第280話 水源の池フロッグレイク(1/2)
大魔王が沈む場所、水源の池フロッグレイクは大樹リュミエールの北側にある。
善は急げ。近くにあるというので、エレベーターを降り、鬱蒼とした霧の森を抜けて行ってみることにした。
道に迷いそうになったけれど、この場所の地理に詳しいフリースやマイシーさんだとか、呪いの気配に敏感なレヴィアのおかげで、苦もなく辿り着くことができた。
森を進んでいくと、樹木が少なく、空が広く見える場所に出た。少し汚い色の霧が広がっていて、見通しが悪いけれど、この場所が水源の池であるという。
「水源とは言いますが、ここの水がどこから来るのかというと、空から降った雨が溜まったものなのです。フロッグレイクには、いつもやまない雨が降っていて、決して水が枯れる事がない……。どうです、ちょっと驚きでしょう? 湧き水じゃないんですよ」
マイシーさんが得意げに言ったけれど、その話は以前、フリースから聞いたことがあった。
「……ラック様、全然驚きませんね。つまらないです。とっておきの秘密だったのですが」
「いや、ごめん。そんな余裕なくて」
すでに聞いた話だったというのもあるけれど、実際のところ余裕が無いのは本当だ。
なぜなら、俺たちの行く先には、見通しの悪い汚い霧が広がっていて、そこを茶色いフクロウ型の巨大モンスターが、大きな羽根を広げて何羽も飛んでいたからだ。羽音を立てずに、静かに、悠然と。
八雲丸さんも、その光景を見て、俺の言葉に頷いてくれた。
「そうだぜ、どうもこいつはシャレにならんくらい異常だ。正常な水が絶えず流れ込んでくるはずのあの深い水たまりも、普通の目でみても、やべえ色に染まってるしよ、普段はおとなしいフクロウたちも、あの有様だ。あの数のハイレベルモンスターたちを相手に、ラックたちを守りながらってのは、どう考えてもきついだろう。なあ、マイシーお嬢」
「は? お嬢とかいうのやめてもらっていいですか? 船みたいな名前してるくせに」
「あ? なんだよ、マイシーおばさんとか呼んだらいいのか?」
「ほう、なるほどなるほど。連戦を終えたばかりだというのに、やる気満々ですね。今のわたくしは、皇帝側近であると同時に皇帝代理でもあるんですよ? わたくしが大勇者剥奪と言えば、貴方なんか一瞬で村八分にもできるんですよ? もう少し考えて発言したらいいんじゃないでしょうか」
「あぁ? やれるもんならやってみろや。おれが大勇者になりたいと望んだ理由は、強え仲間となれ合ったり権力を欲しがったりする為じゃあねえ。魔王を斬り倒すことが衆生一切の救済の助けになると思ったからだ。それを邪魔するってえなら、皇帝だろうが大王だろうがただじゃおかねえ」
八雲丸さんは、腰の鞘を手に取ると、刀の柄に右手をかけた。
いや、あの、八雲丸さんの発言や動きは実にカッコイイんだけども、この状況でそんな力強い声を出されたら、マズイんじゃないだろうか。
フクロウという動物は生粋の暗殺者である。聴覚による優れた空間認識能力を持ち、そして、羽音の出ない構造の翼を持ち、風も起こさない。獲物の背後から忍び寄る能力にかけては、森の生き物としては最上級レベルなのだ。
「あっ」
と俺が気付いた声を挙げている間に、八雲丸さんの身体全体が巨大フクロウの足に掴まれ、宙に浮いた。
「うおお、何だなんだ?」
しかも、急に襲われたため、腕をがっちり腰の横につけた状態で運ばれており、転生者のステータス画面を開こうにも、腕が動かせない。
考える限り最悪に近い状況になった。ひどく詰んでるじゃないか。なんて頼りない大勇者。
いや、そんなことを戦えない俺ごときが言う資格はないのだろうが……。
さて、皆が呆然とするこの事態に、いち早く反応したのがマイシーさんである。
「まったく、世話が焼けますね」
マイシーさんが鎧の中から取り出した笛を吹くと、巨大な鳥がばっさばっさと飛んできた。
いつぞや俺を背中に乗せてくれたこともある巨大な鳥。怪鳥ナスカくんである。
マイシーさんを背に乗せるや否や、フクロウを追いかけて飛んでいってしまった。
強大な敵に対抗できる二人の大きな戦力が失われたことで、俺は不安になった。
このまま敵がフクロウだけならまだいいけど、滅ぼすはずの大魔王がうっかり汚水の中から揚がってきたらどうなるんだろう。
フリースだけで俺たちを守りながら戦えるんだろうか。
いや、それどころか、はやく氷の壁でも作ってもらわないと、危ないんじゃないのか。
そこで俺は、「フリース頼む」と言ったのだが、首を傾げられた。
「…………」
拒否を示す無言もぶつけられた。
なんでだ。
敵のフクロウは音もなく忍び寄って一瞬にして大勇者をさらっていくような相手だというのに、油断しすぎなんじゃないのか。
しかし、そこでアオイさんが言うのだ。
「へいへい違うでしょ。ラックがやんなきゃいけないのはさ」
一体何のことなのだろうかと戸惑う。
「そうですね。ラックさんは自分の仕事をすべきです」
レヴィアまで、そんな言葉を投げつけてきた。
「…………」
何だろうかと考え込んでいると、アオイさんの呆れたような溜息を合図にして、三人は、声を揃えるように言うのだ。
「紫熟香!」「紫熟香!」「くさいやつ――あ、紫熟香です!」
ひとり揃ってないやつがいたけども、三人とも解呪の香の名を告げた。
そうなのだ。そうだった。焦るあまりにすっかり忘れていた。フクロウが呪いによって眷属化、凶暴化しているのだとしたら、そんなものは、ほんの一かけらの解呪の煙を浴びせるだけで解決なのだ。
連続して色んなことが起こったし、薬を運搬するのに神経をすり減らして身体も脳も疲れてしまっていたのだろう。こんな簡単なことにも気づけないとは!
