第32話 ラストエリクサー(7/8)
「大変だ! オリハラクオン!」
声のした方を振り返ると、神殿の入口が勢いよく開けられ、まぶしい光を背に甲冑が立っていた。
「え。シラベールさん? どうしたんです? こんなところまで勝手に入ってこられちゃ困りますよ。貴重な商品があふれてるんですから」
「そんなことを言っている場合ではない。これを見るんだ」
シラベールさんは、質の悪い紙を広げながら近づいてきた。よく見てみると、そこには文字がびっしり書かれている。
この世界での新聞ってやつだろうか。
「なんて書いてあるんですか? 字が細かすぎて読めない」
顔をしかめながら言うと、シラベールさんはこう言った。
「――ラストエリクサー、大暴落だ」
「え?」
「価値が下がっているんだ。もう誰も買い手がつかない状況らしい」
「え?」
「以前はそこそこの品質のものが一束あたり銀貨十から二十くらいで取引されていたが、今じゃ銅貨百でも買い手がつかない状況。それどころか手放そうとする人間ばかりだそうだ。フロッグレイクからだんだんと価値の暴落が始まって、その波が、ようやくネオジュークまで来たと書いてある」
「え。何……言ってるんですか?」
「信じられないかもしれないが……つらいかもしれないが……オリハラクオン、ラストエリクサーはただの草も同然になった」
「え……?」
★
――ラストエリクサー大暴落。
そんな最低のビッグニュースが異世界マリーノーツ中を駆け抜けてからというもの、俺が転売したラストエリクサーの返品が相次いだ。料金を支払わず逃げた業者もいた。
ひどいことだ。約束が守られないなんて。
あまりに返品ともらい逃げが多発したものだから、ホクキオ自警団を通じてサウスサガヤギルドに鳥を飛ばして相談してみたら、ギルド所属の女性が俺の家に来た。
嫌な予感がしたんだ。だって、ギルドの人が年上の、やまとなでしこ風のきれいな女性だったから。
「お問い合わせのあったオリハラクオン様ですよね。アオイと申します」
黒髪黒目の落ち着いた雰囲気の彼女は、俺の家に足を踏み入れると、興味津々って感じできょろきょろしはじめた。そのたび、頭が揺れて滑らかな長い黒髪がはためく。
身長は俺よりも少し低いくらいで、異世界らしからぬスーツっぽいピシッとした服に身を包んだ立ち姿からは、可愛いとか美しいとかではなく、格好いい印象を受けた。年齢にして、二十六くらいだろうか。見た目は、なめらかな黒髪がとにかく美しくて、名前からすると同郷だろうか。
格好よくはあるけれど、なんだかおとなしくて、人見知りな印象を受ける。
そんな女の人が、俺に向かって言うのだ。
「ラック様……ええと……別名として使われているオリハラクオン様という名前でも見てみましたが、名簿に名前がありませんねぇ。ラック様は、商業ギルドへの登録のほうは……あ、登録していないのですか。そうですか……」
「何か問題でもあるんですか?」
「とりあえず、無所属で取引をしていた方は、申し訳ありません、サポートすることはできないんですぅ」
忙しかったのだろう、サウスサガヤギルドの人はダッシュで帰っていった。俺は彼女の背中を呆然と見送るしかなかった。
そうこうしている間にも、ラストエリクサーの価値は急落を続けている。
嘘だろうと思った。悪い夢だろうと思った。そこで、知り合いの商人のところをハシゴして聞いて回ってみたんだけども、嘘でも夢でもなかった。本当に、ひどい大暴落してた。これでもかってくらいに安くなり続けている。
ひどすぎる。こんなのってない。
普通、最高級の回復アイテムが暴落するか?
