第268話 世界樹リュミエール(3/5)
フロッグレイクには、すでに俺たちを待ちわびていた人がいた。
「待ってたよ、ラック」
右手を小さく振って軽い挨拶をしてきたのは、ミヤチズで別れたはずの聖典研究家、アオイさんである。
「領主の家に寄られた大勇者アリア様という方から事情は聞いたよ。エコラクーンが大変なことになってたらしいじゃん。でね、それと関連して、こっちで調べていた『ファイナルエリクサー』について、ラックが求めているであろう情報が明らかになったから、来たんだよ」
エリザマリーの遺言が放置されていた場所からは、スイートエリクサーよりもさらに美味といわれる『ファイナルエリクサー』の製造法が書かれた金属の板が発見されていた。
めちゃくちゃ美味しいという以外の効能については、まだわかっていなかったのだが、金属板を解読したことで、新たな事実が判明でもしたのだろうか。
「実はね、ラック。解読の結果なんだけど、ひとことで言うと、ファイナルエリクサーっていうのは、魔王と名のつく者を滅ぼすエリクサーだったんだよ」
「魔王を……滅ぼす?」
「そう。エリクサーは液体タイプだけど、そこにいろんなものを混ぜて熱を加え、水分を飛ばしてできるのが、赤い石。その名もファイナルエリクサー。それを清浄な水に溶かすことで、その水に触れた魔王と名の付くものが、滅びる。たとえ不死の肉体や精神を持っていようとも、強制的に滅びる」
「もしかして、用意できたんですか? そのファイナルエリクサー。略してファイエリ」
「あのねぇラック。フツーに考えて、こっちでそんなレアアイテムを用意できると思う? 素材が絶望的に集まらないよ」
「え、でも、めがねの薬屋さんの持ってる知識とか素材とか、カノさんの人脈とかで、かなり集まりそうな気もしますけどね」
「えっとね……実は、その、薬屋さんは、告白されて交際を断ったことで連絡取りづらいし、カノさんは人づきあいそんな上手くないし……とにかく、ラックなら運がいいから、なんだかんだで手に入れちゃうんじゃないかと思うんだよね」
「俺の知らぬ間に薬屋さんとそんなことが……」
道理で薬屋さんにアオイさんの行方をきいたときに落ち込んでる感じだったわけだ。
「とにかく!」とアオイさん。「それは置いといて、ファイナルエリクサーの素材がどのくらい集まってるか聞きたいんだけど」
「素材というと、どのようなものですか?」
「まずは、若返りと不老不死をもたらす伝説の青い薬、エリクサー・極」
持ってる。
「燃え盛る炎のような形をした、地下にしか育たないシガンバナの花弁」
これも持ってる。
「紫熟香を燃やしたあとの白い灰」
たくさん持ってる。
「暴れ狂う漆黒の水龍の本体である大黒龍玉の粉」
ある。オトちゃんを鎮めた後に、まなかさんが渡してきたやつだ。天候を操れるアイテムだというが、使ったことはまだない。
「五年に一度だけ世界樹は特別な黄金の果実をつける。形はリンゴに似ている。収穫してから数分のうちに変色して、水分がなくなってしまう。変色する前に絞り出した黄金の液体によって、ファイナルエリクサーは完成する」
持ってない。
世界樹関連のアイテムとしては、種や樹液は所持している。けれども『世界樹の果実』は無い。
「これまでのレシピでは、世界樹の果実のことが書かれていなかった。リストにしたから渡しておくね」
「あ、ありがとうございます」
俺は差し出された紙を受け取った。
丈夫な和紙のような紙に目を落とす。
『ファイナルエリクサー必要素材
青いエリクサー・極
赤いシガンバナの花弁
黒い大黒龍玉の粉
白い紫熟香の灰
黄金果実のしぼり汁
賢者の石』
「あの、アオイさん。最後に書いてある、この『賢者の石』っていうの、さっき言ってませんでしたけど……。しかも、『やさしいこころ』っていうルビがふられてますが、何なんですか?」
「ああ、それね。カノさんが言うには、気にしなくていいんじゃないかって」
「どういうことだ?」
「金属板に、エリザマリーの筆跡でこのアイテム名が付け足されてたみたいなんだけど、実は『原典ホリーノーツ』のほうにもファイナルエリクサーのレシピが書いてあって、そこにはこの文字列は無かったんだって」
またエリザマリーの遊び心ってやつなのかな。特に意味がないのなら、混乱しか生まないような気がする。もしかして、また何かの暗号が隠されていたりするのだろうか。
「素材の混ぜ方とか、熱の加え方によって、色が様々に変化するんだけど、青色の液体型エリクサーから始まって、黒くなって白くなって、最後に赤くなる。そして赤くなったものを清浄な水に溶かすと、ファイナルエリクサーの完成。メモの裏側に書いといたから」
裏返してみると、たしかにアオイさんの言葉と同じ内容が書かれていた。
「そのやり方っていうのは、簡単なんですか?」
「たぶんね。素材さえ揃えてしまえば、小さなフラスコでも作れるみたい」
