第263話 サタロサイロフバレー(4/6)
糸づくりを生業とする小さな集落で飼われはじめた猫型モンスターは、華奢な体つきのハーフエルフたちを襲って食らおうと考えていた。
弱そうだから勝てる、魔力も人間よりも質が良いし、ハーフエルフは猫を大事にするという噂だから油断しやすいだろうし、優良なエサだ、などと思っていたのだという。
皆が寝静まった満月の夜、ついに村人を牙にかけようと襲い掛かる。ところがどうだ、あっさり返り討ちに遭い、すっかり牙を抜かれ、かわいがられ、村の魔よけのお守り扱いされるようになった。はじめこそ猫は拗ねたが、お守り扱いは、猫にとっても、まんざらでもなかった。
「ワシは、もともと怠惰でな、眠るのが好きで、ぐうたら生きていけさえすればそれで良かった。以前、ここに住んでおったハーフエルフたちは、ワシが何をせずとも、うまいものも必要以上に寄越したし、いっしょにおっても無益に戦う必要もない、ちやほやし過ぎることもない。時折、害虫駆除のお願いをしに来る者がおったので、そのくらいなら協力しても良いと思って、うまいものの御礼として、定期的に結界を張ってやることにした」
猫の言葉に、フリースは疑問を口にする。
「ここにくる途中にあった結界ね。害虫から村を守る結界にしては、ずいぶん強力なものだったけど?」
「左様。それはずっと後のこと。別のエルフたちが来てから、契約によって発生させたものだ。状況が変わったのでな」
「悪いエルフたちが村を乗っ取ったからよね?」
「ククク……もし本当にそうなら、ワシが偉ぶるエルフどもに負けたということじゃが、果たして本当にそうか、試してみるか?」
ゆるりと立ち上がった猫は、目を光らせ、むくむくと巨大化した。
俺の目にも映るということは、偽装ではない方法での巨大化である。誤認をしばらく無効化する効果もある『天網恢恢』をさっき放ったので、誤認スキルでもない。物理的に肥大化して、俺と同じくらいの大きさになった。
「…………」
フリースはもちろん落ち着いていて、ゆっくりと猫に向けて手をかざした。
★
俺は身構えたが、その必要はなかった。
猫が巨大化した時、すでに猫の足元には薄い氷が張られていた。
「なな、なんだこれ、なんだこれぇ!」
慌てた声をあげながらコミカルに滑りまくった猫は、まるで土下座でもするように滑らかな氷に伏せるはめになり、なんとか脱出して、生えていた強化雑草を食べようと口を開けた。
がちっ、と凍った草に歯がぶつかって涙目だった。
「ワシのまけだ」
弱すぎない?
「相手の力量も見抜けずに調子に乗って襲い掛かるのは悪い癖なんじゃないの?」
とフリースは手厳しかった。
「ぐぬぅ、返す言葉もない」
「まあ、あなたは戦いには向かないスキルが専門だろうから、仲間の群れから馬鹿にされて追い出されて、ひとりここに行き着いたのでしょうけど」
「む? 口には気をつけろよ、小娘。ワシがさっきまで本気を出していたとでも――ぉうおお、つめたいつめたい。すまぬ、あやまる。君の言う通りだ」
フリースの氷で黙らされていた。とても弱い。いや、フリースが強すぎるのか。
「正直に答えないとガチガチに凍らせて沈めて封印するわよ? あなた人間からみれば魔物なんだから、あなたがいなくなったところで混血エルフくらいしか悲しまないでしょ?」
「ふむ、氷の中で眠るのも悪くない。ワシは眠ることで発動するスキル『絶対清浄防衛領域』というスキルの持ち主だ」
ふざけた名前のスキルだな。
「だから、氷の中という制約を受ければ、村の守護者であるワシの結界の力も高まって、より我が真の友、ハーフエルフたちを守れるだろう」
しかし、フリースは呆れたように言うのだ。
「この村は完全に純血を名乗るひとたちのものになった。あなたのことは忘れられ、ふざけたことに、『いつでも緑の楓の木』みたいな名前で呼ばれてたわよ?」
「なに? 契約は守られなかったのか?」
「契約?」と俺は首を傾げた。
猫は二本足で立ち、前足の爪を一つずつ引っ込めながら、
「ワシが緑の服に身を包んだエルフどもと結んだのは、三つ。一つ目は、『絶対清浄防衛領域』および『究極呪詛感知警報』の貸し出し。特にねこねこテリトリーは多くの魔力を消費するので、エルフとの契約が必須だった」
たぶん、真面目な話をしているのだろうけど、「ねこねこテリトリー」と「ねこねこアラート」というスキル名のせいで、緊張感がなくなってしまう。
「二つ目は、いざとなったら、この高台を死守し、ラストエリクサーを駆使して戦うこと」
