第30話 ラストエリクサー(5/8)
俺は、変な汗をかいていた。
罪悪感めいた感情でいっぱいになって背筋が寒くなり、全身に鳥肌が立ちかけている。
「これで最後……」
これから、99999本の鑑定を終え、十万本目の鑑定をする。
白かった布にはびっしりと『正』の字が刻まれている。
「こんなの、おかしいだろう……」
これまで鑑定してきた99999本の『鑑定アイテム:謎の草』の中には、一本たりともラストエリクサーが含まれていなかった。
それどころかエリクサーさえない。まあエリクサーは液体タイプだから、草を鑑定して出てきたら逆にビックリだけども。
それにしても、これは本当に本格的に騙されたんじゃないのか。
――でもでも、そんなに大きな損害じゃあない。
そう自分に言い聞かせるんだ。
一セットで銀貨二十のブツを五千束買ったから、銀貨十万。金貨は銀貨の一万倍の価値があるから、金貨に換算するとナミー金貨たったの十枚。
たったの十枚とかいう言い方に、ちょっとした金銭感覚崩壊の兆しが見えているようにも思えるが、そういう自覚よりも、今は騙されてしまったことへの現実逃避をさせてほしい。
金貨十枚で買って金貨五十枚で売る契約だったんだ。
十万本のラストエリクサーをかき集めて、もう一度相手に送るというのが目標なんだ。
「いや落ち着け、残り金貨はたしか三百枚くらいあるからな、まだまだ挽回のチャンスはある。金貨約十枚分の被害で本当によかった」
真新しい真っ白な神殿の柱を見つめながら、思ってもないことを言ってみた。
金貨は一枚でも持っていればこの世界の住人がそれなりに遊んで暮らせるだけの財産だぞ。それを十枚分も失うというのは、大きな痛手だ。
あと、さっき残り金貨が三百枚だと言ったけどもな、あれは嘘だ。
今ちょっと数えてみたら、残りは百枚あまりになってた。
うーん、おかしい。ちょっと前までは三百六十枚くらいあったはずなんだけども、いつの間にか二百五十枚くらい消えてた。何に使ったんだかわからないが、いつの間にか散財してしまったようだ。
たぶん、美味しいものを食べたり、神殿が質素で寂しいから絨毯とか棚とかお洒落な調度品をオーダーメイドしたこと等が原因かもしれない。
ああもう、よくわからない。
いやいや大丈夫、金貨百枚あれば十分だ。
「ナミー金貨十枚で十万回ガチャが引けるなら、残りの金貨百枚では百万回ガチャが引けるということじゃないか! すごい!」
もう自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた。
もはや笑うしかない。
俺は限界の笑顔で最後の草を手に取った。
「さあ運命の十万本目! 俺は! 生き残ることができるか!」
記念すべき十万回目の鑑定スキルを発動した時、それまでにない眩い輝きを放ち始めた。色とりどりの光が乱反射して神殿を彩る。
「お? おお? うおおおおおおおお!」
思わず歓声が上がってしまうほどの豪華演出。
最後の最後で、これは来た。これは絶対に来た。
「こい、こいこいこいこいこい!」
放たれていた光は草に向かって急激に収束し、『鑑定アイテム:謎の草』は、『鑑定アイテム:輝く草』になった。
「って、なんじゃそりゃぁ!」
あんだけ光ったんだからウルトラレアアイテムが登場すべき場面なんじゃないのか。
鑑定スキルを発動したのに、鑑定アイテムになっただけっていうのは、バグか何かか。この世界は本当にクソゲーだ!
