第255話 眷属の泉エコラクーン(4/7)
忌まわしい自爆の魔法陣はフリースが洗い流したものの、問題が全て解決したわけではない。
相変わらずモンスターたちは氷の壁をがりがりと引っかいたり、べろべろとなめたり、よじ登っては滑ったりを繰り返したりしている。
アリアさんが倒れたことで崩れかかった氷の壁。これを復活したフリースの清浄な氷で補強し、俺たちを中心に円形に囲う形にしたので、敵の有翼ゾンビ系人型モンスターたちも、禍々しい黒い雷撃ウナギたちも、俺たちの領域に侵入することはできなかった。
というわけで、ここに話し合いができる環境が何とか整ったので、意識を取り戻したアリアさんから事情を聴くことにする。
「あたしが、このエコラクーンの調査をお願いされたのは、氷の力を持っていたから。人間たちの魔物化がどうしようもなく広がっていて、元に戻る見込みが無いと判断される場合には、町を丸ごと全凍結せよ、という指示だった」
「魔物化したかもしれないという情報は、どこから?」
「さあね。数日前から大勇者の間で広まっていたんだけど、新聞にも詳しい情報はでてないし、誰にも心当たりがないって話だった。そこで、氷を扱えるあたしがね、傷も治ってないってのに送り込まれたってわけ」
そして、わけもわからず持たされた解呪アイテムの煙を撒き散らしながら、「効かねえな」と確信したアリアさんは、解呪をあっさり諦め、指示通りの策を展開しようとした。
「ここは呪いのせいか魔力が不安定でさ、力をうまく発揮できなくてね、モンスターも、どこからともなく襲ってきて邪魔だったし、妙なカップルにも邪魔されたこともあって、とれる策が自爆しかなかった」
引き出し少なすぎない?
もしかして、俺たちのせいにしようとしてるのだろうか。それはさすがに無理があるだろうとは思うけれど、相手は大勇者であるし、片目で常に睨みつけているかのような目つきの悪さなのだ。少しフォローして緊張感をほぐしてみよう。
「あ、もしかして、アリアさんが、俺との会話で受け答えがメチャクチャだったのも、判断に冷静さを欠いていたのも、呪いのせいだったんじゃないですか? 呪いを受けることで、知らず知らずのうちに、悪い方向に導かれてたとか」
そしたらフリースが氷文字で茶々をいれた。
――アリアは、いつもあんなでしょ。
――すぐ頭に血がのぼる。
フリースに言わせれば、短気な後輩だということのようだが、これは過去の因縁があるからこそ書かれた文字かもしれない。
まあ確かに、せっかちですぐに手が出るタイプのような気がするけれども、今はアリアさんから話を聞くために余計な挑発は控えてほしいんだけどな。
俺はフリースの文字を身体で隠して、アリアさんからの返答を待った。
「ラックとかいったっけ? 命を助けてくれてありがとう。――なんて礼を言うつもりは全くないよ。むしろ腹が立つくらいだ。あんたが、さっき先輩を解呪したみたいな、ちゃんと呪いを解ける手段を持ってるんだったら、もっと早く来るべきだし、もっとはっきり伝えてくるべきだったし、神聖皇帝にも速やかに報告すべきだった」
「そうは言われましても」
「あと、負けたわけじゃないから」
「はい?」
「だってほら、あたし、全身こんなでしょ?」
「包帯が巻き巻きされてますね、薄緑色に淡く光ってるのは綺麗ですけど、でも、なんで包帯を?」
「……理由なんていいでしょ、どうでも」
そこでフリースが「――魔神の力だから簡単には治らない」とか、「――まなかにやられたんでしょ。利き腕をやられなかったのは、せめてもの慈悲だね」とか虚空に書いたので、また、さりげなく移動して文字を身体で隠した。
「と、とにかく、たまたま怪我してて調子出なかっただけだから。気を失ったのも、あれは演技。うっかり転んで動けなくなったと見せかけてただけで、じっさい、いつでもあんたら全員を凍らせることができるように構えてたから」
クソすぎるプライドの高さである。
反論するのも面倒だし、またフリースとの真正面からのケンカになるのは避けなければならない。華麗にスルーしておこう。
フリースにもおとなしくするように視線を送ったが、フリースはそっぽを向いた。反抗的である。フリースが「お願い」って言うから、アリアさんに勇気の体当たりまで仕掛けて助けたってのに。
心の中で「やれやれだ」と呟いていたところで、今度はレヴィアが素朴な疑問を口にした。
「それにしても、なんでモンスター化なんて現象が起きたんでしょう? 大魔王レベルの呪いがないと、こんなことにはならないんですけど」
「…………」
フリースが、何か知ってそうな色の沈黙を放った。
「何か言いたそうだな」と俺。
「いやぁ……」
目を伏せ、片方の耳をしおれさせ、下に向けた。いつもと様子が違うのは、やはり隠し事をしているからだろう。
よほど後ろめたいことがあるのか。まさかとは思うが、このたびの魔物化事件に心当たりがあるとか言うつもりだろうか。
「何なんだ? 怒らないから言ってくれ」
「そうやって言うやつは、必ず怒るよな」とアリア。
「ごもっともだが、大丈夫だ。俺は絶対に怒らない。約束する」親指を立ててみせた。
そしたら、「じゃあ……」と頷いて、白銀の髪を揺らした後に、フリースは言うのだ。
「今まで絶対に秘密にして誰にも言ってないことなんだけど、ずいぶんまえ、あたしが最初に大勇者になった頃のこと。水源の池、フロッグレイクの湖で魔王たちとの戦いがあったでしょ?」
「知ってる」とアリアさん。「エリザマリーのフロッグレイク奪還作戦だろう。あたしが、まだこの世界に来てさえいない時だな」
俺もアリアさんも、まだマリーノーツという異世界に転生してない頃の歴史である。
たしか、フリースが大勇者まなかさんと一緒に討伐作戦に参加したという出来事だ。中ボスの魔王を倒したことによって、まなかさんがゲームクリアとなり、フリースが一人残されてしまった。結局、魔王たちを全滅させることはできず、森の外に追い出す結果にとどまったのだという。
「あのときさあ、フロッグレイクの池に魔王を氷漬けにして沈めたんだよね。大きな蟲型のやつだった。蚊みたいなやつ。楽勝だったけど、どうしても氷の力じゃ命を奪えなくて、じゃあせめて閉じ込めようと思ってね」
とんでもないことを聞いてしまった気がする。俺の耳がおかしくなったのだろうか。
「えーと、つまり、あれか? 倒していない魔王を、『倒した』と報告したと?」
「…………」
この沈黙の意味は、「言いにくいけどその通り」ということだろう。
「ちょっと待ってくれ」俺は自分の額に手を当てながら整理する。「ってことは、今回の大規模な魔物化事件は、フリースが固めてた氷が解けて、魔王の呪いが拡散したからってことか?」
「…………」
この沈黙の意味は、「違うとは言い切れない」といったところだろう。
「なんとまあ……」
そんな、0点答案を隠すような感覚で、生きてる魔王を隠されちゃ困るだろう。
めちゃくちゃだ。
どうしよう、怒らないと約束したけど、ものすごい怒ってやりたい。レヴィアが見てる前で約束を守る所を見せつけたいから、怒るに怒れない。
ああもう、なにやってんだよ、フリース。
そんな時、アリアさんはフリースに向かって言うのだ。
「本っ当に魔女だな。先輩」