これは、さっきも少しふれたように、魔王が結界を破って襲ってきた時の保険だろう。
「そして最後の三つ目こそ、ワシが最も重要と言い聞かせた契約だ。青い服のハーフエルフとその子孫たちをこの地に住まわせ、魔王の危機が去ったなら、すみやかにこの地を立ち去るということ」
「残念だけど」とフリースは寂しそうに、「純血を気取る連中は、混血を汚いものとみなしたんだよね」
「なんと、まことか?」
「まことまこと。混血を混血だからという理由で召使いにして自由にしたり、無理矢理に子供を産ませて結界の力を強める数合わせにしたり、混血との間の子供を金儲けのために売り飛ばしたり、自分から出て行くよう仕向けたり、あなたが大樹に化けてグッスリ眠ってる間に、あなたの大好きだったハーフエルフの皆さんは、この地から去ったわ。まあ、ただ眠っているだけのあなたへの恨みを持ってる人は、ひとりもいなかったみたいだけど……村の守護者? きいて呆れるわね」
「ばかな……そんなばかな! エラーブルという男が約束したはずだ。ワシの言うとおりに、『ハーフエルフには、これまで通りの暮らしをさせ、決して悪いようにはしない』と! だからこそワシは牙を納め、条件を呑んだというのに! どこだ! 出てこい、エラーブル!」
エラーブル……どこかで聞いたような気がする。
あれは、どこだったか。
必死に思い出そうとするが、なかなか出てこなかった。するとフリースが言うのだ。
「ラックの思い浮かべてるエラーブルとは違う人。あの議員の先々代くらいだと思う。もうこの世界にはいない人」
その言葉で思い出した。そうだ議員だ。あれは、偽ハタアリ事件のあと、マイシーさんに議会のある建物へと半ば強引に連れて行かれて、証言を要求された時のことだ。俺が緊張しながら証言を始めてすぐに、ヤジの合いの手を入れ続けてきたエルフ議員がエラーブルだった。
あまりにやかましかったのと、フリースに向かって「魔女」と言ったことで、議会の建物の中であるにもかかわらず氷の塊で殴り飛ばされたという出来事があった。
あの失礼なエルフの先祖が関わっているのだという。
「どこだ。エラーブル!」
猫の呼びかけに答える者は、誰もなかった。
俺は、近場に倒れているエルフを起こそうと考えた。畑に倒れている少年とか、ハシゴの横に倒れている青年とか、俺たちをここまで連れて来た少女とか。
もしかしたら、彼らから、エラーブルの居場所を聞き出せるかもしれない。
そう思ったけれども、猫は待ってくれなかった。
「ゆるさぬ……」
「え?」
「孤独であったワシを受け入れてくれたハーフエルフたちに、そのような、呪われた末路を辿らせるなど……この地にはびこる純血エルフこそ悪だ! 魔王なんぞの比ではない! やつらの子孫は、いま、ここで眠りについている連中だ……! ならば、魔族との契約を破った落とし前、子々孫々にまで続く大いなる呪いを受けよ!」
猫が、ガオンと雄たけびを上げた。肉食獣のそれである。
急に立ち込めた暗雲から、ねずみ色の雨が降った。
空に広がっていた鮮やかな緑の屋根はすでになく、紅葉した赤い屋根もなく、エルフの村に呪いの雨が降り注ぐ。
俺もフリースもレヴィアも、紫熟香のおかげで呪いを受けないけれど、この村のエルフたちは違う。とはいえ、まあハーフエルフたちに酷いことをしたというのなら、呪いを受けても仕方ないのかな、なんて、そう思っている自分もいた。
しかしその時である。雨雲を引裂くような毅然とした声で、フリースは言うのだ。
「ラック! 紫熟香をお願い」
「え? あ、ああ……」
「はやく! いそいで!」
あまりの迫力に、俺は半ば自動的に紫熟香セットを取り出した。解呪の香と、専用香炉と、着火できる石だ。
すぐに俺の手から奪い取られた。
フリースは慣れない手つきで火をつけ、黄金香炉に放り込んだ。
白い煙が流れ出す。
自分の頭の上で振り回して、煙を広めようとしていたが、ほとんどがフリースの白銀の頭の上に落ちて、ごほごほと咳き込んだ。
「お、おい、大丈夫かフリース」
「へーき」
この行動に黙っていられないのは、呪いの雨を呼んだ猫である。
「なぁっ! それは幻の解呪の香、紫熟香! なぜ呪いを解くんじゃバカモノめ! おぬし、苦しんだ同胞のハーフエルフたちの恨みを晴らしたいとは思わんのか。酷い目にあったのだぞ!」
「あたしクォーターだからハーフじゃない。それに……なによりもさ、あたし、もう『呪い』なんてのは、たくさんなんだよね」
その時のフリースは泣いているように見えた。きっと煙のせいではないと思う。