第297話 レヴィアの旅 アヌマーマ峠を通過せよ(2/2)
「この横穴は、ラックさんが、私の膝を手当てしてくれたところです」
本当に出会ったばかりの頃、刺客のような動きをしていたキャリーサに追われて、膝を怪我したレヴィアとネオジュークへの旅に出たのだが、急ぐレヴィアを引き留めて、怪我の手当をしたのがこの場所である。
この、いかにも山賊が潜んでいそうな洞窟は、はじめは山賊アンジュの隠れ家として使われており、アンジュが成敗された後には、冒険者まなか(絵描きバージョン)のアトリエになっていた。その後のことは知らない。俺が旅に出てからさほど時間が経っていないから、アトリエのままだと良いのだが。
しかし、マリーノーツという世界は、なかなか俺の思い通りにはなってくれないものなのだ。
中に何があるのか、興味を持ったフリースが中に滑り込もうとした時、斜め後ろの草むらから大きな音がして、銃弾が飛んできた。
紅い閃光を纏った強力な銃撃は、まるで、以前、大勇者セイクリッドの長い銃から放たれたものに似ていた。
この銃撃、不意打ちが苦手なフリースには防げないんじゃないか――と思いきや、いち早く危険を感じ取った者がいた。
そう、コイトマルである。
「ご主人! あぶない!」
もはやフリースは不意打ちにも強くなった。死角のない大勇者になったのだ。
フリースのフードから飛び出したコイトマルは、右手から放出した糸で銃弾を絡め取り、銃弾の勢いを利用してぐるりと半回転。タイミングよく手放すと、銃弾が放たれた草むらに元の勢いのままUターンで返されていった。
「うわぁ!」
思わぬ反撃に、悲鳴を上げて出てきたのは、黄色い服を着た男である。
黄色い服で武装した集団といえば、偽ハタアリさんに唆された反乱軍だ。政府転覆を狙い、神聖皇帝オトちゃんや側近マイシーにちょっかいを出していた過激派である。
まだ残党がいて、山賊化していたとはな。
黄色い服の山賊は、背中を向けて逃げながら言う。
「おのれ! 仲間からも鳥が戻って来ぬし、もう討伐部隊が編成されたというのか。マイシーのいない今ならば勢力再拡大も夢ではないと考えていたが、旗色が悪い! おぼえてやがれ!」
黄色シャツが小者感あふれる発言をしながら逃げた先には、しかし、別の黄色い山賊を捕らえた二人組の姿があった。黄色いズボンをはいた男が、首根っこを捕まれてずるずると引きずられていた。
一人のきらびやかな服を着た娘が、山賊を引きずっていないほうの手を地面にかざして短い呪文を唱える。
「――咲き誇れ、石の花」
美しい声によって下級レベルの土魔法が発動した。
そして生まれた下級魔法とは思えない大きな土の造形に行く手を阻まれた山賊は、尻餅をついていた。
俺は、通りすがりにアッサリ賊を捕まえた二人組のことを知っていた。
赤い派手な花魁服を装備した美女と、地味な研究者肌の娘。
すなわち、ザイデンシュトラーゼンに暮らすアンジュの仲間、タマサとシノモリさんである。
「ん、よう。レヴィアにフリースじゃねえか。まさか山賊って、お前らかよ」
「タマサ!」とレヴィア。
「あの、お久しぶりです……その後、コイトマルさんはお元気ですか、フリースさん」
「シノモリ!」とフリース。
しばし再会を喜び合った後に、なぜここに居るのかという質問をぶつけ合った。
レヴィアたちのほうは言うまでもなく、俺に会うためにホクキオへの女子旅をしてきたということだったが、タマサとシノモリは何のためにアヌマーマ峠にいるのだろうか。
タマサは言う。
「そっちでラックが消えたように、こっちでもアンジュがいきなり消えたんだよ。急なことだったから心配して、あちこち探し回ってんだ。アヌマーマ峠が、以前いた場所だってのは知ってたから、二人で探しに来たんだが、どうもホクキオで話を聞いたら、山賊が暴れてるって話だった」
そこで、シノモリさんがバトンタッチ。続きを言う。
「もしかしてアンジュが、ザイデンシュトラーゼンの悪い宝物とかの闇のパワーとかにあてられて、昔みたいに山賊化しちゃったんじゃないかって不安になったので、山賊さんを捕まえて話を聞いて、隠れ家の場所を吐いていただいたんですけど……」
そこで再びバトンがタマサに戻る。
「その隠れ家の前にお前らがいたってわけだ。捕まえたこいつらは、ホクキオの警備隊みたいな連中に引き渡す予定なんだが……っていうか、お前らマジで香水くさいな。ぶっとばしていい?」
それはやめてやってほしい。仕方ないんだ。レヴィアのおとうさんに見つかるわけにはいかないから。
つまり、アヌマーマ峠を多少くさいものが通り過ぎても、おとうさんは出てこない。レヴィアの匂いを感じてしまったら、おとうさんが出てくるってことだ。
「この山賊は言ってたよ。『我ら最後の反乱軍残党なり。銀色甲冑の憎き側近がいなくなった今こそ好機。新たな暗殺のために爪や牙を研いでいるのだ』って誇らしげだった。偶然通りがかったのも何かの縁だし、アンジュ探すついでに、ちょっくら壊滅させてやろうって隠れ家に向かってる途中なんだけど、お前らはラックに会うために急いでるんだったな。ラックのやつによろしくな」
