第282話 魔王滅ぼしのエリクサー
――ファイナルエリクサーで乾杯を。
まさか、こんなにはやく、ファイナルエリクサーで乾杯するかもしれない日がくるなんてな。レヴィアと一緒に現実に帰ったとき、二人がはぐれた場合の合言葉のつもりだった。
合言葉を決めた時は、なかなか乾杯できないものだと思ったのに、流されるままに、あっという間に、この幻の霊薬で乾杯するかもしれないところまで漕ぎつけてしまった。
このボウルで揺れるファイナルエリクサーで魔王が滅べば、俺たちはめでたく最高にうまいと言われるファイナルエリクサーにありつける。
「レヴィア、フリース、アオイさん。一緒に流し込みましょう!」
俺の提案に、アオイさんから反対意見が出た。
「いや、こっちは放っといて、三人でやってよ」
アオイさん遠慮した。意外である。
「こっちはいいからさ、とくにレヴィアちゃんと一緒にやってあげて」
つまり、この池への流し込みという儀式めいた行為は、俺とレヴィアの二人きりでやるのが望ましいという意見だ。
たしかに、アオイさんの言うこともわかる。愛し合う二人が一緒に霊薬を流し込めば、悪の魔王など、たちどころに滅ぶだろうからな。
いや、自分でも何考えてんのかわからなくなってきたが、ともかく、アオイさんの提案通り、俺はレヴィアに声をかけた。
「じゃあレヴィア、一緒に……」
「やめときます」
「えぇっ、なんでだ!」
なかなか考えた通りの展開にはなってくれない。
レヴィアは言う。
「だって、これを流すと大魔王が亡びるんですよね。私は自分の手で命を奪いたくないです。人間は、命を大事にするものなんでしょう?」
旅を始めたころは、もっと命が軽かった気がするが、大魔王の命まで心配するようになるとは、成長が感じられて感慨深い。
「ふふふ」と、思わず俺は笑った。
「え、ラックさん、なんですか?」
「いや別に。まあ確かにレヴィアの言うのも一理あるよな。命を奪うというのは俺だって抵抗ある……でも、大魔王がいるだけで悲劇が起きてしまうからなぁ……隣を歩いてた友達が呪われて、突然襲い掛かってくるような世界は嫌だろ?」
「そうかもしれませんが、やりたくないです」
「絶対?」
「絶対です」
「そ、そうか……」
説得失敗である。
まずアオイさんが離脱して、レヴィアに断られた。そしたら、あとは一人しかいない。
「ええっと……じゃあフリースとかは一緒にやってくれないかなぁ、なんて……だって、もともと大魔王を沈めたのはフリースなんだろ?」
フリースは明らかに怒ったような無言をぶつけてきた。そして、虚空に氷文字を描き出す。
――むり。
「は? なんでだよ」
――レヴィアが一緒にやらないからって、レヴィアの目の前であたしを誘うのはギルティ。
――あと、あたしがレヴィアのかわりみたいな扱いも嫌。あたまくる。
拒絶モードである。
いや確かに俺の言い方も悪かったけども。
こうなったフリースは、説得しようとしても難しい。いくら責任を果たせと呼びかけても、嫌な気分にさせたら言うことをきかない。青い服の大勇者は気難しいのだ。
これで、三人に拒絶されてしまった。
どうあっても、ひとりでやるしかないらしい。
「よし、わかった。レヴィア、アオイさん、フリース。三人は、後ろから願っていてくれ。どうか、うまくいきますようにってさ。
するとレヴィアは「わかりました」と答え、
フリースは、『――そのくらいなら』と氷文字を描きながら頷き、
アオイさんは、「がんばれー」とすでに応援モードだった。
「よし、いくぞ」
深呼吸して、覚悟を決めて、杯から池に虹色に輝くスカーレットレッドの液体をそそいだ。
情けなくて頼りなかった俺の旅路、その集大成が、水面にゆっくりと広がっていく。
ぼこぼこと沸騰するように呪いが発散されていた汚水は、一気に澄み渡った。嘘のように静まりかえった。
「…………」
四人分の沈黙。
それ以外は何も起こらなかった。
これで、問題は解決したんだろうか……。
水面に呪いが出なくなったから、根本が滅びたと言っていい気もするのだが。
いや、まてまて、甘い考えは危険だ。
いくらファイナルエリクサーをはやく味わいたいからって、簡単に滅びたことにするのは危険すぎる。
とはいえ、大魔王が滅んだかどうかなんて、どうやって確かめたらいいんだろうか。
しばらく水面を見つめながら待っていると……。
突然だった。
全く予想していなかった。
本当は、魔王へのファイナルエリクサーアタックを仕掛ける前に予想できていないといけないことだった。
目先のことばかり考えて、大事なことを忘れていた。
いきなり世界が暗転した。目の前が真っ暗になって何も見えない。
「レヴィア?」
返事は無い。
「なんだこれ、レヴィア?」
返事どころか、何の音もしない。
しかも、どっちを向いても闇しかなかった。
何もきこえない。何も見えない。何のにおいもない。声を出すこともできなければ、動くこともできない。
なんだこれ、なんだこれ。
レヴィア……。
どうすればいいんだ。
どうにか、どうにかしてくれ――
「――レヴィア!」
病院のベッドの上で、俺は目覚めた。
「レヴィア……? なにそれ?」
不審そうに見つめながらそう言ったのは、俺の母親だった。
自分の手のひらを見ると、片手に包帯が巻かれていた。
突然だった。
急に俺は、現実世界に戻されてしまった。
何故なのか。話は単純である。
魔王を倒した転生者は即座にゲームクリアとなり、大勇者でもない限り現実に引き戻されるものなのだ。
知っていたはずだった。わかっていたはずだった。
でも忘れていた。
心残りがいっぱいだ。
フリースの呪いが解けたのを見届けたかった。
アオイさんと世界の謎を完全に解き切りたかった。
そして……愛するレヴィアとずっと一緒にいたかった。
――なんで俺は、現実世界に一人で来てしまったんだろう。
なんて、そんなことを思った。もともと、こっちが自分の世界だなんて、信じたくない。そんな気持ちを抱いていた。
「変な夢でも見たの?」
母の言葉に、俺は、
「夢でも変でもない!」
そう言い放った時、母親は、病院なんだから静かにするように、とでも言うように、人差指で自分の唇を軽く叩いたのだった。
【第十二章につづく】