第247話 遺言(4/7)
船旅の果てに階段を下り、辿り着いた終着点。
細かな模様が刻まれた円形の足場があって、その周囲は、何もなかった。空洞に浮かぶように円形広場があって、足を踏み外したら闇の中に落ちていって、二度と戻れないだろう。
なぜ光が届かない無明の闇のなかで、このような視覚情報が得られるのかというと、偽装の紅い光のおかげである。これまでは、周囲を照らす光源になるほどの強い偽装の光は見たことはなかった。
『合言葉を唱えよ』
古代語だったが、俺にも読めた。
やたらに目立つ大きな文字が、腰くらいの高さのある紅く輝く球体に刻まれている。これが光源になって、俺の目にも、ここが下り階段の終点であることがわかるのだ。
ここは、闇の中でも視力を保てるレヴィアにさえ文字は見えていないし、それどころか、球体すら見えていない。
普通の目を持つ者にとっては、方向感覚さえ失う無明の闇の中なのだ。
だから、これは、『曇りなき眼』を持つ者にしか見えないメッセージということになる。
偽装の光がこれまでとは比較にならない強さだし、レヴィアも紫熟香のニオイが近づいてきていると言っているので、目的地は目の前なのではないかと思う。
とはいえ、罠の可能性も捨てきれない。いざみんなで円形の足場に踏み出して、盛大に崩れたら大変だ。しっかりした足場であることを確認するために、まずは俺が降り立ってみる。
「カノさん、もしもの時は引っ張り上げてくださいね」
「ああ、任せておきな」
年上の歴史研究者を命綱がわりにして、俺は広場に足を踏み入れた。
その場でジャンプしてみたが、びくともしない。どうやら問題なさそうだ。百人乗っても問題ないんじゃないかってくらいの安定感がある。
「アオイさん、一緒に合言葉をお願いします」
「うん。わかった」
俺は闇の中で足元のおぼつかないアオイさんの手を掴み、球体の前まで連れてくる。
そして、二人で唱えるのだ。秘密の第三書庫で突き止めた合言葉を。
「――終わりは初め、初めは終わり。マリーノーツよ永遠に」
声を合わせて。
するとどうだ、急に視界が明るくなった。
「ウッ」
眩しさに思わず目を閉じて、次に見回した世界には、青い空と、緑の山と、赤い花が広がっていた。
★
彼岸花によく似ている。天に向かってまっすぐ伸びる緑の茎に、鮮やかな赤色の花弁が反り返り、幾重にも立体的に絡み合っていて、蜘蛛の足のような雄しべや雌しべが放射状に広がっている。
山に囲まれた地形の中で、風に揺れる赤い花たちが群生している。茜色の絨毯が一面に広がっている。花弁についた水滴を反射して輝いている。
俺たちは、その赤に囲まれた西洋風あずまやに、いつのまにやら立っていた。
しっかりした屋根を四隅の柱が支えている。外壁は取り払われ、どの方向を見ても花々を楽しむことができる。ここでお茶なんか飲んだら、さぞ優雅なことだろう。
さて、書庫で掘り起こしたメッセージにはこうあった。
――いつか来るであろう強く優しき探求者。あなたに渡したい宝がある。
もしかしたら、この花畑の風景こそが、渡したい宝というやつなのだろうか。それもいいんじゃないかと俺は思ったのだが、ここが終点ではないらしい。レヴィアの鼻が新たな目的地を感じ取った。
「こっちから、あの変なニオイがします」
レヴィアについていくと、ひとすじの通路を見つけることができた。まっすぐ伸びる、幅三メートルほどの道だ。そこだけ柔らかな土がむき出しになっている。座り込んだゾウの群れのように、巨大な岩が集まっている場所に続いていた。
★
巨岩がごろごろ転がっているだけで、偽装も誤認も特にない。何か建物があるわけでもない。
岩の転がり方が不規則で、ここが本当に俺たちが目指した場所なのか、実感が持てなかった。
