第251話 異世界への渡り方
どうもエリザマリーという人は精神論とか根性論とか、徹底的に探すとか、あくなき努力とか、そういう考え方が好きな人みたいだ。
隅々まで探索した根気ある人に、その人が求めている最高の宝物をプレゼントしてくれた。
「みてよラック! みつけたの、『原典ホリーノーツ』!」
きらきらに輝く本を見せつけながら、アオイさんはホクホク笑顔である。
シガンバナという毒草を片っ端から引っこ抜いた結果、ひときわ大きな岩があらわれた。平たく膝の高さくらいしかない岩だったので、毒花の中に完全に隠れていた形だ。フリースの氷の力で岩をどかし、掘ってみたら、本物の『原典ホリーノーツ』が発掘できたのだという。
暗号伝達のための偽書とは違う。本物。
エリザマリーの手が入っていない本当の『原典』である。
長年さがし求めていた宝物に頬擦りまでして、アオイさんは人生で最高に嬉しそうだ。
「ラックのおかげだよ! 本当にありがとう!」
「お役に立てて良かったです。アオイさん」
「ほんとにね! これまで断片的だった原典が丸ごとわかって、いま流通してる『聖典』なんかと全然違くて、こっちの考えていたことが正しかったんだってわかったよ!」
カノさんも嬉しそうに頷いて、
「やっぱりね、人間とかエルフとか獣人とか関係なく、皆が仲良くしていた時代があったんだよね。ちょっと読んだだけでも、そこらへんのことが生き生きとした描写で描かれている。そのうえで、エリザマリー様は『原典ホリーノーツ』を編集して『聖典マリーノーツ』を編んだ。二つの書物を比較してみれば、エリザマリー様の並々ならぬ苦悩が見て取れる。魔族や魔王の発生によって人間中心の信仰なんかを新しく創作しなくちゃならなかったのは、さぞ苦しかったことだろうよ」
作り物と思われる青空を見上げながら、カノさんは遥かな過去に思いを馳せていた。
実際にエリザマリーという人に会ったことがないけれど、彼女が我が子やオトちゃんに宛てた遺言を見れば、やさしい女性だったんだろうと想像できる。
偽ハタアリの一件が解決したことで、エリザマリーが目指した『人間が平和に過ごせる世界』に近づいてくれたのだとしたら、それは素晴らしい事なのかもしれない。
でも、それより前の、『原典ホリーノーツ』に描かれていた、今ではもう手に入らない、『獣人やエルフとともに生きていく世界』の方が、もっと夢見ていたい世界だなと思うし、さらに言えば、『原典』の世界でさえも俺にとっては物足りなかった。
魔王や魔族や各種モンスター、それから機械や人形たちが仲間に入っていないからだ。
だから俺は、カノさんの、「ラックくんは、『原典ホリーノーツ』と『聖典マリーノ―ツ』どっちが好きだい?」という質問に、即答する。
「俺は、みんなが仲良くできる優しい世界のほうが好きです」
つまり第三の選択肢。
取り戻せるものなら取り戻したいというのはある。
でも、以前よりもっと優しい世界に――。
そう考えてしまうほどに、俺はこの世界のことが好きになっていた。
★
「フリース! 頼んだ!」
「まったくもう、人使い荒いなぁ」
帰り道では、川の本流に出た途端に、コイだとかフナに似たモンスターが次々に襲ってきた。
なんだこの巨大魚の群れは。
明け方という時間帯によるものなのか、進行方向によるものなのか不明だが、とにかく何度も巨大なやつらが俺たちを舟ごと丸呑みにしようとして、そのたび氷づけにされて、ぷかぷかと流れていった。
もしもフリースが居てくれなかったらと考えると、恐ろしい限りだ。
やがて、雨が降ってきた。
舟を走らせるうちに雨は強くなり、激しい音を響かせた。川に降りそそぐ大粒の雨が川面で跳ねていた。
しばらく耐えたら雨が上がって、陽の光がさしこんでくる。
俺たちは深い崖の間を走る谷川を行く。たくさんの宝物を載せた輝く小舟は、しっとりとした空気の中を進んでいく。流れに従う形なので、漕ぐ必要もない、楽な帰り道だった。
大きなトラブルもなく上陸し、坂をのぼり、無事にミヤチズ領主の家に帰ることができたのだった。
皆が疲れたから眠るというので、俺も一緒に同じ部屋で寝ようと思ったんだけども、カノさんの長い腕で敷地の外へと文字通りつまみ出されてしまった。
なにも、そんな無理矢理に押し出さなくても、言われたら自分で出ていくのに。
★
翌日、先日のカレー屋とは別の店で待ち合わせをした。研究に没頭するカノさんは部屋にこもったため来られなかったが、アオイさんとレヴィアとフリースと、四人で一緒に食事をした。
その後、昼に雨が上がって、晴れを喜ぶミヤチズの民で湧く青空市場に行った。
掛けられていた防水防火シートが一斉に取り払われ、青空書物市場があらわれた。幅の広い大通りに本棚が並べられ、遠くまで続いている。絶景だ。
ここで、俺たちはある情報を探し求めていた。
「やっぱり無いか」俺。
「ないね」フリース。
「ないです」レヴィア。
「まあ、ないよね」アオイさん。
そりゃあ、そう簡単に見つかるわけがない。書物に何でも書かれていると思ったら大間違いなのだ。
その後、諦め切れなかった俺は、わりと長いこと滞在して書店街を隅から隅まで探し求めたのだが、レヴィアとともに異世界に渡る方法が書いてあると思われる本は見つからなかった。古今東西の知識が集まるミヤチズでも手掛かりさえ掴めないのだった。
