第275話 大勇者決定戦(5/6)
黒蛇状態のオトちゃんは、大勇者級の猛者同士の激しい戦いを期待していたようだった。
八雲丸さんとアリアさんの戦いが、あっさり終わったことで興味を失ったのだろうか、フリースに巻き付いて清涼な氷を要求すると、氷の浮かべられた水桶のなかで目を閉じて眠りについた。
――つまらぬつまらぬ。わしはもう寝る。
そんな声が聞こえた気がした。
それにしてもな、蛇は蛇で可愛らしいけども、そろそろ会話できるくらいに成長してくれるといいんだけどな。
さて、予定されていたように、アリア戦の後には、魔族との戦いがあった。
アリアさんを氷の土俵から押し出した後に、八雲丸さんは再び引き留められた。
拡声器から鎧美女の声が会場中に響き渡る。
「次の戦いにて、八雲丸様の実力を存分にお示しいただきたい。観客の皆様は危険ですので、すみやかにご退場をお願いします」
「おいおい、休憩ナシかよ」
「おや、大勇者には連戦がつきものです。疲労にどれだけ耐えられるのか、どれほどのスタミナがあるのか、アピールするチャンスでもあるんですよ?」
「ったく、しょうがねえなぁ」
八雲丸さんはその場に胡坐をかいて座り込んだ。観客がぞろぞろと退場していく中で背筋を伸ばし、張りつめた雰囲気のまま次の戦いを待つことにしたようだ。
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マイシーさんの操る黒い服の人形たちが残ろうとしていた人々を全て退場させた後、さきほどアリアさんが出てきた扉が開いた。そこから、巨大な化け物が出てきた。追い立てられるような形で。
闇に溶け込むような深い紫色をした筋骨隆々の肉体。背中からは翼が生え、鋭利で巨大なねじれた角が頭から突き出し、爪先立ちで、手足には長く伸びた爪を持つ。目を真っ赤に光らせた人型の化け物。
いかにも悪魔的なシルエットがおそろしい。
まだ旅に出ていない頃に見た夢。まなかさんとセイクリッドさんとアリアさんの三人の大勇者が、荒れ地にて魔王らしきものを討伐している場面を夢に見たことがある。姿形はそいつに酷似していたが、大きさはだいぶ小さいように見える。
八雲丸さんは片目を開いて、新しい対戦相手を見る。
「こいつぁ、予想以上の強敵だな」
動揺はしていないが、少し驚きを含んだ口調だった。
扉が閉じられ、強固な結界が場内に張り巡らされようなのだが、ところがどうだ。「はじめっ!」というマイシーさんの掛け声があって数秒、八雲丸さんの先制攻撃を軽く回避した獣が地面に叩きつけた風圧で、全体を覆っていた白い天幕が吹き飛んでしまった。
灰色の空が見えるようになり、目に見えるくらいの雨粒が降ってきた。
八雲丸さんは、その風圧で吹き飛ばされたものの、空中で何とか姿勢を正すと、さきほどの水色長男のイノシシ突進でできたぼろぼろの観客席に膝をついて踏みとどまった。
「なにっ」
顔をあげた時には、もう八雲丸さんの視界から化け物はいなくなっていた。
背後を振り向くと同時に抜刀した八雲丸さんは、見事に重たい爪の一撃を受けた。
「くっ」
風が吹き荒れ、特別観戦席のガラスもびりびりと震えた。
化け物は、苦しそうに咆哮する。
レヴィアも心配しているのか、アオイさん――いつの間にか部屋からいなくなっている製造責任者――の手伝いをやめて、ガラスに手をついたり、うろうろ歩き回ったり、そわそわと落ち着かない様子になった。
無理もないと思った。バホバホメトロ族とやらは巨体にも関わらず素早く、その俊敏さを活かして多彩に攻めてきていて、一本調子に正面からアタックする八雲丸さんのほうが劣勢に見えた。
「これで魔王じゃないんですか?」
「そうです。魔王はこれとは比べ物にならない強さですよ。今、戦っているのは、ネオジュークの地下深くで捕まえた魔族で、戦闘スキルを持たない個体……早い話が弱いやつですね。八雲丸様はお得意の神化串を使わずに勝つもりらしいですがね」
八雲丸さんの強さは、嫌というほど見てきた。それでも、マイシーさんが言うには、強化技や特殊な技を使わずに圧勝するのは現在の八雲丸さんにも無理だという。
