第293話 レヴィアの旅 エアステシオンで羽化昇仙を(2/4)
店を出てすぐのところで、フリースは、次の自慢相手を捕まえた。その子は外のテラス席に座って、ホクキオ方面、アヌマーマ峠のほうを眺めていた。
「レヴィア、みて。コイトマル」
「あっ、生まれたんですね!」
正確に言うと、繭から出てきて羽化したわけだが、まあ繭は卵っぽいし、繭から出て来たコイトマルはこれまでとは全く姿が変わっているからな。「生まれた」という表現でも間違いではないと思う。
「コイトマルは、なんだか良い匂いがしますね」
「嗅覚担当のレヴィア様にそう言ってもらえると、いい匂いで生まれて来た甲斐があったというものです! 思う存分、コイトマルをかいでください!」
「いや、そこまででもないです」
「コイトマルは、あと、おいしい糸を出せますよ? 手から射出することができますので、小腹がすいたときとかに、お声をかけていただければ」
「イトムシだもんね」とフリース。
「ええ、コイトマルの出す糸は、清浄で丈夫なうえ、燃えないと評判です」
「え、生まれたばっかりなのに、どこで評判なんですか?」
「よくぞ聞いてくれました、レヴィア様! それはですね、コイトマルの中で大評判なのです!」
「そんなに言うなら、食べてみたいです。出してみてください」
「承知いたしました! 糸のほう、出させていただきます!」
コイトマルは、生まれたてだからなのか、生まれつきだからなのか、本当にテンションが高いな。活発な幼児のようだ。
「それっ!」
コイトマルがレヴィアの差し出した手皿に向かって右手を振るうと、ものすごく細い糸の束が出て、手を引っ込めると、糸の放出は止まった。
なめた。躊躇うことなく。
「あまくて美味しいです。丈夫なはずなのに、口に入れると、ほどけて溶けます。でも、スイートエリクサーほどではないですね」
ふつう、謎の生き物から出てきた謎の糸には、多少の警戒感を抱くものだと思うが、このあたりの感覚の違いも、かつて人間じゃなかったからなのだろうか。
だけどね、レヴィア、スイートエリクサーなどという贅沢品を比較対象にしていたら、永遠に幸福に生きられないと思うぞ。
できれば現実世界に来る前に、スイートエリクサーの味だけは忘れてきてくれ。あれは現実にあるどんなものよりも美味しく感じられた。
俺の元いた世界に帰って来てしまった今でも、思い出すと唾液が出てくるほどに美味いと感じたんだ。だからこそ忘却してほしい。せっかくレヴィアが俺の世界に来るのなら、色んな食べ物に感動してもらいたいからな。
「絶世の美味であるスイートエリクサーと比べていただけるとは、コイトマル感激です!さてはレヴィア様、褒め上手ですね!」
レヴィアは、ちょっと困惑しているようだった。
たぶん、このイトムシの会話のペースが、レヴィアにとっては速すぎたんだろう。
★
「あれあれ、なんか新しい人が生まれてますね。どことなく雰囲気がマスターに似てますが、マスターって虫けらだったんですねぇ」
脈絡なく俺の悪口を放つのやめてくれない?
冗談きついよ?
そのまえに、俺とコイトマルは似てないよ?
というわけで、続いてやって来たのは、室内のテーブル席でコーヒーみたいな液体を飲んでいたウサギ娘、シオンのところである。
「コイトマル。生まれた。どう?」とフリース。
ステラ、レヴィアと続いて、今度はシオン。みんなに見せびらかして自慢しているのだ。
「この姿は、なんだか、お侍さんみたいですよね。道場とかに通ってそう。刀とか持たせたら似合うんじゃないですかね」
「いいですねぇ、刀! 八雲丸さまみたいに、格好良くなりたいです!」
しかし、コイトマルの考えなしの発言に、相棒から冷たい声で待ったがかかる。
「あいつ、格好わるくない? あたしより弱いよ。頭わるいし」
「いえ、将来性があります!」
コイトマルは本当にポジティブだなあ。
フリースは不満そうである。八雲丸さんより自分に似て欲しい気持ちがあるのかもしれない。
「あたし、作って良い?」
「ぜひ、お願いします!」
コイトマルは満面の笑みで返事した。
主人の許可を得るとか、そういう過程は、あまり意識してないようだ。
主従関係の枠をすでにこえて、ちゃんとした相棒になっているとも言えるんじゃないか。
「そのかわり、あたしの考案したセットメニューを注文して売り上げに貢献してね」
「よかろうなのです! 御礼にコイトマルの糸をあげますね! 手をだしてください!」
コイトマルは、シオンが首をかしげながら手を出したのを見ると、手から糸を放出し、糸の束を長めに生み落としたのだった。
「うっ」と思わず顔をしかめるシオンだったが、その糸に視線を落として、手触りを確かめ、糸のものすごい上質さに驚くと、「ちょっと待ってて」と言ってウサギ娘たちの控え室へと消えていった。
★
この店、『傘屋エアステシオン』には、看板娘三人が考案したケーキセットが三種類ある。
エアーの『ロミオとジュリエット風タルトと吊り橋にんじんジュース』。
ステラの『もげた羽根物語――でも頑張れば飛べる。もっと熱くなれ! 灼熱おこめライスつき! あと痩せるお茶!』。
シオンの『カニとカエルに向けて小舟にのって弓を引く美女ウサギの挟み焼き、かぐやしい餅入りあんこジュースを添えて』。
