第294話 レヴィアの旅 エアステシオンで羽化昇仙を(3/4)
これはうまい、うまいうまい、と吐息まじりの声とともに、コイトマルにとっては大きなどら焼きが、ちっちゃな口に吸い込まれていった。
フリースは無言でコイトマルの櫛のような触角と、真ん中分けの青い髪を軽く撫でて、かわいがっており、コイトマルのほうもそれを嫌がっていなかった。
フリースとシオンは、おしるこを飲みながら会話していた。
お餅がミョーンと伸びて、何回かに分けてシオンの口に吸い込まれていく。対するフリースは、はじめに氷の刃で素早く切り分けてから少しずつ口に運んでいた。
「フリースさん、それにしても、寂しいですね。マスターがいなくなっちゃったとか、つまんないです。からかうの面白かったんですが」
シオンとは祭りの後も何回かすれ違って、そのたび「あれあれマスター。今日は違う女の人を連れてるんですねぇ」みたいな言葉で煽られた記憶がある。
俺をからかって楽しんでいた悪いウサギである。
「いなくなったけど、だいじょうぶ。すぐ会える」
フリースは力強く言った。
「えっ、それってどういう……」
シオンは少し考え込み、言うのだ。
「待って待って、だめだよフリースさん。考え直してよ。あんな男のために死ぬことないよ。二股も三股もかけるような悪い男だよ。もっと他にもいるかもしれない」
このウサギ娘は、俺の何を知っているというのやら。あと、シオンはもう一つ誤解している。フリースは、別に俺の後を追って別世界に行きたいだけで、死のうとしているわけじゃない。
フリースは身を乗り出し、対面に座るウサギ娘の大きな耳に口を近づけて、囁く。
「ひみつだけど、キャリーサが『ラックの世界に行ける』って言うから、その話にノッただけ」
「むむっ、マスターの世界に……ですか。ほほう、そうなんですね」
このウサギは、あまり秘密を守るタイプではない気がする。
色んな所で言いふらさなければいいけどな。
「それより、どうですか? あたしのケーキセット」
「つぶつぶが邪魔。もう少し滑らかにしてほしい」
「なるほどぉ、こしあん派でしたか。刀なんか作ってあげるんじゃなかったです。張り切って損しました」
出たな、つぶあん派。
「マスターも、こしあん派でしたよ。一緒とは、さすが恋人ですね」
「……あたしとラックは恋人じゃない」
「え、じゃあ愛人ってやつですかー?」
「そうじゃない。ラックが好きなのはレヴィアだけ」
「でも、こないだデートしてたじゃないですか。一緒に川沿いを歩いてる姿とか、廃墟でイチャついてる姿とか、けっこうラブラブにみえましたよ?」
「あの日は、あたしが無理いって付き合ってもらっただけ。ハーフエルフに伝わる特別な日だったから」
「ああ、星のお祭りの日でしたね。昔話の」
「そう。離ればなれの二人が出会う日だった」
あの日にフリースから聞いた話では、マリーノーツにも七夕みたいな伝説があるらしい。織姫と彦星みたいな、離ればなれになった二人が、年に一度だけ出会える日だ。
「フリースさんは、どうしたいんですか?」
「どうって?」
「いやぁ、単純な興味なんですけどね、ラックさんと、ずっと一緒にいたいのかってことですよ。レヴィアさんと戦いたいのかってことでもあります」
ずけずけと、シオンは言った。
そしたらフリースは、しばしの沈黙の後、諦めたように言うのだ。
「――あたしは、負けてると思う。レヴィアほどの執着が無い」
「と言うと?」
「あたしは、ラックと一緒に居たいと言うよりも、ラックとお互いに好きでいたいだけ。気持ちさえ合わさっていればいいなって思う。まあ……相手にレヴィアっていう決まったひとがいるのに、贅沢でヒドい願い事かなって思うけど、あたしは、それが叶ったら幸せ」
「それって、どうなんですかね」
「自分でも、『あたしが素直じゃないからこんなこと思うのかな』って考えたけど、そういうわけじゃなくて……何て言ったらいいんだろう。一緒にいたいと思わないわけじゃない、けど、絶対に一緒じゃなきゃ嫌だってわけでもない」
「ラックさんと家族になって、子供とか育てたりとか、考えたりしません?」
「それも考えないことはないけど、別に絶対そうしたいって思わない。そうなればいいなってくらいで、そこがレヴィアと違うところ。たとえば、そうだな……ラックがあたしのことを思い出してる時に、あたしもラックのことを同時に考えてたりとか、そういう感じの、離れていてもお互いが信じ合えてる一瞬があれば、別によくって……あたしは、ひとりでも別に……」
そこで、生まれたての小人が、フリースの吐息混じりの美しくも悲しげな声をさえぎった。
「ご主人! それはコイトマルが認めません! コイトマルは、ご主人様とラック様の子供を抱きたいです!」
「あなたちっちゃすぎて、たぶん抱けないんじゃない? 潰されちゃうよ?」
「おっと! これはコイトマル、一本取られました!」
真面目な話が、一気にふざけた感じになった。
「でも、コイトマルのために、ちょっと頑張ってみようかな」
何をどう頑張るというのだろう。
「ですです! がんばってください。応援します!」