驚きだ。
まだ子供ではあるものの、最強とうたわれる魔族。
バホバホメトロ族とは何なのか。
「かつてはホクキオ近郊のアヌマーマ峠での目撃情報が多かったようですが……あの峠には村人は恐れて近づかないようにしてましたね。それから、転生者の中には隠しボス扱いして挑む者もいましたが、全て返り討ちでした。時折巨体をゆらして人里近くにあらわれて威圧していたみたいですが、十年ほど前から、ぱったりと姿を見なくなったと報告を受けております」
「十年前に何が」
「わかりません。いずれにしても、バホバホメトロ族を倒すために、八雲丸様は強化技である神化串を使わざるをえないと予想しています。さもなくば、強力な宝刀を召喚して消し去るという手段も考えられますけどね」
「そうか……」
俺が生返事で返したとき、また一度、正面からの打ち合いが起こり、びりびりとした振動が強固なガラスを揺らした。
「あぁっ」
とレヴィアが悲鳴に似た呟き声を発した。
これまでで最大の力と力のぶつかり合いだった。
八雲丸さんは納刀し、額の汗をぬぐってから、へへっと笑う。強敵との戦いに、脳内物質がドバドバ出ているようだ。
対する魔族は、自分の分身のようなものを四体も生み出して、分身たちが一斉に四方から襲い掛かったものの、地面が液状化する抜刀術が披露され、分身たちは次々に消えていった。
魔族のほうとしては、隙を作って逃げる作戦だったのだろう。跳躍し、雨雲に向かってジャンプして脱出を試みた。それなりの知能はあるように見受けられる。
ところが、外に出る事はできなかった。
見えない結界に阻まれて化け物は落下。着地後に隅っこまで距離をとって、等身大の分身を数えきれないくらい多く生み出して、次の攻撃準備に入ったようだ。
レヴィアは相変わらず、戦況をはらはら心配そうに見つめている。
そんな姿を見て、ふと俺はなにか普通じゃない雰囲気を感じたのだった。
「レヴィア、どうかしたのか?」
「ラックさん……」
こちらに顔を向けたレヴィアは、かつてないほどの「どうしよう顔」であった。
はらはら、おろおろ、眉をハの字にして、今にも泣いてしまいそうである。
「いや、ほんとどうした、お前。アオイさんとの霊薬づくりで何かやらかしたのか?」
「言えません……。言えないんですけど……。でも……あぁ、私、どうすれば……」
指先でガラスを撫でていた。
分厚い透明な板の向こうでは、戦闘が激化している。ところどころに大穴があき、砂塵が舞い、レベルを上げた俺の『曇りなき眼』ですら、ちゃんととらえきれていない。暴走した黒龍のことも見えたのに、それ以上のスピードが出ているらしい。
「分身みたいな技を使ってますけど、あれは、早すぎるから残像が見えてるんですか?」
俺がたずねると、マイシーさんが呆れたようにフッと笑ってから答えてくれた。
「違いますね。ひとつひとつの分身をよく見てください。それぞれ、微妙に違うバホバホメトロ族の姿を形作っています。顔や体つきや、角の形を見れば一瞬でわかるはずですよ」
「そうっすか……」
まるで、注意力散漫ですね、と注意されたように感じた。
「わたくしの人形スキルと同じものです。『曇りなき眼』を持っているのなら、このくらい見えてほしいものですけどね」
無理を言わないでほしい。遠いし、過去最高に速すぎるし、砂埃で見づらいし、打ち合いのたびに振動してて気持ちが落ち着かないんだ。もしかしたら、ちゃんと集中すれば目で追えるかもしれないが、俺のメンタルがそんなに強いと思ったら大間違いだ。
「戦況はどうなんです、マイシーさん」
「相変わらず、八雲丸様の劣勢です。そろそろ身体強化技でも使わないと、連戦の疲れが出てくる頃ですが……あっ」
言っている間に、回避をミスった八雲丸さんが魔族の雑に振り回した腕に当たって派手に吹っ飛び、結界の天井やら、地面やら客席の階段やらにぶつかった後、この特別室のガラスにも思い切り背中からぶつかった。
ガラスに、いくつもの割れ目が走ったのが見えた。