「あの、アオイさん、ミヤチズに来れば方法がわかるって言ってませんでした?」
「そんなこと、ひとことも言ってないでしょ、そんな子供っぽい八つ当たりされても」
「すみません……」
これで暗礁に乗り上げてしまったわけで、これから俺は、どこを目的地にすればいいのだろう。ミヤチズで次の手掛かりが拾えるとばかり思っていたのだが……。
「やっぱりさ、ラック、行くしかないんじゃない? こわいだろうけど、あの秘密の大書庫にさ」
卵型の警備機械人形がひしめく中で、一冊ずつ内容を確かめていくしかないというのだろうか。たしかに、もしも掟破りの手法が書かれた本があるとしたなら、あの場所が最も可能性の高い場所だ。
マイシーさんに必死に頼み込めば、俺たちでも入れてもらえるかもしれない。入口までの道も、フリースの力があれば余裕で解決できるだろう。
ところが、フリースは俺の思考を呼んだかのように冷たい氷文字を描き出す。
――このことに関しては、あたしはもう協力しない。
「え、なんでだ」
――ずっと一緒にいたいなら、不老不死の方法とか、若返りの方法とかを探せばいい。
――この世界には、それらの方法が沢山あるし、ラックはもうその手段を持ってる。
――そう、レヴィアにエリクサーとか飲ませればいい。
――それでも二人で異世界に行くって言うなら、それはそれで夢があるし、応援したい。
――けど、あたしが手を貸すのは、もう嫌。
そしてフリースは、不機嫌のまま「帰る」と呟いて、行き交う人々の隙間を縫うように、滑っていってしまった。
フリースがいなければ、秘密書庫へ続く氷の橋をかけてもらえない。
さらに、アオイさんも、カノさんのカラフルな鳥による、「アオイちゃん、新発見。ちょっと来て」という伝言を受けて、慌ただしく走り去ってしまった。
どんどん協力してくれる人が減っていく感覚に襲われ、とても悲しい。もう俺のまわりにはレヴィアしか残っていない。
頭を抱えた俺だったが、もしかしたら書庫には別の入口があるかもしれない。そうなれば、フリースの助けを借りなくても問題ない可能性もある。一縷の望みにかけて、マイシーさんに手紙を送った。すぐに返信が届いた。
『親愛なるラック様、大書庫に再び入りたいとのことですが、本来はオトキヨ様が言うところの斬首刑となるような半端ない散らかし方をしておいて、再入場したいとは、ムシのいい話もあったものです。結論から申し上げますと、ラック様は出入り禁止です。もちろん無期限の出禁です。第三書庫だけでなく、第一から第五まである書庫すべてにおいて出入りを禁じます。
ただし、ラック様には偉大な功績がありますので、特別に一つ、申し上げておきます。わたくしは以前、大書庫の蔵書は全て読みましたが、ラック様のお探しになられている、「異世界への渡り方」などという情報はどこにもありませんでした。
もっとも、わたくしは「曇りなき眼」などという危険なスキルは持ち合わせておりませんので、書物に偽装や誤認が施されていたら感知できませんが……。秘密書庫で大暴れなさった恩人にお教えできるのはここまでです。反省してください』
泣きっ面に蜂とは、こういう状況のことを言うのだろうか。
「で、出入り禁止はひどくないかな」
すると、俺の嘆きを見て、レヴィアが言うのだ。
「ラックさん、また何かやらかしたんですか?」
「おいおいレヴィア、またってのは人聞き悪いぞ」
「そうです? ラックさんは約束やぶるの得意ですから、また約束やぶったのかなって」
まあ、書庫荒らしという結果は、どう考えてもルール違反であるからな、ある意味で約束を破ったことになる。レヴィアの言葉を否定し切れないな。
「……でも、ラックさん。私をラックさんの世界に連れてってくれるっていう約束は、絶対に破ってほしくないです」
今になって思う、無茶な約束してしまったもんだと。
それでも俺は、絶対にあきらめない。フリースの協力が得られなくても、アオイさんの助力が頼りなくても、レヴィアを連れ帰ってみせる。
「ああ、約束だ、破ったら呪ってくれていい」
きっと何か方法があるはずだ。俺が生まれた世界とマリーノーツは、確実に繋がっているはずなんだから。
次の目的地は決まらなかったけど、俺たちの旅は続いていく。
とりあえず今夜は、地下からの生還を祝うため、こっそりレヴィアだけとスイートエリクサーで乾杯でもしておこうか。
「えっ、あのエリクサーを? いいんですか?」
「ああ、宿に帰ったらな」
「約束ですよ」
新しい約束を交わしながら、俺たちは書物が満ちるまちを歩いていく。
「忘れちゃだめですからね」
「もちろんだ。……あれ、まてよ、『忘れちゃダメ』で思い出したけど、そういえば、何か忘れてるような……」
「そうなんです? ちゃんと思い出せないってことは、大したことじゃないのかもしれません。はやくスイートエリクサーのみに行きましょう」
「うーん……いや、でもな、レヴィアがらみだったような気もするんだよな」
「えー、心当たりないですね」
レヴィアは完全に忘れ去っていたようだが、後に知るのだ。この時、俺の知らない土地で、大変な事件が起きていたことを。