この三種のメニューは、モーニングケーキセットではあるものの、朝昼晩に渡り提供されており、一日で全メニューを制覇するのも可能である。ステラのなんかは、手羽先とゴハンとウーロン茶なので、ケーキっていうよりは、もうご飯って感じだしな……。
そして、この中で、カニだのカエルだのという生臭そうな生き物の名前が入っているシオンのメニューは、ダントツで不人気なのだった。なんでも、月にまつわるアイテムをぐちゃぐちゃにしてぶち込んだネーミングなんだそうだが……。
売り上げが伸びないと、看板娘としての威厳が保てなかったりするのだろうか、シオンはやたら自分のメニューをオススメしてくるのだった。
ちなみに中身は、どら焼きと金粉入りおしるこのセット。名前の気持ち悪さとは無関係だ。
この店に着いてすぐに、気持ち悪い獣を生み出すことで定評のあるキャリーサが、この気持ち悪いネーミングのメニューに惹かれてテンション高く注文したりしていたけれど、出てきたのが思いのほか普通でガッカリしていたので、どう転んでもあのメニュー名はやめたほうが良いのではないかと思う。
お月さまのなんとかとか、餅つきウサギのなんとか、くらいの感じで、ひとことでシンプルに表現すればいいと思うんだが……。
その点、『ロミオとジュリエット風タルトと吊り橋にんじんジュース』は、他の二人のメニュー名に比べれば、意味わからないながらも、なんとなーくバランスの良さやオシャレさが感じられる気がする。
ステラのも元気が出そうな感じでいいけどね。シオンはね、ちょっとね、だめだね。
「お待たせしました。『カニとカエルに向けて小舟にのって弓を引く美女ウサギの挟み焼き、かぐやしい餅入りあんこジュースを添えて』ですぅ」
シオンがどら焼きとおしるこセットを持って戻ってきた。木の板に載せたまま、二人の前に出される。
「おおっ、これは見るからに美味な感じがします! コイトマルがこれを全て食べて良いのですか? いいえ、そうはいきませんね! ご主人様、はんぶんこしましょう」
「そうだね」
「あ、その前に」とシオンは、もう一つのプレゼントをコイトマルに差し出した。
コイトマルサイズの小さな刀のようだ。
光沢のある鞘はきらきらと星がちりばめられた夜空のようなデザイン。鍔には金粉が散らし固められていて、渋い輝きを放ち、持ち手の部分には、鮮やかな糸が巻かれていた。
「柄の(つか)部分に、さっきコイトマルくんにもらった糸を染めて使ってみました。細くて強いから、長持ちすると思います」
シオンは手先が器用なようだ。
「おおっ、みてくださいご主人様、超イケてる刀をもらいました!」
「うん、格好いい」とフリースも高評価。
「かたじけのうござります! シオンどの! なんと御礼したらよいか!」
「へへっ、喜んでくれて、うれしいな。あ、でも、お礼とか、そんなのいいから、はやく食べてください。お餅がかたくなっちゃいます」
「コイトマル、この刀、軽くてとても気に入りました! 名前はなんというんですか?」
「その名も、『暗月』です」
「ほほう、すごく格好良い名前です! でもなぜ!」
「抜いてみればわかります」
「そうですね! では、さっそくこの刀で、この妖しき茶色の砂糖菓子を切り分けましょう! 試し切りです!」
そうして、どら焼き相手にマウントをとり、刀を抜いたコイトマルだったが、そこに刀身は無かった。道理で小さなコイトマルにも軽く感じられるはずである。鞘と柄だけしか作られていなかったのだから。
「…………」
ご主人様ばりに黙り込んだコイトマル。
沈黙が流れる。
コイトマルは、それまでの元気さから一転、予想外のことに混乱しているようだ。ガッカリしていると言い換えても良い。
そこで無神経なシオンが自慢げに言うのだ。
「『ダークムーン』の意味は、『新月』とか『朔』とか、月が見えなくなる時のことなのでした。ブイっ」
そうしてブイサインを作ったシオンだったが、空気が読めていなかった。月が見えなくなるから刀身が無いというのは、まあ言いたいことは理解はできるけれど、コイトマルにとって納得できるかと言われれば絶対に無理だ。
コイトマルは期待していた分、一気に暗い表情になった。
「これ……コイトマル、ちょっと悲しいです。バカには見えない剣とか、そういうあれなんですか? それとも本当に何にも斬れないやつなんですか?」
「えっ、あっ、あの……だって、持ち運びするのに軽い方がいいかなって……。それに、本当に斬れるのとか、まだ早いかなって。コイトマルくん、生まれたばっかりですし」
「こんな子供だましで、コイトマルが納得するとでも? さてはこのひと、悪いものにとりつかれた悪いウサギです。ご主人様、コイトマルにかわってお仕置きしてください!」
しかし、フリースは、コイトマルのお願いには聞く耳持たず、攻撃的ではない別の行動でコイトマルの機嫌を直してみせたのだ。
フリースが細い手を伸ばし、コイトマルの刀を優しく静かに指でなぞってやると、そこに輝く透明な刀身が姿を現した。
早い話が、氷の刀である。
「うおおおっ! ご主人様! ありがとうございます! カッコイイ!」
テンションの戻ったコイトマルは、シオンのケーキセットのどら焼きを見事真っ二つに切り裂いた。全身から力の抜けた、見事な太刀筋だ。
「これはすごい! ばつぐんの切れ味です!」
フリースの相棒に相棒ができた。