タマサはそう言うと、二人目の山賊の首根っこを捕まえて、ずるずると引きずって、洞窟の方へと向かっていった。
相変わらずタマサは激しいやつだな。
それに対して、おとなしいシノモリさんは、タマサが先に歩いて行ったのを見送ったあとで、おずおずとフリースに語りかける。
「あの、フリースさん。そこに飛んでいるのって、もしかして、コイトマルさんですか?」
「そう」
「わっ、すごい。羽化した姿も可愛いですね!」
小さな人型の存在、その正体が知り合いのイトムシだったとわかった途端に、シノモリさんのテンションは上がった。
「あげないよ」
「わかってますって」
「シノモリの姉御! シノモリの姉御ではないですか! シノモリの姉御が作ってくれたゴハン、たいへん美味しかったのです! コイトマルの肉体の半分以上が、姉御のつくった草だんごで出来ているといっても過言ではありません!」
そういえば、幼虫時代のコイトマルのエサを作っていたのはシノモリさんであったか。
おいで、とばかりに手を伸ばしたシノモリに、ふらふらと飛んでいって、彼女の左手に捕まれた。
シノモリさんは、優しく包み込んだまま、コイトマルをひっくり返してみたり、上から見たり、下から見たり、陽の光に透かして見たり、あちこち触りまくったりした。
そして、ぶつぶつと呟きはじめた。
「すごい。青い髪なのは、フリースさんの好きな色だからかな。背中の白い翼が絹織物みたいに透き通っててキレイ……。青い鱗粉なんだ。ふぅん、なんか良い香りするなあ。肌が氷みたく冷たいのも、フリースさんの氷の力の影響かな。手足はちょっと細いけど、イトムシの成虫にしては、かなり太い方かな……。てか、全体的に、この子、超でっかいよね。古文書の伝承では、こんなサイズのイトムシ記録に無いよ。あ、服も上質な糸で出来てる。感動。ん、この腰のきれいな刀は……ちょっと他とは違うから、後でフリースさんに買ってもらったもの? 顔立ちは凜々しくて、男っぽいけど、ちょっと女の子っぽい感じもする。どっちかな。あ、触覚は柔らかいんだね。クシみたいな形の触覚のきめ細かなところは女の子っぽいけど、触覚の大きさからすると、男の子かな。うん、男の子だ」
と、触覚を撫で回していたところで、コイトマルがウンザリした。
「なんか、他のヒトとは可愛がり方がちがうんすね……。コイトマル、ちょっと困惑です」
「ああ、ごめんごめん。つい」
動植物研究者の血が騒いだってやつだろうか。
そのとき、洞窟のほうからタマサの声がした。
「シノモリ~! なにしてんの、手伝え!」
「は、はーい!」
遠くからきこえてきた声に返事をした地味な娘は、「じゃ、またね」と言ってコイトマルを優しく手放すと、「アンジュさんを見つけたら教えてください」と言い残して走り去っていった。
たぶん、どこを探してもいないということは、二人にもわかっているんだと思う。そういう爽やかな諦めみたいなものも二人の態度から少し感じた。
洞窟の方からは、轟音と、野太い悲鳴が数多く響き渡っていた。山賊が一方的に潰されているのだろう。
死者が出なければいいが、まあそのへん、タマサならば上手くやるはずだ。
さて、二人とすれ違った後、しばらくして、レヴィアが言う。
「私、くさいって言われちゃいました……」
落ち込んでいるが、自分からキャリーサの香水を借りたのだ。仕方ないだろう。
しかし、そこで何故か、優しいコイトマルが責任を感じて呟いた。
「申し訳ございませんレヴィア様、コイトマルの鱗粉の香りが足りておれば、キャリーサのくさいのを使う必要など無かったのですが……」
「そうですね。コイトマルさんの鱗粉だと、ちょっと香りが足りないかもです。キャリーサくらい臭くないと、おとうさんの鼻は誤魔化せません」
こうした一連の発言を受けて、キャリーサはさすがに怒った。
「あんたら、あたいに『くさい』って言い過ぎじゃないかね」
まあ、くさいものは、しょうがない。くさくないと嘘を言っただけでは、くさいものがくさくなくなったりはしないのだ。
キャリーサの怒りはあっさり悲しみに変わり、がっくりと肩を落とし、言うのだ。
「じゃあさ、二人とも、この峠を降りてすぐのホクキオ郊外の草原に、『大勇者風呂』っていう施設があるらしいから、そこに行って、くさいのを落とすかい? 名物の露天風呂っていうのがあるらしいんだ」
「ロッテンブロウ?」とレヴィア。
「外のお風呂だね。転生者の文化だ」とフリース。
「おフロって何です? フロッグレイクとかと何か関係があります?」とレヴィア。
見た目は池っぽいから、偶然にも近いものがあると言えるかもしれない。
そういえば、フリースもレヴィアも、俺が作った露天風呂に入ったことはなかったな。いつか一緒に行こうと思っているうちに、俺は異世界に戻ってしまったから、行けずじまいだった。
レヴィアと一緒に混浴とかしたかったんだけどな。