などと、言い訳じみた思考を展開しながら、俺は慣れた手つきで黄金香炉に火の付いた香木を入れた。
レヴィアが鼻をつまむなか、煙はだんだんと広がっていき、やがてフクロウの大軍に触れた。
するとどうだろう。たちどころにフクロウたちは小さくなり、枯れた小さな木の枝に、集まってとまった。
ほぼ安全になったわけである。
ついでに言うと、汚い色の煙も嘘みたいに消えた。
「助かったぁ」
俺が安堵の息を漏らした時、俺の背後から小さなフクロウが頭をかすめて飛んでいき、どうもギリギリのところで助かったらしいことを知った。あと一瞬でも遅ければ、俺も八雲丸さんのように空に連れ去られていた可能性もあるわけで、背筋に寒気をおぼえた。
なにはともあれ、みんなのおかげで、水源の池に近づけそうだ。
★
「ここが、水源の池か……」
鬱蒼とした森の中に、ぽっかりと陽の当たる池だ。さっきまでは美しくない濁った色の霧が立ち込めていたが、今は何もない。煙のおかげで澄んだ空気である。
紫熟香の効果で、池の水からの瘴気がおさえられた。これで三日くらいは、誰でも無事に近づけるようになった。
池の広さは、そう広くはない。巨大な水たまりといった姿だ。水に触れる位置まで来たわけだけど、見れば見るほど小さな池だ。向こう岸はハッキリ見えているし、周囲は歩いて数分で一周できそうである。しかし、フリースの話では、水深はおそろしく深いのだそうだ。
足がつかないとか、そんなレベルじゃない。前人未踏レベルの深さであり、だからこそフリースは、その中に大魔王を封印したのだ。
さて、今回の大魔王の呪いは、眷属化を招くものだ。汚れた水の呪いをあまりに強く受けると、体内が呪われて魔物化してしまい、さらに他の生き物にかみついたり、他の生き物に喰われたりすることで、魔物化を広げることになる。
まるで吸血鬼だとかゾンビだとか、そういう類の仲間の増やし方だ。
被害の様子を見る限りでは、フロッグレイクで魔物化が起きたのは、ごく最近だと思われる。
池の周囲に生息するフクロウのみが魔物化していたからだ。
たぶん、まずは深いところに棲んでいた魚たちが魔物化したのだろう。そしてその呪いは水源の水に溶けた。そして、その水を飲んだり、呪われた魚を食べたフクロウたちが次々に汚染された、という流れだろう。
転生者や耐性のある者、それからこの数日間のうちに紫熟香の煙を受けた者に関しては、今のところ魔物化の心配はない。
「池にさ、紫熟香の灰でも投げ入れてみたら、見事に浄化されたりしないかな」
「やりたければやってみれば?」
そんなフリースの言葉を受けて、実際にやってみた。
祈りをこめてパラパラッと撒いた。
水面に灰が落ちて、粉末の落ちたところがきれいになって、そのきれいなところが一気に広がっていく。しかし、一瞬だけ水面が浄化されるものの、すぐにまた呪いが広がってしまう。
「くっ、だめか」
煙は水中までは届かないし、やはりファイナルエリクサーで解決するしかないようだ。
でも、めちゃくちゃおいしいって話だから、できることなら使わずに終わらせたいという欲があるのだ。
欲をかきすぎては良い結果は得られないというのは、わかっているつもりだけれど、俺とレヴィアだけではなく、他の皆の分も用意しなきゃいけないということになれば、やっぱり使わないに越したことはないのだ。
分け前を守るためにね。
何か方法はないものか。