ぐっと握った拳に力を込めながら言ったシオンなのであった。なんだろう。このウサギ娘は、俺たちの恋路をかき回して楽しんでる気がする。
★
新たにシブくて綺麗な黒い鞘を手に入れたコイトマル。腰に刀らしきものを帯びたことで、そのシルエットは、八雲丸さんにさらに近づいた気がする。名前が似ているからそう思うのだろうか。
もっとも、八雲丸さんは、コイトマルよりも髪は短く、遙かに男っぽくて、手足も体つきも、細すぎるコイトマルよりもだいぶ太い。何より八雲丸さんには羽なんか生えていない。
「どうです、ご主人様。コイトマルの相棒は! 正直、どう見たってカッコイイです! 氷の刀で敵をばっさばっさと斬り倒し、ご主人様のお役に立って見せましょう」
血気盛んな若者である。
フリースは、そんなコイトマルをみて、あまり良い気分ではないようだ。黙ったまま、浮かない顔をしていた。
おそらく、コイトマルに戦って欲しくないのだろう。大切な相棒に危険な思いをしてほしくない、と言いたげな雰囲気を感じる。
さて、最後にやって来たのは、サガヤ地区の広場にテントを張って、占い部屋を臨時開業していたキャリーサのところだった。キャリーサは本当に公共の場所に無断でテントを張るのが好きだなあ。
「いらっしゃい。ここは占い師キャリーサの館だよ――って、なんだ、お客じゃなくて、氷娘のフリースかい。あたいに何か用かい?」
「キャリーサは、いつもテントで一人のとき何してる? いつも暇そうだけど」
「何言ってんだい、そうでもないのさ。けっこう占いの依頼は多いからね。あたいは、これでも予言者エリザマリーの孫だよ、占いの力を色濃く受け継いでるんだから」
「そのわりには、『白日の巫女』の座を降ろされてなかった?」
「フフ、ものごとにはねえ、相性や適正ってものがあるもんよ」
「まあ、キャリーサは、死の国の暗黒巫女って感じだもんね」
「ケンカ売りに来たわけ?」
「そうじゃない」
「どう聞いても、ケンカ売られたとしか思えなかったけど」
「ちなみに、適正といえば、ラックとかの適正とか才能って占ったことある?」
「ん、ああ、もちろんあるさ。あいつはね、才能っていう意味では、鑑定とか検査なんかも、そこそこだったけど、実は、もっと圧倒的に力を発揮できるスキルがあったね」
これは、興味深い話題である。俺が鑑定スキルにポイントを割り振ったのは、偽装スキルを持つ者に騙されたことが原因で、半ば意地になっていたからだ。
本当に適正を見極めてスキルを得るとしたら、何が良かったのか、聞いておきたいことである。
「鍛冶スキルだね」キャリーサは言って、自分で頷いて見せた。「そう、オリハラクオンは、金属を扱う能力に長けていた。だから、鋼属性と最も相性が良い。世界を救う最高の一振りを鍛えられる稀有な才能の持ち主だったよ」
「へー、似合わなそう」
たしかにね。鍛冶ってのは、玉鋼を鍛え上げるため、力強い肉体を持った人がやるイメージがある。俺のような虚弱な肉体で鍛冶職が似合うかというと、あまり似合わない自信がある。
でもねフリースちゃん。ちょっとその言い方はストレート過ぎるんじゃないかな。
記憶に残らないであろう夢だったからまだ良かったものの、もし目覚めたときに残る夢だったら俺は、ちょっと、じんわりと傷ついてただろう。
「で、あたいに何か用かって、さっきから聞いてんだけど」
「あ。そうだった。コイトマル。生まれたから。見せに来た」
フリースは、しゅびっと敬礼するコイトマルを抱き上げて、キャリーサの前に差し出した。
「ほう……なかなか聡明そうな凜々しい子じゃあないか。女の子かい?」
「たぶん男」とフリースが言ったが、
「待ってください!」とイトムシの成虫。「コイトマルはですね、男とか女とか、そういう枠には収まらない存在なのですよ」
「わかった。じゃあ言い換えるよ。オスメスどっち?」
「ご主人! このひと、わざとコイトマルを挑発しています! 戦闘の許可をください!」
「へえ、良い度胸だね。あたいとやり合おうってのかい」
キャリーサはカードを扇状に広げながら、妖しく笑った。口の端を持ち上げてニヤリと悪そうな笑いを見せた。
「こら、ケンカ売っちゃダメだよコイトマル。このひとは、巷では合成獣士とか言われて、気持ち悪い生き物を操るヤバくて臭い女として有名だから」
「フリース、あんたも、あたいを怒らせたいようだね……」
「ご主人様、許可を! ケンカを売られて黙っているような人間は、ご主人の相棒として相応しくありません!」
「うーん……じゃあ、しょうがない。いいよ。でも、本気を出して、キャリーサに怪我させちゃダメだからね」
思い返してみると、フリース自身も見かけによらず、ケンカを売られたら黙ってられない気性の激しいタイプだからな。コイトマルには戦ってほしくないと思っていても、ここは戦わねばならない場面だと判断したのだろう。どういう心理でそうなったのか不明だがな。
というか、今のフリースの言葉も、思い切りキャリーサを挑発していたよな。
キャリーサは、そのメッセージを正しく受け取り、わなわなと拳を震わせた。
「あたいの力、久々に見せてやる。表に出な!」
この人たちは、本当に争いごとが好きだなぁ。