ありえないだろ、こんなの。
あまりの悲劇に現実感がない。
大量のラスエリの在庫を売ろうとしても誰も買ってくれなくなった。
俺のもとには、まだまだ毎日ラスエリが届いているというのに。
あまりに突然すぎて、受け入れがたい。一体なぜ。
最近はいつも視界がどこかぼんやりとしている。
もう何も考えたくない。
俺はしゃがみこみ、耳を塞ぎ、目を閉じた。
ふと気づくと、いつの間にか俺は草原にいて、ザコ敵を狩り殺していた。小型犬とスライムをいじめて憂さ晴らしをしているというわけじゃない。ただ、十年間で染みついた半ば自動的な行動。ルーティンってやつだ。
どうも何も考えないで家にいると、無意識にザコ相手のモブ狩りをしてしまう習性が染みついてしまっているようだ。
そんなところに、またしても来客があった。
「すみません、ラック様というのは、あなたでしょうか?」
なんだかピシッとした服を着た若い男で、眼鏡をかけていた。その背後には、先ほど来た長い髪の女がいた。
「もしかして、ギルドの……」
「そうです。サウスサガヤギルドから来た者です。私のうしろにいる子は、アオイといいまして、この地区の担当をしている者なんですけども」
「ええ、さっき会いました。それで、ギルドに登録がないとサポートできないって後ろの……アオイさんに言われたばかりなんですけど、何の用ですか?」
もうダメだ。嫌な予感しかない。
「いやぁ、困りますよ、ラックさん。ギルドに黙って勝手に大規模な商売をされたら、我々ギルドの面目が立ちません。金貨での取引の際には、ギルドに一定の金額を納めていただかないと」
そら来た。
「調べさせてもらいましたところ、ラック様は、オリハラクオンという偽名を使った取引も含めまして、金貨四百ほどを動かしたと記録されています。ですので、申告漏れをしたことによる追加分も含めまして、ナミー金貨八十のお支払いをお願いします」
「八十?」
金貨八十っていったら、もう俺の手持ちの金貨では足りないじゃないか。
「ええ、何か不都合でも? 金貨で払えない場合は、あなたの豪華な家に集められた家具や、石材、もしくは敷地の一部で支払っていただいても構いません」
「そんな……」
「拒否されましても、強制徴収いたしますので、そのつもりで」
ギルドの人は、眼鏡をぎらりと光らせた。
ちくしょう、何様なんだ、ギルドってやつは。
いやホクキオ自警団のさらに上の組織だってのは知ってる。だけど、商談をぶっちぎるような人間味のない連中から何とか金を取り返したくて呼んだのに、逆に俺から金貨を搾り取ろうとしているってのは、もうこの世界おかしいとしか言いようがない。
「そうそう、資産について、嘘をついても無駄ですよ。ここにいるアオイは鑑定スキルを持っておりまして、家具や土地の値打ちは誤魔化せないですからね」
アオイさんがきょろきょろしてたのは俺の家に興味津々だったわけじゃなくて、俺の資産をざっと見積もって回ってたのね。
「なあ、眼鏡の人、一つ、きいてもいいか?」
「なんでしょうか、ラック様」
「ラストエリクサーで払ってもいい?」
「ハッ」鼻で笑われた。「ラストエリクサーなんて、もうクソゴミですよ。争いだとか不幸な時代の象徴でしかない。申し訳ありませんが、そのような呪われた草ではお支払いできませんね」
後ろにいたアオイさんも、
「ププッ、クスクス」と笑いをこらえられない様子。「ラスエリで支払いとか、何千本必要なの」
何笑ってやがるんだこのやろう。俺の倉庫には数千万のラスエリが眠っているんだぞ。何千本とか何万本とかってレベルで済むなら、それで払いまくってやるさ。けど、そう上手くはいかないんだろうなあ。
★
サウスサガヤギルドによる税金の取立によって、残りの金貨をすべて失った。専門家に調教してもらったばかりの伝書鳥二羽も檻にぶちこまれて運ばれて行った。多くの家具や装飾品も運び出されていった。
もう本当に家具類が根こそぎ持ち去られ、俺は市場で商人に譲ってもらった木箱に、捨てられていた安い食器を並べて一人で食事をしなきゃいけなくなったほどだ。
往々にして、物ってのは、買うと高くて売ると安いものなんだ。現実世界でもそうだったから知ってたさ。
「それにしても、本当に完全スルーだったな……」
自慢だったラストエリクサー倉庫は見向きもされなかった。その事実に、本当に大暴落してしまったんだと嫌でも実感させられる。
立ち会った長い黒髪のアオイさんは、ちゃっかり源泉かけ流しの露天風呂に入って帰っていった。
「こんなとこで温泉に入れるなんて思ってなかったよ!」
とかいって、人の気も知らないで喜んでいやがった。
入浴料で金貨八十枚くらい払ってもらいたいくらいだったけれども、なんかもう、何もかもどうでもいいよ。
俺に残されたのは、無駄に広い豪邸と、露天風呂と、ラストエリクサーだけ。
ここからどう生活していけばいいんだろうか。
また転生者案内の仕事に戻ったとしても、新入りの転生者なんて半年に一回くらいしか来ないんだから、まともな仕事とは絶対に言えない。
風呂屋を開くというのも一つの選択肢なのかもしれないけれど、なんとなく、いまさらギルドに事業者として所属したくもない。
俺はどうすればいいんだろうな。
倉庫で一人天井を見上げる。天井近くまでラストエリクサーの在庫が積まれまくっていた。
一番高いところに飾られた俺の記念すべき鑑定スキル限界突破記念のラスエリ極を見ても、以前のようなときめきは無く、色あせてしまっているようにさえ見えた。