あるいは、すでに荒らされた場所なのかもしれないし、実は不規則な並びではなく、何らかの星座の形に並べられたりしているのだろうか。
誰も指摘しないところをみると、レヴィアにも、フリースにも、アオイさんにも、カノさんにさえ、岩の配置に思い当たることはないのだろう。
手分けして探索を続けたところ、フリースが何かを見つけた。
「どうした、何かあったか?」
彼女が指さした先を見ると、半分ほど埋まった岩にビッシリと文字が刻まれている。
「横書きで、単語ごとに別の言語が使われてる」
「つまり、フリースにも読めないってことか?」
彼女は小さく首を横に振った。
「あたしを誰だと思ってる?」
「ははぁ、大勇者フリース様にございます」
フリースは多くの言語を扱える。エルフ文字や古代文字はもちろんのこと、この世界の人間の文字も、獣人の文字さえ扱える。転生者とも関わっているから、漢字さえも少し読めると言っていた。
彼女が文字に詳しいのは、ずっと声を出せなかったという境遇が関わっているのだろうけど、それはともかくとして、フリースは言うのだ。
「これは、遺言だね」
「遺言?」
「死を確信して受け入れた誰かが、残される者のために伝えたメッセージ」
「なんて書いてあるんだ?」
「……途中までしか読めない」
「土に埋まってるからか。じゃあ、ちょっと待ってろ」
俺はスコップを取り出して、土を掘り始めた。
「最初の方に、あて名が書いてある」
「へぇ、誰あてだ?」
するとフリースは、澄んだ声で、「オトキヨ」と呟くように言った。
★
フリースが見つけた岩の土に隠れている部分を完全に掘り返そうとしたとき、アオイさんのところで動きがあった。
アオイさんとカノさんは、二人で岩の前で話し込んでいたのだが、やがてカノさんが上空に向かって高く高く、斜め上に向かって腕を伸ばした。
「な、なんだぁ?」
気になった俺は、一時フリースのもとを離れ、二人のところに向かった。
「アオイさん、カノさん、どうしたんですか?」
腕を伸ばした赤髪の中年女性は答える。
「そこの岩には、絵が描かれている。雲の中に書物が隠されている絵が見えるだろう?」
アオイさんが気付いてほしそうに眼鏡を持ち上げて誇らしげにしているところをみると、この絵に気付いたのは彼女なのだろう。
「たしかに、そういうふうにも見えますね」
岩肌に赤と黒の線で絵が描かれている。彼岸花の地平線と、闇の地下世界からここに来た時に出てきた西洋あずまやがあり、上空に雲があった。控えめに渦を巻いた特徴的な雲の中に、半分だけ姿を現している鳥の絵があった。
つまり、その雲の中を探れ、ということだろう。
「ラックくん、アオイちゃん、ちょっと身体を支えてくれないかね。腕の重みで、前に倒れそうだ」
ちょっと苦し気に声を出したカノさんを、アオイさんが後ろから抱くようにして支えた。
「お、おもっ、けっこうもってかれますね……。ラック! おねがい」
「お、おう」
アオイさんの声に応え、俺はアオイさんの背後にまわった。腰に手を回し、しなやかで温かい身体を包み込むと、後ろに倒れるようにして支えた。かなり前に引っ張られる感じがしていて、アオイさんのお腹に手が食い込んでしまっている。
「アオイさん、大丈夫ですか? 痛くないですか」
「うぅ、うん、だい、じょうぶ……」
転生者だから、度を超えた痛みは全て軽減されるけれど、体力ゲージが削られてしまえば魂だけになって飛んでいってしまうことも有り得る。
「何かありましたか、カノさん」
「ちょっと待ちなよ、そんな焦るんじゃないの」
