へ出るつもりらしい。途中で、自警団の白っぽい甲冑と何人もすれ違い、そのたび甲冑がしゃがみ込んで挨拶をしているのが見えた。どうやら退路を確保してくれているらしかった。
事態は、すでに俺とサカラウーノさんとの戦いではなく、クテシマタさん率いるホクキオ自警団と、サカラウーノさん率いる王室親衛隊との戦争になりかけている。一言でいえば、シラベール一家の内輪もめってことだ。
薄暗い通路の先に出口が見えた。間もなく裏口から商業地区である七番街に出られる。
と、出口を目の前にして、急にベスさんが立ち止まった。
「どうしたんですか、ベスさん」
ベスさんは、深刻そうに、慎重に声を出す。
「あのさ……十年前のことなんだけどね」
十年前、というと、俺にトラウマを植え付けた悲劇の三つ編み裁判事件のことだろうか。
「ウチね、本当はわかってた。ウチのモコモコヤギを盗んだのは山賊女で、君じゃないってことはね」
「ベスさん……」
そして彼女は、罪の意識で顔を合わせづらかったのだろう。目をそらしながら言うのだ。
「いろいろごめんて感じだけども、許してね」
それはきっと心からの謝罪だった。目をそらしながらだったけれど、彼女なりの精一杯の謝罪だったんだと思う。
「それが聞ければ十分ですよ」
これまで十年の苦労が、少しだけ報われた気がした。少しでも報われてくれて、本当によかったと思う。
「それじゃ、オリハラクオン……ていうか、ラックくん」
「どっちでもいいですけど、今はラックと呼ばれる方が嬉しいです」
「そうね。まぁ、どっちにしろ、これからはラックくんと呼ばなくちゃね」
「え、どういうことです?」
しかし彼女は、俺の問いをスルーして言うのだ。
「じゃあ、ラックくん。これからの、あなたが行くべき道を教えるね。ウチの三つ編み占いの結果だから、信用できないかもしれないけど……」
「そんなこと……」
そんなことないぜと言おうとしたけれども、どうだろう。いやまぁ確かに、十年前の三つ編み裁判がひどいインチキだったから、少し信用できないかもしれない。
「ウチの先祖はね、予言者だったんだ。もっとも、ウチにはそのスキル、ほとんど受け継がれなかったんだけど……。だからさ、ウチがこの町で人気があるのも、ウチの先祖のおかげでね……って、今はこんな話してる場合じゃないか。急がなきゃね」
ベスさんは、えへへと笑って、腰のベルトに付けていた手のひらサイズの麻袋を俺に握らせた。
手に持った時に重みを感じるとともに、じゃらっと音がした。この音は、硬貨数枚がこすれる音である。
「ベスさん、これは……?」
「あなたはオリハラクオンっていう名前で指名手配されている。そして、ギルドの書類はアオイちゃんに何とかしてもらって、オリハラクオンとラックが同一人物だって情報は消してもらった」
「それって、どういう……」
「だから、つまり……これから、あなたはラックっていう名前だけを使って、この世界を生きていくってこと。オリハラクオンっていう名前を名乗らない限り、あなたは捕まらないはず。この袋には、ちょっとしたお金と、ホクキオ自警団特務員としての身分証が入ってる。これがあれば、マリーノーツの関所すべてを通ることができるよ」
「でも、俺の顔は割れてるんじゃ……?」
「直接ラックくんを見た人は、捕まえようとしてくるかもね。だけどさ、この町は、偶像崇拝に超厳しいから、人間の似顔絵が貼り出されたりすることがないの。どんなに頑張っても掲示されるのはシルエットどまりよ。あと徴税バードや荷物は『ラック』っていう名前あてに飛んでくるけど、あなたの大きなお家を目掛けて来るから、追いかけられる心配もない。せっかくの豪邸が鳥小屋になっちゃうのは残念だけど、あそこは義兄さんの親衛隊におさえられちゃったから……ウチらが鳥を捕まえて偽の手紙を掴ますとかいろいろ工夫して、オリハ……じゃなかった、ラックくんが追われないように工夫しておくよ」
家に帰ることができないときた。
高かったのに。
金貨十五枚くらいかけた自慢の家だったのに。
お風呂入りたいのに。
でも、死刑にされたんじゃ家も風呂も何もあったもんじゃない。
「ラックくん。ウチらが必ず誤解を解いてみせるから、いつかほとぼりが冷めたら、家に帰れる日が来ると思う。だから、しばらくは、身を隠してね」
「身を隠すっていっても、一体どこに隠れれば?」
「ラックくんは、このまま南に向かって。ホクキオ七番街を突き抜けて、石畳の街道の向こう側まで行けば、王室の勢力が及ばないところに出られるの。案内人が声をかけてくるから、しばらく近くの隠れ家に潜伏して、チャンスがきたら、町の外まで逃げてほしい」
どうやら、どうあっても旅に出る運命にあるらしい。
「あの、ベスさんは……?」
「ウチはここに残るよ。旦那と一緒に敵を引き付けておくから、なるべく早く、追い立てられるモコモコヤギみたいな速さで駆け抜けてね」
そういえば、十年前に遭遇した野生のモコモコヤギは、とんでもないスピードだったからな。それにしても、こういう時にまでモコモコヤギを引き合いに出すとは、牧場主ベスさんは、本当にモコモコヤギが好きなんだな。
「それじゃあ、ラックくん。走って」
年上の三つ編み女は、俺の背中をトンと優しく押したのだった。
俺の足は、境目をまたぎ、教会裏の通路から七番街へと踏み出した。
「行ってきます」
露店が連なるごちゃごちゃした七番街の商店エリアを抜けた。石畳の街道では馬車が大渋滞を起こしていた。おそらく親衛隊と自警団の衝突が原因だろう。馬車の間をすり抜けていくと、石畳をこえた瞬間に、急に緑の量が多くなる。一軒一軒の家の敷地が広いためである。
「貴族の家ってやつか」
立派な門が並び、壮麗な馬車が停まり、敷地の中に小川が流れ、花の香りに包まれていて、木々や庭は綺麗に刈り揃えられている。
「まずはベスさんの言っていた案内人とやらを探そう」
そして俺は、その自警団や親衛隊の監視の及ばない貴族の居住地区で、運命の出会いってやつを果たすことになるのだった。
【第三章につづく】