「じゃあ、足りてない『黄金果実のしぼり汁』さえ手に入れられれば、すぐにでも作れるってことなんですね……と言いたいところですけど、そのアイテムは簡単に入手できないんでしょうね、何でしたっけ、五年に一度しか成らない実って言いましたよね、さっき」
俺は諦めを混ぜたように鼻にかけた声で言ったが、アオイさん「フッ」と笑った。
「ラックって、本当に運がいいよね」
「まさか、近いうちに実をつけるとか?」
「そのまさかなんだよ。じつはもう実が成ってるんだってさ。このアオイさんが来たのは、そのことを急いで伝えるためなの。カノさんからの情報でね、たった今、世界一高い場所で、黄金果実を懸けた戦いが開催されている」
「世界一高い場所……?」
「フロッグレイクの大樹の最上階」
ピンときた。フロッグレイクにそびえ立つ大樹リュミエールの別名が世界樹である。だとするならば、その戦いとやらの賞品が、俺が何を置いても手に入れなければならないものに違いない。
「つまり、その戦いを勝ち抜けば、『世界樹の黄金果実』とやらが手に入るんだな?」
「え? ばか言わないでよ。マリーノーツ最高峰の戦いなんだけど、勝てる気でいるの?」
「そんなの、フリースがいるんだから簡単だろ」
俺はハハハと余裕の笑いをみせたが、次の一言でスッと青ざめた。
「今回、大勇者は出場できないんだよ」
もうだめだ。詰んだ。フリースの他に戦えるやつはいないんだ。人類は大魔王の呪いと付き合っていくしかないんだ。
「なあフリース」
――なに?
俺の次の発言を見通しているのだろう。冷たい氷文字で返事をしてきた。
「一時的に大勇者をやめて戦ったりとか……」
「…………」
蔑みの沈黙をいただいた。
「まあまあ落ち着いて」と、アオイさんのフォローが入る。「こっちが言いたいのは、戦えとかそういうんじゃなくて、もっと平和的にさ、勝った人と交渉して手に入れましょうって話よ」
そこでレヴィアが、
「あのう、今、世界樹ってやつに果実が成ってるんですよね。だったら、賞品としてとられる前に、収穫してしまえばいいんじゃないですか?」
「おいおい、何言ってんだ、レヴィア。それは盗人の発想だろう。人間としてダメだろ」
「だって、世界樹って誰のものでもないじゃないですか。誰かの家の庭にあるザクロの実を食べるのは叱られますけど、フロッグレイクは誰の土地でもないでしょう? 森に落ちてる枝を持って帰っても、草原にはえてる草をたべても、モンスターを狩ってその肉を食べても怒られないのに、世界樹の木の実を勝手にとって食べちゃだめなんて納得できません」
これは教育を間違えたかもしれない。俺がザイデンシュトラーゼンで黄金を溶かしたり、宝物を借りてきたりしたものだから、感覚が麻痺している可能性がある。
それとも、スイートエリクサーを超越するうまさの飲み物の存在を知って、飲みたくてたまらない状態なのだろうか。
いずれにしても、ここで軌道修正しなければ!
このままではレヴィアが悪い人間になってしまう。
「だめだぞ、絶対だめだ」
と、俺が叱ったのだが、予想外なことが起きた。
「なるほど、いいかも。急がないといけないし」
最も人格者っぽいアオイさんが、あごに手を当ててウンウンと頷いているではないか。
そんでもって、フリースまでもが、
「確かに。エルフの始祖が持ち込んだり建造したからって、世界樹は誰のものでもないね。それに、もしも解釈次第でエルフの持ち物になるんだとしても、あたしだって四分の一だけどエルフの血を引いてるからね、もらう権利ある」
あ、これは良くない流れだ。
ザイデンシュトラーゼンで黄金を溶かした時も、俺はその流れを止められなかった。俺はそれを反省しているんだ。いくら世界樹が本来誰のものでもなくて、そのうえ特別な事情で急いでいるからといって、横から賞品をかすめとるような行動は避けたい。
「みんな何言ってんだよ。だいたい、世界樹って大きいだろう。どこに果実があるのかもわからないし」
「果実の場所なら、こっちに情報がある」アオイさん。
「でも高い場所にのぼるのが必要になるわけだろ、空飛んでいくわけにもいかないし」
「氷で階段つくればよくない?」フリース。
駒が揃い過ぎてる。
「だが、やっぱり主宰者の許可を得てからのほうが……」
「勇気がないばっかりに、できない理由ばっかり探してませんか? あたしは世界樹の果実が欲しいんですよ。そしてラックさんとファイナルエリクサー飲みたいんです」
「レヴィア……」
勇気がないんじゃなくてモラルがあると言ってほしいんだけども、結局は最後のレヴィアの言葉が俺の選択を決定づけた。
「わかったよ。反対だけど……急いで大魔王を倒さなきゃだからな。本当は反対だけど!」
悪魔のささやきのようなレヴィアたちの提案に屈する形で、俺たちは世界樹の外から樹上の枝に実っている黄金の果実を目指すことになった。