「いや、落ち着け。まだわからない。これも粋な演出の一つなのかもしれないからな。いずれにしても、もう一回鑑定してみるしかないな。うん」
やたらハイテンションになっている俺はひとり頷いて、
「鑑定ぇい!」
などと叫んでみたのだが、反応がない。鑑定ができないようだ。
「どういうことだァ! 俺は先ほどの光で鑑定スキルを失ってしまったとでもいうのかァ! それとも体内の魔力が切れちまったのかァ?」
妙なテンションで独り言を繰り返しながら、ステータス画面を確認してみた。
スキルを失ったわけでも魔力が切れたわけでもなかった。
そこに記されていた文字は、
「え、スキルレベルが……足りない?」
どうやらこの『輝く草』とかいう光るアイテムは、鑑定スキルを上限突破しないと本来の姿を見せてくれないようだ。
上限突破の条件は、たしか三つ。
鑑定99999回。
レベル50。
ラストエリクサー・極の所持。
鑑定数99999には、ついさっき到達した。レベル50は十年間毎日のモブ狩りで四年目くらいに達成済みだ。ラスエリ極については、以前まなかさんからもらったのがそれだろう。
「うおおおお! 俺は今! 上限を突破してみせる! 鑑定王に、なってやるッ!」
上限突破しますか、の問いが揺らめく画面に狂ったようなテンションで触れる。イエスの文字列に指を置いた。
室内だというのに、風が吹いた。『正』の字で埋められた白い布が風に舞って、はたはたと揺れる。俺の身体が淡く点滅する光に包まれ、光は全身の毛穴に吸い込まれて消えていった。
限界突破に成功しました、という無感情な文字列が見えた。
なんというか、簡単に限界突破できてしまっていいのだろうかと思わなくもない。けど、これまでの苦しい日々を思えば、これで釣り合っている気がするね。
いや、待てよ。まだちょっと損した気分だから、もうちょっとラッキーイベントを希望したいけども。
ふと、ポムンと軽い音がして、新たな小窓に文字列が表示された。
「上位スキル『検査』が習得できるようになりました。ポイントを割り振りますか?」
検査スキル。これは、クテシマタ・シラベールさんが言っていたやつだ。
鑑定スキルは用途不明なアイテムの鑑定。検査スキルは偽装されたアイテムの偽装を解除するスキル。つまり、検査スキルは偽装する輩がいないと成り立たない、対偽装専用スキルなのだという。
「上げられるだけ上げよう」
検査スキルを上げまくってやる。もう絶対に偽装に引っかからない。
ニセモノに溢れた世界が悪いんじゃない。ニセモノを見破れなかった、見破ろうとさえしなかった俺が悪かったんだ。
「うおおおおお!」
無駄に叫びながら、スキルレベルを上げていく。
できれば限界まで上げてやりたかったのだが、途中でスキルポイントが尽きた。
そして俺は、ようやく目の前の『鑑定アイテム:輝く草』と対峙する。
「長い十年だった……。川に転落して、パンツ一枚にされ、三つ編み裁判を受け、ラスエリ詐欺にあった。永遠にも思える苦難をこえ、現在、この瞬間、すべてが報われる! 汚れてくすんでいた俺の世界が、まばたき一つで浄化され、輝きに満ち溢れる新しい日々へ!」
今、鑑定の儀へ。
俺は手袋をはめた手を『輝く草』にかざす。
「鑑定!」
するとどうだろう、これまで輝いていた草は輝きを失った。
「ラストエリクサー……極……?」
鑑定結果として表示されたのは、そんな文字。
「極! 極だ! まなかさん、俺やりましたよ!」
俺は一人で「うおおおお」と雄たけびを上げながら盛り上がった。
本当はね、独りぼっちの作業じゃなくて、誰かと感動を分かち合いたかったよ。誰かと一緒に、厳かに『輝く草』への鑑定の儀を行いたかったよ。
こことは違う世界で好きだった人でも、アンジュさんでも、まなかさんでも、ベスさんでも、シラベールさんでも、誰でもいいからさ。
ああ、でもまあ、何はともあれ、これで少しだけ胸を張れる。
記念すべき初めて鑑定したラストエリクサー。鑑定した途端に光が失われたのは、何となく損した気分になったけれど、アイテムの外見よりも、苦難の果てに自分のスキルで最高級のレアアイテムを鑑定できたということが何よりも嬉しい。
本当にもう、俺史上最高に嬉しいものだった。
騙されたことなんて全て吹き飛ぶくらいの喜びだ。
これはもはや永遠の家宝。神殿の棚の最上段に飾って、誰にも売らないことにしよう。