そうは言うけれど、アオイさんの体力ゲージ以外にも、焦らねばならぬ理由がある。緊急とはいえ、アオイさんに後ろから抱き着いている状況を、レヴィアやフリースに見られていたらと思うと、恐怖で嫌な汗がふき出てきそうだ。
俺はちらりと二人の様子をうかがってみた。
「…………」
フリースは無言で岩に書かれた文字を解読していた。
「これだ……」
レヴィアは、別の岩に手を触れて、嫌そうな顔でぺちぺち叩いたりしていた。
よかった、見つかってない。
と思ったのも束の間。やっぱり腕を空に向かって伸ばしてる光景ってのは、どうしたって目立つ。
「…………」
氷の大勇者から冷気が発せられている気がした。
「ラックさん、何してるんですか!」
遠くから、レヴィアの声がする。
「い、いや、違うんだ、これは、カノさんの手伝いをしていて……! ちょっとカノさん、まだですか?」
「もうちょっと」
カノさんは雲の中に手を突っ込んで、探っている。やがて、似た形をした別の雲に手を伸ばした。
「んんっ」
苦し気に声を出したアオイさん。
カノさんが腕をのばす角度を変えたことで、肉体に負担がかかっているようだ。
「ラック、そこ掴まれるとダメージ大きいみたい。もうちょっと上に」
「う、上って、それ胸に……」
「この状況じゃ仕方ないでしょう。特別に許すから。はやく」
アオイさんが良くても俺が良くない!
レヴィアとフリースに見られているんだぞ。後ろからお腹に手を回している状況だけでもギルティ気味なのに、胸に手を触れたら二人にとっては完全にギルティだ!
「カノさん。もう限界です。手を放していいですか」
「ラックくん、もうちょっとだけ頑張って」
どうする。もしも、このままの形でアオイさんを引っ張り続けたら、アオイさんがこの世界からいなくなってしまうかもれない。かといって、アオイさんの言う通り、腰に回した手を上にあげて胸を引っ張ることになったら、俺はどうなってしまうのか。
心が耐えられない気がするし、近い未来に女性たちから責められるのが目に見えている。
でもでも、命には代えられないんじゃないか。
風になびいたアオイさんの長い髪が、鼻先に触れる。とてもいい匂いがする。
どうしよう。どうすればいい。
じゃあ、こういうのはどうだろう。片手はそのままで、もう片方の手でアオイさんの胸に触れる。
いやいや、おかしいだろう。いくらアオイさんが胸に触れることを望んでも、俺にはレヴィアがいるんだ。
「アオイさん、もうすこしこのまま我慢してください!」
「いや、あのさ、ラック」
「すみません! 俺はアオイさんの胸に手を触れることはできないんです」
「いや……だからね、ラック、いつまで抱き着いてるつもりなのかって」
「え?」
ふと顔を上げると、すでにカノさんが黄ばんだ紙を持って立っていて、にやにやしながら言うのだ。
「ラックくん? もう終わったんだけど、いつまでやってんだい?」
「えっ――」
「アオイちゃんの身体が気に入ったからって、しつこく抱いてると嫌われるよ」
「ラック、恥ずかしいよ」
アオイさんは、なぜだか嬉しそうにそんな声を出した。
俺は勢いよく離れたものの、時すでに遅し。当然、レヴィアとフリースが黙っちゃいない。
「ラックさん、またですか! また赤ちゃん作ろうとして!」
またって何だよ、レヴィア。後ろから抱きしめることになったのは仕方ないじゃないか。カノさんがピンチだったんだから。
あと、後ろから抱きついただけでは、赤ちゃんはできない。
「ラックは、どこに来てもエロエロクソ野郎だね」
その呼び方はやめてくれ、フリース。毎度のことながら、人聞き悪い称号だ。誤解だってことは聡明な大勇者にはわかるだろうに、俺をいじめて楽しみたいのかな。
そして、また俺は、
「ごめんなさい」
と、皆に頭を下げることになったのだった。